第51話 ジェイド隊長
料理人の男に礼を言って食堂を出ると、アランはウィルに話しかけた。
「ウィル。前に火の玉の噂を確かめに書庫へ来たことがあったよな」
ウィルは少し考え込んでから、ぽんと手を打った。
「あったね、そんなこと。君が書庫で働き始めてすぐの頃だったかな」
アランはうなずいた。
「ロザリーが近衛府に確認して噂話について調べていた。結局、目撃者の見間違いだろうってことだったんだが」
「ふーん。まぁそうだろうね」
ウィルは気のない返事をした。
「なんだ、ウィル。あんなに興味津々だったのに、怪談話はもう飽きたのか?」
「怪談はみんな好きでしょ。その話はもう古くなっちゃったからね。最近じゃ火の玉を見たって噂もすっかり聞かなくなったし。最近の話題は夜な夜な歩き回る亡霊だよ。言わなかったっけ?」
「亡霊はともかく、さっきの料理人が話してただろ。内務府に連れていかれた役人が『人魂を見た』と言っていたって。その役人、もしかしたら火の玉の噂の出どころじゃないかと思ったんだ」
「その可能性はあるかもしれないけど、何か気になるのかい?」
アランはあいまいにうなずいた。
何が、と具体的には言えないのだが、のどに魚の小骨が引っかかっているような気分だった。
「火の玉の噂に関して、実際に巡回していた兵士本人から話を聞くのは可能だと思うか?」
アランが尋ねると、ウィルは首を横に振った。
「難しいだろうね。彼らはきっと何も言わない。名目上の近衛大将はロザリーだけど、実質的に取り仕切っているのはジェイド隊長だ。彼は絶対に部外者の干渉を許さないから」
「ジェイド隊長か。相当な実力者だと聞いてはいるが、どんな人物なんだ?」
「武芸の盛んな北部出身で、腕前はピカイチ。でも彼がすごいのはそれだけじゃない。あの雪原要塞で十年間、ずっと前線に立ち続けたんだ。これはある意味、肩書よりも大きい。兵士たちにとっては軍神に近しい存在だろうね」
「雪原要塞か。北部にある最北の要塞だよな」
「そう。環境の厳しさもさることながら、間断なく攻め入ってくる外敵たちとの攻防戦を強いられる大陸一過酷な防衛ラインと言われている。レオナール王のせいで国内の政情が乱れた時もなんとか国が瓦解せずに済んだのは、周辺諸国からの侵略を回避することができたのが大きい。若き日のジェイド隊長は、最も過酷な時期に最も過酷な場所で任務を果たし続けた。宮廷内での立ち回りはさほど得意じゃないせいか、実際の立場が功績に見合ってない向きもあるけれど、彼を崇拝する兵士は多い」
ウィルの説明を聞き、アランは弟のデュークもジェイドに憧れて近衛隊を希望していたことを思い出した。
デュークも今の話を誰かに教えてもらったのだろうかと考え、そこでふと足を止めた。
ウィルが数歩先から振り返った。
「どうしたの。急に立ち止まって。おや、眉間が寄っているね」
「いや……たしか雪原要塞のある地域は、父上が地方官として赴任した最後の場所だったと思って」
それだけ言うと、アランは立ち止まったまま、黙り込んでしまった。
マーサと料理人の男の話から判断すると、今回の内務府の検査には近衛府が協力している。
だとすれば、エドモンが近衛府に話を通したと考えるべきだろう。
兵士にとって絶対的な存在であるジェイドとエドモンの間に、表向きには知られていない密接な関係性があるのだとしたら。
デュークが尊敬する父親からジェイドの話を聞いたとすれば、あの素直な性格のデュークのことだ。
ジェイドのことも自然と尊敬するようになるはずだ。
エドモンは政治的に不偏不党の立場を貫いてはいるが、ただの地方官だった父が、誰の援助も受けずに一人で権力の中枢をのし上がることなど、はたして本当に可能だったのだろうか。
『陛下とはあまり関わるな。世間もおまえも勘違いしているようだが、私はあの方に最も警戒されている人間の一人だぞ』
アランの耳に、いつぞやの父の言葉がよみがえった。
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