第7話 頼み事

アランが駆けつけた時、エレノアはまさにアランの馬に触れようとしているところだった。


「よせっ」


アランの声にエレノアはびくりと肩を大きく震わせ、ゆっくり振り返った。


間に合ったとほっとしたのも束の間で、次の瞬間、馬がその鼻面でエレノアの背中をとんと押した。


アランはぎょっとしたが、エレノアは動じることなく馬に手を伸ばして首をなでた。


馬は甘えるわけでもなかったが、さりとて嫌がることもなく、エレノアの好きにさせていた。


「こいつは驚いたな」


アランはエレノアに近づくと、心の底からそうつぶやいた。


「近くに小川が流れているので、お嬢様の馬と一緒に水を飲ませておきました」


エレノアの言葉に、アランはますます目を丸くした。


グエルが心配していたように、アランの連れてきた馬は少々……というより、かなり気難しい馬だった。


機嫌が悪ければアランも鞍から振り落とされかねない。


普段から接しているグエル以外の、しかも初対面の人間の世話を受け入れたというのは、こうしてエレノアが実際になでているところを目にしなければ、にわかには信じがたい話だった。


いったいどんな魔法を使ったんだい、と言いかけ、アランは危うく言葉を飲み込んだ。


ここは王都ではないからそれほど神経質になる必要はないかもしれないが、どんな時でも用心するに越したことはない。


やがて馬が地面の草を食みだすと、エレノアのほうからアランに話しかけてきた。


「昨日からずっと私のことを見ていらっしゃいますね」


感情の読み取りにくい表情だった。


アランはずっと気になっていた疑問を口にした。


「昨日、屋敷のことを教えてくれたのは君か?」


「はい。そうです」


エレノアはうなずいた。


あまりにあっさりと肯定したので、アランはやや拍子抜けしてしまった。


最初からこうやって尋ねればよかったのだが、そうするのを躊躇ったのは、昨日フードの奥から見えた瞳のせいだった。


今、アランの目の前に立っている少女の瞳は薄茶色で、馬車の中から見えたと思った金色ではない。

 

きっと見間違いだったのだろうが、どうしてか腑に落ちないものが残った。


「まだ何か?」


アランは自分が食い入るようにエレノアの瞳を見つめていたことに気づいた。


「いや…その、指の怪我はもう大丈夫なのか」


エレノアが「はい」と静かにうなずいたので、アランはとりあえずほっとし、胸のつかえが少しだけ取れた気がした。


それから二人でリリアナのいる湖畔へ引き返したのだが、途中、樹間から湖面が反射しているのが見えた。


「美しい場所だな、ここは」


アランは軽い世間話程度の気持ちでそう言ったのだが、エレノアは「そうでしょうか」と否定気味につぶやき、ぽつりと声をもらした。


「私はもっと美しい場所を知っています」

 

隣を見ると、エレノアはここではないどこか遠くを見ているような顔をしていた。


そのまましばらく会話が途切れたが、湖畔の手前で不意にエレノアが立ち止まった。


「お願いがございます」


急な申し出に面食らいつつ、アランは視線で続きをうながした。


「王都に出発する際、私も一緒に連れていっていただけないでしょうか」


予想外の頼み事にアランはしばし絶句した。


エレノアは必死になって言いつのった。


「お願いします。私一人では関所を通ることができません。もちろんタダでとは申しません。下働きでもなんでもします。王都に着いたら、その後は放り出していただいて結構です。だからどうか」


「いや、そう言われてもな……」


アランが困惑して二の句をつげずにいると、エレノアが距離をつめ、下からアランのことをじっと見上げた。


その時、エレノアの瞳が金色に縁取られ、湖面のように揺らいで淡く光を放ち出した。


アランは自分の意思とは関係なしに、エレノアに対して是とうなずきそうになった。


首を縦に振りかけた時。


「アラン様」


大きな声がして我に返ると、リリアナがこちらに向かって走り寄ってくるところだった。


「お戻りが遅いので心配していましたのよ」


そう言ってリリアナはエレノアをつき飛ばすようにしてアランの腕を取った。


普段ならリリアナの言動に嫌悪感を抱くはずが、なぜかアランは心底ほっとしてしまった。


「お待たせして申し訳ない。わざわざ出迎えに来てくださってありがとうございます」


アランもこの時ばかりはリリアナに対して本物の笑顔を向けてみせた。


リリアナもアランの笑みがこれまでとは種類が違うことを敏感に感じ取ったようだった。


はしゃいだ様子でアランを引っ張っていこうとしたが、思い出したようにエレノアのことを険しい顔でにらみつけた。


「いったい馬の世話にどれだけ時間をかけるつもりよ。サボろうったってそうはいかないわよ! もう食事は終わっているから、さっさと片づけなさいっ」


「申し訳ありません」


アランは一瞬だけエレノアと目が合ったが、先ほどの妖しい光はなく、瞳の色もただの薄茶色でしかなかった。

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