第58話 黒髑髏の正体①

エレノアはとっさに靴の踵からナイフを取り出して黒髑髏の女を刺そうとしたが、女はひらりと後ろに跳ねて一撃をかわした。


「いつもそんな物騒な物を持ち歩いてるの? 怖い子ねぇ」


笑いながら女が腕を一振りすると、周囲にもやがかかり、その場にいた三人の姿以外、何も見えなくなった。


しかもなぜか指一本すら動かせない。


もし無理にどこか動かそうとすると、切り刻まれるような激痛が体中に走る。


エレノアもアランと同じ状態に陥っている様子だったが、それでもエレノアはナイフを持った手を必死に動かそうとしていた。


「どうしてっ、どうしてあんなにたくさん殺したのっ」


エレノアが絶叫した。


「材料が欲しかったのよ。不老石を作るための、強い強い命の源が。それには生きた人間の体を使うのが一番。野生の獣で代替しようと試したこともあったけど、できあがった不老石は人間の体にうまく適合しなかったから」


アランははっとした。


この女、もしや侍従長と同じパラミア派の残党だろうか。


けれどエレノアは意味がわからない様子だった。


「あら、あなた知らないの? マーレンの末裔一族の村に住んでいたのに。誰も教えてくれなかったのかしら。あ、でもそうね。あなた以外、全員殺しちゃったんだわ。じゃあ代わりに私が教えてあげる」


女は歌うように言った。


まるでエレノアをいたぶるように。


「あなたの村はね、マーレンの知識を代々継承してきたの。でも不老石を作る技術だけはマーレンが秘匿して誰にも伝えなかった。せっかく作った不老石も自分では使わなかったみたいだし。賢明よね。でも彼の弟子たちが遺された手記や資料を手がかりに研究を重ねた。何世代にもわたって。そうしてようやく不老石を作るのに最適な方法を編み出したの。それが人間の血肉を使う方法。凡人の努力と執念が天才に追いついたってわけ。でも頑健なだけの肉体を使っても、不老石はうまく作れない。それより、なんとしてでも生き延びようっていう強い生命力を持っていることのほうが大事。例えば、あなたみたいな、ね。でもそれはちょっと見ただけじゃわからないから、集団単位で人間を極限状態にまで追い込むの。そうすると個の強さが浮かび上がるようにして見えてくる」


「まさかそんな身勝手な理由で殺したっていうの……?」


エレノアは声を震わせた。


「不満? でも私は自分がされたのと同じことをやっただけ。三百年くらい前だったかしら……正確な数字は忘れたけど。マーレンの末裔を名乗る奴らが村にやってきて、いきなり殺戮を始めたの。私以外全員死んだところで、私は拘束されて実験施設に連れていかれた。台の上につながれて殺されそうになったけど、足を広げて流し目をしてみせたら、私を切り刻むのは楽しんだ後でも遅くないって思ったみたい。数人がかりで私の体に群がって、残りの連中もニヤけた顔して眺めてる間に、近くにあった斧であいつら全員の胴体をぶった切ってやった。ついでにありったけの不老石もいただいたわ。馬鹿よねぇ。きっとあいつらは自分たちのことを賢いって思ってたんでしょうけど。だから私を恨むのはお門違い。もし恨むんなら、馬鹿なご先祖様たちを恨みなさい」


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」


エレノアは無我夢中で腕を動かそうとしていた。


エレノアのまなじりから、指先から、血がしたたり落ちる。


アランの目には、見えない鎖でエレノアの体が食いちぎられているように見えた。


「よせっ、エレノアっ」


思わず叫んだけれど、エレノアにアランの声は届きはしなかった。


必死に黒髑髏の女に手を伸ばそうともがき続けている。


悠然とエレノアの前に立っていた女だったが、急に「え?」とつぶやくと、視線を下げた。


エレノアの振り下ろしたナイフが、深々と胸につき刺さっている。


「まさかこんな……嘘でしょ」


女は信じられない、とでもいうようにエレノアに目を向けた。


エレノアは肩で息をしていたが、その両目は強烈な金色に光っていた。


女がよろめきながら後ろに数歩下がると、髑髏面に亀裂が走り、パリンと割れて女の素顔が現れた。


それは以前、路地裏に迷い込んだ時に遭遇した辻占の妖艶な顔に似ていたが、アランがはっきりと思い出す前に、女は刺さったナイフを自分で抜いて放り捨てた。


「金の瞳……まさか直系だったとはね……」


女は顔をゆがめて笑みを浮かべた。


苦しそうだったが、信じ難いことに、流れ落ちた血が逆流するように女の心臓へと還っていく。


エレノアはナイフをもう一度拾い上げたが、その刃先が届く寸前、女は腕を一振りした。


風が巻き起こり、周囲を覆っていた靄と共に女の姿が一瞬でかき消えた。


それまで凍りついたように動かなかった体が不意に自由を取り戻す。


隣でエレノアが地面に倒れて、どさりと音がした。


「エレノアっ」


駆け寄って体を抱き起こすと、エレノアは気を失っていた。


目尻から涙のような血が一筋流れ落ち、アランの手を赤く濡らした。

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