第43話 一夜明けて

書庫に戻った時にはもう明け方だった。


窓の外がほのかに白みはじめ、薄暗くても周囲が見えないほどではない。


ジェラールに言われたとおり、アランは隠し扉が見つからないように書棚を元に戻し、地下室への出入り口をふさいだ。


ゴゴゴゴ、と壁の内側で構造物のきしむ音が反響し、やがてその残響も消えてなくなると、書庫に再びの静寂が訪れた。


長い長いため息をつくと、アランは床に腰を下ろして足を投げ出した。


とてつもない倦怠感が体を襲ってきたが、目と頭は異様に冴えていた。


ジェラールは人をやると言っていたが、それがいつになるかはわからなかったので、少しでも体を休ませておこうとアランは無理やり目を閉じた。


眼裏には、昨日からあった出来事が浮かんでは消えていく。


地下室の扉が閉じる寸前のエレノアの姿がぱっと浮かんで、その瞳が金色に光った瞬間、アランは目を開けた。


呼吸が荒い。


どうやら眠り込んでいたらしかった。


エレノアが無事にあの地下室を出ることができたのか、アランは急に気がかりになってきた。


ジェラールは先王レオナールの時代に蔓延した悪癖を一掃するため、法治主義を徹底したことで知られる。


理性的な賢王と称えられる一方、その性格は苛烈であるとも噂されていた。


たまたま迷い込んでしまった女官をまさか厳しく罰したりはしないと思うが、なぜジェラールはエレノアにだけ残れと言ったのだろうか。


座り込んで悠長に助けを待っている気分ではなくなり、アランは床に手をついて立ち上がった。


中途半端に寝落ちしたせいで倦怠感はかえって強まっていたが、正面の出入り口まで行くと、アランは思いっきり扉を叩いた。


「おい、誰かっ。外にいないかっ」


応える声はなかったが、アランは根気強く扉を叩き続けた。


どれくらいそうしていただろうか。


不意にカチャリと鍵音がして、扉が開いた。


アランは危うく前に転びそうになったが、どうにか踏みとどまると、立っていたのは鍵束を手にした侍従長だった。


「大丈夫でございますか?」


「はい、なんとか。もしや陛下に頼まれて?」


アランの言葉に侍従長は鷹揚な笑みを浮かべた。


どうやらジェラールはアランに言ったことを忘れずにいてくれたらしい。


そのことが、アランの心を少しだけ落ち着かせてくれた。


アランが外に出ると、侍従長は扉を閉めて鍵をかけ直した。


「ありがとうございます。お手間を取らせてしまい申し訳ありません。ですがこのことはどうか内密に」


地下室の話が広まればエレノアの首をはねる、と脅されていたことを思い出し、アランは侍従長に念を押した。


「心得ておりますよ、アラン・ロシュフォールド様。ご安心ください」


侍従長は深くうなずいた。


これで一安心かと思いきや、間が悪いことに近くを人が通りかかった。


近衛隊長だった。


しかもこちらに向かって闊歩してやって来る。


近衛隊長はアランと侍従長の前で急停止した。


「ここで何をしているのですか?」


近衛隊長の口ぶりは質問というより詰問に近かった。


王宮内の安全を預かる近衛府の長としては、妙な取り合わせの二人がこんな明け方に外で立っているのが気になったのかもしれない。


どうすればこの場をうまく切り抜けられるかアランは必死に言い訳を考えたが、徹夜明けの頭に妙案は浮かんでこなかった。


ここでも侍従長が助けてくれた。


「偶然お会いしたので挨拶していたのですよ。ジェイド隊長もお早いですね。もう訓練の時間ですか?」


「ええ、まぁ」


近衛隊長は侍従長と話しながらも、視線はアランに向けていた。


「おや、でも練兵場に行くのであれば、場所は反対側ではございませんか?」


「たまたまこちらの道を通っただけです」


「なるほど。わざわざ遠回りをして体を鍛えていらっしゃるのですね。いやはや、さすがでございます」


「……。もう行きます。引き止めて申し訳ない」


近衛隊長は最後に鋭い一瞥をアランに投げかけると、さっと身をひるがえして立ち去っていった。


アランは無意識につめていた息を大きく吐き出した。


「ありがとうございます」


「いえいえ、なんのこれしき」


侍従長は奥ゆかしい笑みを浮かべた。


さすがの貫禄である。


挨拶してアランも書庫の前から立ち去ると、エレノアの安否を確認しに王女宮へと急いで向かった。


その途中で、アランは道の先にエレノアの後ろ姿を見つけた。


速度を上げたが、体が重くて思うように距離が縮まらない。


「エレノアっ」


エレノアが立ち止まり、振り返った。


アランがようやく追いつくと、エレノアはアランの顔を見て眉根を寄せた。


「アランさん、大丈夫ですか? かなり顔色が悪いようですが」


エレノアの身を案じて走ってきたアランだったが、逆に心配されてしまった。


「寝れば治る。それより無事にあの部屋を出られたんだな」


「はい。陛下が普段お使いになっている扉から出していただきました」


「どこにつながってたんだ?」


「王宮の中の部屋の一つでした。他より数段高い場所に立派な椅子が置いてあって、その後ろの壁に隠し扉がありました」


「……立派な椅子?」


「はい。黄金でできているのか、ピカピカしていました。椅子の背が大きいので、誰も隠し扉に気づかないみたいです」


「…………」


聞いていて、アランはその立派な椅子というのは、もしや玉座のことではなかろうかと思った。


「玉座の間」にあるその椅子は特別な椅子で、王しか座ることが許されない。


玉座が置かれている場所に立つことが許されるのも、王だけである。


もし王以外の人間が玉座へと続く階に足をかけようものなら、大逆罪にすらなりかねない。


なんだかアランは動悸がしてきたので、それ以上詳しく尋ねるのはやめておいた。


すでに体がフラフラなのに、本当にこの場で卒倒してしまう。


「……まぁお互い無事に出られてよかった」


「はい」


エレノアは軽く頭を下げると、王女宮の方へと立ち去っていった。


足取りはしっかりしている。


アランも方向転換して、正門に向かって歩き出した。


とりあえず帰ったらすぐにベッドに倒れ込むつもりだった。

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