第38話 年明けの騒動

年明け、アランは書庫の開放と同時に目録と書棚の照合作業を再開した。


開館時間中は朝から晩まで食事も取らず書庫に詰めた甲斐もあり、あともう少しで作業は完了しそうだった。


もしかしたら今日中に終わるかもしれない、と考えながら、書棚の前で目録の写しにチェックを入れていると、昼過ぎからふらりと書庫に現れてアランの周りをぶらぶらしていたウィルが話しかけてきた。


「何か嫌なことでもあったのかい、アラン」


顔を上げると、ウィルが隣の書棚に寄りかかってアランのことをじっと見ていた。


「なんだ急に。別に何もないが」


「そんなはずはない。鬱屈すると一つの作業に没頭するのは昔からの癖じゃないか。何年の付き合いだと思ってるんだい。親友の目はごまかせないよ。悩みがあるなら相談したまえ。またお父上と喧嘩でもしたのかい?」


「今悩みがあるとすれば、おまえがそこに立っているせいで仕事ができないということだな」


けれどウィルはアランの嫌味など聞いてはいなかった。


「ほらやっぱり。新しい年を迎えてまだ十日しか経ってないのに、今からそんなに不機嫌だなんて幸先が悪すぎる。仕事はほどほどに切り上げて、今日は景気よく飲みに行こうじゃないか」


「おい、やめろ。体にまとわりつくな。それにここは私語禁止だぞ」


「別に構わないだろ。君と僕以外には誰もいないんだし」


「そういう問題じゃない。だいたい用事もないのに書庫の中をうろつくな。また火の玉でも確かめに来たのか」


「用事はもちろんあるさ。君に会うという用事が。それに人魂の話はもう古いよ。今宮中で話題なのは、夜な夜な王宮を徘徊する亡霊の話さ!」


「帰れ! 俺は忙しい!」


思わずアランが小声でウィルを怒鳴りつけると、そこへ女性のおずおずとした声が割って入ってきた。


「あの……お忙しいところ申し訳ございません」


アランとウィルが顔を向けると、現れたのは、ロザモンドのそばでよく見かける侍女だった。


「おや、マーサじゃないか。珍しいね、こんな所で。どうしたんだい」


「ウィリアム殿下にご相談がございまして」


「僕に? 王女がお呼びかな」


「いえ、ロザモンド様は陛下のご命令で昨日から地方の巡察に出かけられております。ご相談したいというのは、恐れながら私の勝手な判断で……」


ウィルは女性にしか見せない柔らかな笑みを瞬時に浮かべた。


「いつも冷静沈着な侍女頭殿に頼ってもらえるなんて光栄の極みだよ。何があったんだい」


ウィルの言葉に、マーサはほっと安堵の表情を浮かべた。


もちろんアランはここで『私語厳禁』など無粋なことは言わなかった。


マーサの様子は、アランから見ても明らかにどこか動揺していた。


「今朝、内務府の役人が衛兵を連れていきなり王女宮にやってきたのです。風紀の取り締まりで、住み込みの使用人たちの部屋を抜き打ちで検査すると。これまでにもそういうことは何度かございましたが、たいてい検査の数日前にはそれとなく通達があったのです。けれど今回はそういう知らせは全くなく……」


「それで? 王女宮が踏み荒らされてしまったのかい?」


「はい……いえ、それは構わないのです。彼らとて仕事でしょうし。後片付けは大変ですが。ただ、その検査で新入りの女官が引っかかってしまい、衛兵たちに連れていかれてしまったのです」


横で聞いていたアランは、なんとなく嫌な予感がした。


「誰だい、その女官というのは」


「エレノアでございます。彼女はウィリアム殿下のご推挙で王女宮に配属されたと聞き及んでおりましたので、お耳に入れたほうがいいかと思い、こうして御前に参った次第です」


アランはウィルと視線を見かわした。


「いったいあの子の部屋から何が見つかったんだい。抜き打ち検査で引っかかっても、たいていは物を没収されてその場の厳重注意で終了するだろう。それで済まないほどの物騒な物をあの子が持っていたとは思えないんだけど」


「そうなのです」


マーサはウィルの言葉に我が意を得たりというように何度もうなずいた。


「エレノアが最初に王女宮へやってきた時も、ほとんど手ぶら同然でございました。あまりの手荷物の少なさに驚いた記憶があるので、私もよく覚えております」


「エレノアちゃん、僕が買ってあげたドレスも律儀に返してくれてたからねぇ。でもそれなら、役人に連れていかれる理由なんてますますないだろう」


「そのはずなのですが、王女様もご不在でしたので問答無用で連れていかれてしまいました。私が理由を尋ねても教えてもらえず……ただ、エレノアが連れていかれる際、衛兵の一人が奇妙な物を手にしていたので、もしかしたらそれが原因なのかもしれません」


マーサの口調が少し自信なさげになった。


「奇妙な物?」


「はい。よく見えなかったのですが、平べったくて。骸骨のようにも見えました。ちょっと不気味な感じはしましたけど……でもたったそれだけの物が理由で、罪人みたいに引っ張っていくだなんて。やり方があんまりに横暴ですわ」


マーサは悔しそうに声を震わせた。


ロザリーの目がなかったこともあり、よほど腹の立つ対応をされたのかもしれない。


ずっと黙って話を聞いていたアランだったが、マーサの言った『骸骨のように見えた平べったい奇妙な物』について、地下の隠し部屋で見つけた箱の中身のことをちらと思い出した。


一方、ウィルはマーサの肩に手を置いた。


「心配するな、マーサ。事情はよくわかった。知らせてくれてありがとう。僕のほうでも色々と話を聞いてみるから、君はロザリーが帰ってくるまで王女宮の留守をしっかりと預かっていてほしい」


完璧な笑みを浮かべて力強くうなずいてみせたウィルに、マーサはほとんど涙ぐみながら礼を述べて立ち去っていった。


マーサがいなくなると、アランはようやくウィルに話しかけた。


「ウィル、どうするつもりだ」


「そうだねぇ。マーサにも言った通り、色々と話を聞いて回ってみるよ。すまないね、アラン。君と飲みに行くのはまた今度にしよう」


そう言って書庫を出ていこうとしたウィルの肩を、アランは後ろからぐいと引きつかんだ。


「ちょっと待て。俺も行く」


「どうしたんだい、アラン。仕事はいいのかい。それともやっぱりエレノアちゃんのことは気になるかい?」


「茶化すな。ウィル、おまえエレノアの件で何か心当たりがあるんだろう」


「どうしてそんなふうに思うんだい。僕もマーサの話を聞いて混乱しているというのに」


「そっちだって何年の付き合いだと思ってるんだ。おまえ、さっきマーサさんに任せておけと言った時、なにか秘密がある時の笑い方をしてたぞ。昔からの癖だ」


「アラン、僕は嬉しいよ。君がずっと僕のことをよく見ていてくれたなんて……いた、いたたた。わかった。わかったから肩をそんなに強くつかまないで」


アランがウィルの肩から手を離すと、ウィルはふぅと息をついた。


「一つ約束してほしいんだけど。これから僕が何を話しても、怒ったりしない?」


「怒るような内容なのか?」


ウィルは口を閉じた。


微笑しているが、こういう時のウィルは手ごわい。


「……わかった、約束する。何を聞かされても怒らない」


そう言うと、ウィルはしばしアランの顔を見てから大きく一つうなずいた。


「ふふ。交渉成立だね」


それからウィルはアランに話を始めた。

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