第50話 黒兜の正体②
地下の隠し部屋に入った瞬間、ジェラールは思わず顔をしかめた。
消火活動で散水したせいか部屋の中は湿っぽく、なのに焦げた嫌な臭いが鼻をつく。
ジェラールは舌打ちをした。
ここ数日、ジェイドには『危険ですからあの部屋にはもう二度とお一人で近づかないでください』と言われていたが、これでは本当にそうするしかないではないか。
王宮の中で数少ない気に入りの場所だったので、ジェラールははなはだ不機嫌になった。
部屋を出て、元いた場所に引き返そうとした時、背後で風が巻き起こった。
振り返ったジェラールは、目にした光景のせいで、さらにいっそう不機嫌になった。
「パラミアか。どうして首をはねたのに死んでない」
「そんなの、私が知りたいわよ」
風と共に忽然と部屋の中に現れたパラミアは、どこか投げやりにそう言うと、割れかけの兜を脱いで床に放り捨てた。
十年以上も前に殺したはずなのに、目の前の女は当時と変わらない姿のままである。
「ここへ何しに来た」
「なにその言い方? ここはもともと私の部屋なんですけど。そんなに嫌そうな顔しなくても、忘れ物を取りに来ただけだから、見つかったらすぐに退散するわよ」
パラミアは勝手に部屋の中を歩き周り始めたが、急に立ち止まって、しかめ面になった。
「ていうか、この部屋すごく焦げ臭くない?」
「数日前にオズワルドが火をつけたからな」
「オズワルド? 誰そいつ」
「つい最近まで侍従長をやってた。知らないのか? 本人はパラミア派を名乗っていたが」
パラミアはしばらく時間がかかっていたが、どうやら思い出したようだった。
「あぁ、あの蛇みたいな男ね。そいつ今どうしてるの」
パラミアは口では一応そう尋ねていたが、まったく興味ないのか、探し物を再開していた。
「火に焼かれて死んだ」
そう答えると、パラミアは動きを止めた。
「あら、あいつ死んだの? ふふ、いいこと聞いちゃったわ。私、あいつのこと大っ嫌いだったのよね。なんか気持ち悪くって。さっきまで気分最悪だったけど、少しマシになったわ」
「おまえ、相変わらず最悪な性格をしているな」
「そんなのお互い様でしょう。それにその最悪な性格の女を、花の館で毎回指名してきたのはどこの誰でしたっけ?」
パラミアがさも得意げな顔で見返してきたので、ジェラールのほうは気分が最悪になった。
「抱いた記憶は一度もないが。一人で酒を飲みたいだけだったのに、女を選ばないと個室は貸せないと店が言い張るから、一番邪魔にならなそうなおまえを選んでいただけだ。俺が飲んでる間、いつもベッドを占領して寝てるだけだったろうが」
「そうね。あんたが私に一度でも手を触れていたら、レオナールのおじいちゃんに頼んで後から絶対に殺してたわ」
パラミアはがさごそと物色を続けていたが、探し物に飽きたのか、立ち上がってジェラールに話しかけてきた。
「ねぇ、私の宝石箱、知らない? 絶対この部屋に置いてったはずなんだけど」
「宝石箱? あれのことか?」
ジェラールは部屋の片隅のテーブルの上を指さした。
そこには、かろうじて形を留めている煤まみれの小箱が載っていた。
パラミアが近づいて、小箱の蓋を無理やり開けると、中から赤い液体がドロドロと流れてこぼれ落ちた。
「あーあ。残念。熱のせいで不老石が溶けちゃったみたいね。あら」
パラミアは箱の中に指をつっこんで何かを取り出した。
遠目でジェラールにはそれがなんなのかわからなかったが、パラミアは手のひらに載せてしばらく眺めた後、胸元にしまいこんだ。
空の箱を放り捨て、近くに置かれていたソファにどさりと腰を下ろすと、疲れた様子でそのまま座面に体を沈めた。
行儀は悪いが、その挙措には昔からどこか人を引き付けるものがあったのは確かだった。
レオナールも、オズワルドも、不老石や秘術に強い関心は持っていたのだろうが、あれほどまでにのめり込んだのは、この女自体も理由の一つだったのかもしれない。
ジェラールは久しぶりにパラミアを観察していたが、その様子にどこか異変を感じ、ソファに近づくと、パラミアが着ていたローブのボタンをいくつか外した。
「ちょっと。私に触ったら殺すって、さっき言わなかったっけ」
パラミアはうっとうしそうにジェラールを手で払いのけようとしたが、力なく宙を空振りしただけだった。
「俺を殺す前に、おまえのほうが今にも死にそうだけどな。不死身じゃなかったのか」
ジェラールは数歩下がると、燭台の火を掲げてパラミアの体を見下ろした。
パラミアの体には、斬首された時の切断の跡が首にはっきりと残り、胸元には比較的新しい刺し傷もあった。
他にも、見えない所に無数の傷があるのかもしれない。
パラミアはローブの布を体にかき寄せると、疲れたように小さく笑った。
「何度も死ぬほどの傷を負わされると、さすがに体も摩耗するのよ。不老石だって万能じゃないわ。その不老石も残ってないし。レオナールに頼まれて作ってみたけど、やっぱりマーレンのでないと、効き目は弱かったわね」
その昔、レオナール王が存命の時に、ジェラールも一度だけパラミアの蘇りを見たことがある。
その時もひどい傷を負わされていたが、体はたちどころに元通りになり、傷跡一つ残らなかったはずだ。
「どうして不老石の研究なんかに手を出した。それさえなければ、永久国外追放にして、首を斬ろうとまでは思わなかった」
結局、晒した首はパラミア派の残党に持ち去られてしまい、本人もこうして生き返ってるわけなのだが。
けれどその時の傷がこうして残り、今になって他の傷と共にパラミアの体と命を食いちぎろうとしている。
「どうしてって、たぶんあなたが王様やってるのと同じ理由よ。あなたはレオナールのおじいちゃんを誰よりも憎んでたのに、自分を取り巻く世界に復讐するために、わざわざ跡を継いだじゃない」
「一緒にするな」
これ以上ないというほど、ジェラールは殺意を込めて口にしたが、他の人間なら卒倒するはずのところを、パラミアはからからと声をたてて笑った。
「やっぱり。図星なのね」
笑いすぎたのか、パラミアは口からこぽりと血の塊を吐き出した。
さすがに苦しかったのか、パラミアはようやく笑いやむと、手の甲で口元をぬぐった。
「何百年も界隈に出入りしたおかげで、星読やら暗示やら知識をいろいろと身につけたけど、あれは本当の化け物だったわ。せっせと絶望に突き落として、せっかく上等な材料が手に入るかと思ってたのに。とんだ誤算だったわ」
「よくわからんが、また何か悪だくみでもしてたのか。失敗したならよかった。おまえの息のかかった連中は全員狩りつくすつもりだから、後のことは心配しないでこのままおとなしく死ね」
パラミアは口端をつり上げた。
先ほど拭った血で、唇が紅を引いたように朱で染まっている。
「言っておくけど、あなたに負けたわけじゃないから」
それだけ言うと、パラミアの体が次第に砂人形のようにひび割れはじめ、灰のように崩れ去った。
弱い風がジェラールの前を通り過ぎ、一瞬だけ花の甘い香りがした。
ジェラールはソファの前に膝をつき、くたりと残っていたローブを何気なく手に取ると、布の間から何かが灰の上に落ちた。
摘まみ上げると、どうやらそれはアクセサリーのようだった。
先ほどパラミアが宝石箱から取り出した物だろう。
煤けていたので服のそででぬぐってみると、勿忘草のブローチだった。
見ているうちに、ジェラールはそれがかつて花の館を訪れた際に、ほんの気まぐれでパラミアに渡した安物のブローチであることを思い出した。
ジェラールがそれをぽいと灰の上に戻すと、勿忘草の飾りが、献花のように寂しげに揺れた。
「ふん」
もう二度とこの部屋に入ることはないだろう。
ジェラールは地下室を出て、扉を永久に閉じた。
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