第36話 古書店主との会話

ソロンに報告を終えて学術院を出たアランは、この後どうするか迷った。


これから王宮に戻っても書庫で作業する時間はあまりない。


定刻になると書庫管理の役人が出入り口に鍵をかけて帰るので、それまでに出なければならないのだ。


今日はもうこのまま家に帰ってしまおうと歩いている途中で、アランは久しぶりに古書店に立ち寄りたくなった。


ここしばらく足が遠のいていたのだが、店を訪れて中に入ると、他に客の姿はなく、会計場所で読書中の店主がちらりとこちらを見ただけだった。


アランは最初ただ本の背表紙をひたすら無心に眺めているだけだったが、一冊の本の前で雷に打たれたように意識が覚醒した。


青地の背表紙には『マーレンの魔導書』と金字で書名が刻印されている。


アランがこの本に目を吸い寄せられたのは、羊皮紙にまとめた書庫の紛失本リストの中に、その書名があったのを覚えていたからだ。


アランはその本を棚から急いで取り出すと、パラパラとページをめくった。


マーレンという名の見習い魔法使いの少年が、冒険を通じて一人前の魔法使いに成長するおとぎ話だ。


挿絵も多く、子どもも大人もどちらが読んでも楽しめそうな本である。


いったいどうしてこの愉快な冒険譚がかつて禁書の烙印を押されたのか、アランにはさっぱり理解できなかったが、悪しき時代は終わっているので、一般に流通していれば、王宮の書庫に見当たらなくてもこうして書店や貸本屋で読むことができる。


アランはこの本を棚に戻さず買っていくことにした。


この古書店には思いがけない掘り出し物が多い。


他にも同じように禁書だった本がもし置いてあれば一緒に買っていこうと思いつき、羊皮紙を手元に取り出して店内をぐるぐる回っているうちに、さらに二冊の本を見つけた。


一冊は山岳民族の習俗について記した本で、もう一冊は植物の薬効を図解した事典だった。


三冊持って会計しに行くと、寡黙な店主は読みかけの本を置いてのっそり立ち上がったが、アランの買い求めた本を見るなり、ぎょっとした顔でアランと本を交互に見比べた。


店には何度も来ているが、店主のこんな様子はこれまでに見たことがなかった。


「あの、何か?」


「お客さん。あんたまさか検閲局の回し者か? それとも異端かぶれか? うちはどっちもお断りだぞ」


それは猜疑と怒り、そして恐れが混ざった声だった。


「どちらも違いますが」


アランは困惑気味に答えたが、店主は少しも納得してない様子だった。


仕方がないので、アランは自分が学術院のソロン学長の手伝いをしていること、三冊の本はその手伝いの参考資料として買い求めたことを説明した。


ソロンの名前を聞くと、頑なだった店主は態度を軟化させた。


「そうか。あの人なら信頼できる。いや、いきなりすまなかった。昔ひどい目に遭わされたことがあるものだから」


店主は決まり悪そうに謝罪すると、アランが買おうとした本の合計金額を計算し始めた。


アランはこっそり店主のことを観察した。


見たところ店主の年齢は六十前後。


ソロンとほぼ同年代だ。


この人も先王の悪政がもたらした災いに苦しんだ経験があるのかもしれない。


それにしても先ほど店主が口にした言葉のうち、「異端かぶれ」と言われた理由がアランにはよくわからなかった。


「検閲局の回し者」はまだ理解できる。


買い求めた本がすべて過去に禁書となっているので、アランが客を装いつつ店を検査していると店主が疑ってしまった可能性はある。


けれど「異端かぶれ」のほうはいくら考えても理由が思いつかない。


「異端」という言葉をここ王都で使う場合、それは魔術や呪法に関することを指す。


先王は祭司パラミアを妄信して圧政を敷くようになったので、パラミアが行った祭祀を想起させる事柄が人々の間で「異端」として忌避されるようになった、というのが通説だ。


パラミアが処刑された後もその傾向は長らく続き、もし異端者扱いされれば、村八分はもちろん親戚知人にも絶縁され、社会的に抹殺されたという。


さすがに最近はそこまで極端な例はないと思うが、「異端」というのが今でもかなりのパワーワードであることは間違いない。


もしアランの買った本の内容が店主を刺激したのだとすると、可能性があるのは一番最初に見つけた『マーレンの魔導書』くらいだが、そこまで過敏に反応するほどの内容とは思えなかったし、そもそも気になるなら自分の店で売り物として取り扱ったりするだろうか。


支払いを済ませて本を受け取ると、アランは思いきって店主に尋ねてみた。


「あの、先ほどおっしゃっていた『異端かぶれ』についてですが」


「あ、ああ。本当にすまない。驚いただろう。つい口が滑ったんだ。忘れてくれ。お詫びと言ってはなんだが、もっと資料が必要ならいつでも言ってくれ。探しておくから」


「ありがとうございます。でも気分を害したわけではありません。単純に自分がそう言われた理由を知りたいと思っただけです」


店主は虚をつかれたような顔をしたが、店内を見回して周囲に人がいないことを確認すると、アランに理由を説明してくれた。

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