第32話 火の玉の噂

「ここで君は何をしているんだい?」


「俺は恩師の紹介で書庫整理の手伝いだ。おまえは?」


「僕は火の玉の噂を確かめに来たんだ」


「火の玉?」


「宮中では今、夜中に書庫で火の玉が浮かんでいるともっぱらの噂なんだよ」


「そんなわけあるか。ただの見間違いだろ」


アランの一言に、ウィルは衝撃を受けた顔をしていた。


「そんな……夢もロマンもないことを……」


「なんでそうなる」


「だってそうだろ? 王宮では火の始末を徹底して行っている。しかも場所は夕方までしか利用できない書庫の中。存在するはずのない火が浮かんで見えるなんて、聞いただけでゾクゾクしてくるじゃないか」


「ウィル。悪いが今は真剣に考え事をしている最中だ。おまえの冗談につき合う暇はない」


「おや。では今度は僕が君の話を聞こうじゃないか」


ウィルが話をするよう何度もしつこくせがんでくるので、アランは根負けして状況をざっと説明した。


「そりゃ君、実家に帰って父上に力添えを頼めばいい。ロシュフォールド卿から担当部署に一言圧力をかけてもらえば、いっぺんに話が進む」


「却下。それ以外で」


「頑固だねぇ、君は。まぁ本が外へ流出してないか心配なら、ロザリーに当たってみるとか」


「ロザリーに?」


「王宮内の物品を勝手に持ち出すのは重罪だよ。読書や調べ物をしたいだけなら、書庫の中で済ませればいい。処罰の対象になる危険を冒して誰かが本を持ち出したとすれば、盗品市場で愛書家や蒐集家に売りつけるため、というのがまぁ妥当な線だろう。王宮の人と物の出入りは衛兵たちが取り締まっている。ロザリーなら変な動きがなかったか簡単に調べられるはずさ」


アランはなるほど、と思った。


「ウィル、頼む。とりついでくれ」


「え、今から?」


「善は急げだ。おまえがいてくれれば話が早い」


アランがウィルを引っ張って王女宮にすぐさま向かうと、門の近くで掃き掃除をしている女官を見つけたので、中に取り次いでもらおうと声をかけた。


「君、王女殿下はいらっしゃるだろうか」


ほうきを手に振り返った女官を見て、アランは固まった。


「やぁ、エレノアちゃん。お仕事頑張ってるみたいだね」


ウィルがアランの隣でにこやかに挨拶すると、エレノアは軽く膝を折って宮廷風の礼をした。


「確認してまいりますので少々お待ちください」


王女宮に入っていくエレノアの後ろ姿を見送りながら、アランはウィルに質問した。


「あの子、ここで働いてるのか?」


「そう。あれ、言ってなかったっけ。王宮で働きたいって頼まれたから、仕事を紹介したんだよ。ほら、ロザリーって王女としてはちょっと変わってるから、苦労知らずのお嬢さんだと面食らってなかなか続かないみたいで。ここ、実は万年人手不足なんだよねぇ」


「あの子ならその点は問題ないだろうが……」


「ん? なんか不満そうだね」


「不満なんかない。むしろ所在がわかってほっとしている。ただ、以前うちで働かないかと声をかけた時に断られたから、なんで王宮なんだろうと思っただけだ」


たしかに王宮勤めは給料もよく、誰もが憧れる人気の就職先だが、エレノアは金の問題ではないと言っていた。


まさか王宮の華やかさに憧れているようにも思えない。


不思議がるアランに、ウィルはさらりと言ってのけた。


「君んちで働いても、つまんなそうって思ったんじゃない?」


悪意のないウィルの一言にアランは内心激しい衝撃を受けた。


持てる精神力をすべて発揮し、どうにか表面上の平静さを保っていると、エレノアとは別の女官がやってきて、アランたちを中へ案内した。

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