第35話 禁書目録
アランが学術院を訪れて状況を報告すると、ソロンはうなるような声で聞き返した。
「本が消えているだと?」
「はい」
アランは神妙にうなずくと、携帯してきた羊皮紙の束をソロンに差し出した。
分厚いので、紐で綴じてある。
「これは?」
「書庫の目録と書棚を照合して、実物が見当たらなかった本の一覧です。目録から抜き書きしてまとめておきました」
「こんなにあるのか?」
ソロンはぎょろりと目を見開いた。
羊皮紙にまとめた紛失本の冊数は、数百冊にものぼった。
しかもまだ確認の途中なので、まだ増える可能性が高い。
「もしやこれを君一人ですべて調べたのか?」
ソロンの問いに、アランは慎重に言葉を選んで答えた。
「他の皆さんはお忙しいと思いますし、こういう単純作業のために呼ばれたのだと承知しています」
「まったく。こういう地道な作業こそ学問の基礎だというのに……」
ソロンはぶつぶつと憤りながら羊皮紙の束をめくっていたが、途中から独り言がぴたりとやみ、何度もページを行ったり来たりし始めた。
その様子は、まさに鬼気迫る、という言葉がぴったりだった。
「先生……? どうかされましたか」
「君はここにまとめてくれた書名を見て、何か気づかないか」
ソロンがアランに羊皮紙の束を返してきたので、アランもじっくりと見直してみたが、本のジャンルは哲学、科学、旅行記、歴史書とばらばらで、民間の説話集や子ども向けの童話なども含まれている。
書名や著者、書かれた年代にも共通性や規則性は見いだせない。
「わかりません」
アランは観念して答えた。
まるでソロンに家庭教師をしてもらっていた時の生徒に戻ったような気分である。
「まぁわからんでも仕方がない。私も気づいたのはたまたまだ」
ソロンもアランが答えられるとは思っていなかったのか、あっさりとそう言った。
「おそらく書庫で見当たらない本というのは、すべて先王の時代に禁書として認定された本だ。ほれ、私の本も何冊か混じっているだろう」
アランは羊皮紙を素早くめくって確認した。
碩学の徒であるソロンは、先王の時代に行われた言論弾圧と思想統制の最中にも己の学説を曲げず、十年間監獄に入れられた過去を持つ。
ソロンの本が混じっていることは気づいていたが、自分が抜き出して作ったこのリストがまさか「禁書」だったとは思いもよらず、アランは食い入るように羊皮紙を読み返した。
「君が作ってくれたその羊皮紙の一覧、他に誰かに見せたりはしたか?」
ソロンに尋ねられて、アランは慎重に思い返してみた。
学術院の面々はここしばらく誰も書庫を訪れていない。
目録から羊皮紙に抜き書きする作業は家に持ち帰ってやっていたが、グエルは書斎の中に勝手に入ったりはしない。
書庫管理の役人には、書庫から本を持ち出したことはあるかと一度尋ねたきりで、その後はすれ違った時に挨拶をする程度だ。
ウィルとロザモンドには話をしたが、どんな本が見当たらないのか、一覧までは見せてはいない。
エレノアもロザモンドの使いで一度やってきたが、彼女についてはそもそも字が読めなかった。
「先生にお見せしたのが初めてです」
アランの答えにソロンは安堵したようにうなずいた。
「そうか……派遣したメンバーが君一人に仕事を押しつけて知らん顔をしているのはまったくもってけしからんが、結果的にはそれでよかったのかもしれん」
「どういう意味でしょうか?」
「先王の時代のこととはいえ、『禁書目録』は政治の暗部だ。つつけば何が飛び出してくるか見当がつかん。知っている人間は少ないほうがいい」
「……つまりこのまま気づかなかったことにすべきだと?」
「それだけは断じてない」
ソロンは間髪入れずに否定した。
「誤解しないでくれ。私は慎重に対応すべきだと思っただけだ。言論統制を始めた先王は、発禁処分にした本を見せしめのため大勢の前で燃やした。どれだけの貴重な書物が失われてしまったことか……。もし今回の書庫の調査でそうした書物をほんの一部でも発見できれば、それはどんな金銀財宝にも代えがたい人類の叡智を取り戻したことになる」
恩師のその言葉は、アランの心を打つのに十分だった。
「失礼な物言いをしました。どうかお許しください」
「そんなことは気にしないでいい。それより君はこれからどうする?」
「どう、とおっしゃいますと?」
「私は君の能力と人柄についてよく理解しているつもりだ。けれどお父上の立場を考えると、君はこの件にむやみに関わるのは控えたほうがいいかもしれん」
「先生。私も途中でやめるつもりはありません。どうかこのまま手伝わせてください」
「そうか……そう言ってくれるなら、本当にありがたい」
ソロンはアランの手元にある羊皮紙の束を凝視しながら、苦渋にみちた声でつぶやいた。
「本を焼く王はいずれ大勢の人間を焼く。私が生きながらえたのは、ただ運がよかっただけだ」
それを聞いて、なぜかアランはエレノアのただれた肌をふっと思い出した。
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