第十九章

 このあと門田は瑠璃山ルリ子の半生を語った。


 母は大衆演劇の女優でした。祖父はその『つみき座』を率いる座長だったんですが、隆盛を極めた時代を経て下火の時代を生きていました。庶民の娯楽は映画やテレビへと移り、お客の動員数も減少が続いて一座を閉じる同業者も増えていました。それでも母はつみき座を守るために頑張っていました。地方の炭鉱や温泉場、ダムの建設現場などでは客の入りも多かったし、なにより母は人気があったんです。ただダムが完成し炭鉱の閉山が当たり前のようにニュースになると、演芸場を閉める興行主も増えていよいよ先行きを決断する必要がありました。祖父は県外の三か所の演芸場を拠点として活動を続けることにしました。そこは温泉場に近く交通の要所で、固定客が多い地域だったからです。それでも十五名ほどいた劇団員は先を見越して辞めてゆく者もいました。祖父と母を含めて八名にまでなったとき母に大きな転機が訪れました。母の熱烈なファンの一人で、一座につきまとうように観劇をしていた男がプロポーズしたのです。母は喜んだようです、母もその男を好きだったのです。でも母にはだからといってそれを受けることはできませんでした。凋落傾向とはいえ、母の肩につみき座の行く末がかかっていたからです。祖父にも話さずに迷いつつ返事を先延ばしにしている時に母の身体に変化が起きてきました。母は妊娠していました。そうなると隠すこともできず仕方なく母は祖父に相談しました。祖父は一座の解散をを口にし、その男との結婚を勧めました。それはその男が山川建設グループの社長の息子だったからです。だけど母は祖父からそう言われると、かえって気持ちは一座の方へと傾きました。結婚はしないと祖父に宣言し、子供も産んで自分が育てると言いました。相手の男には妊娠していることは伏せてあったようです。それを言ってしまうと一気に結婚へと突っ走ってしまうことになるとわかっていたからです。

 母は出産し一か月ほど公演を休みそして舞台に立ちました。相手の男にはプロポーズを断りもう会わないと一方的に言ってあったようです。芝居ももう観に来ないでくれと伝え、つみき座の女優として生きてゆくと言ってあったようです。だけど予想以上に子を育てながら芝居を続けることは大変だったのです。なにより他に女性がいないのが致命的でした。乳呑み児を育てるのは片手間でできるほど甘くはありませんでした。祖母は早くに亡くなっていたし、劇団員も男たちばかりで妻帯者もいましたが、住所地で他に働きに出ていました。なにもかも母一人でやるには限界がありました。母は一つの決断をしました。昔の劇団員で今は小さな居酒屋を切盛りしている子供のいない夫婦にその子を預けたのです。いや、正確に言うと養子縁組を結んで手放したのです。それは今でも母の大きな傷になっています。そして身軽になった母はつみき座の女優として公演に励んだかというと、そうではなかったのです。

 母は子供を手放してしまったことで精神的に病み、舞台に立てなくなってしまったのです。それは思いのほか深刻で、祖父と他の団員で公演を続けたものの観客は減り続け、結局一座は解散となってしまいました。責任を感じた母はうつ病となり長らく家に籠ったまま外へ出ることができませんでした。それを打ち破ったのが、山川建設グループの社長の息子でした。祖父が連絡をとり相談したのです。

 

 それから話は瑠璃山ルリ子が神経科に通院しながら療養生活に入り、その後山川建設グループの社長の息子と結婚、そして元気を取り戻すまでに十年の歳月が必要だったと続いた。社長の息子には結婚の際に養子に出した息子のことを話し、許しを請い、そしてその子供をおもんばかって新たな子供は作らなかった。両者には微妙なすれ違いが生じ、決して幸せな結婚生活とはいかなかった。ただその間祖父はかつての演劇の日々を懐かしみ、元団員たちと連絡を取り合いながら昔話に興じ、やがて認知症となって肺炎を患って亡くなった。ある日のこと、テレビを何気なく見ていた瑠璃山ルリ子は当時普及しはじめていたパソコンによるインターネットの番組を見て、もっと昔の劇団員たちと繋がることはできないかと思うようになった。彼女は時間をかけて音信不通となっていた劇団員たちも探し出し、仕事や生活の現状を把握すると、専務になっていた夫に山川建設への雇用の機会を与えてくれないかと頼んだ。もちろん本人にその気があるならの話だが、半数ほどが山川建設の社員となった。つぎにグループ内のマンションの部屋が空くと、そこへ優先的に住まわせた。瑠璃山ルリ子が多少の援助をしながら、彼らの生活の安定を図った。そして遠方にいる劇団員たちも含めてお互いの情報を交換する『つみき座通信』を始めた。これが同じマンションの居住者たちの間で話題になり、ルリヤマタイムスへと発展していった。そして元団員たちと住民たちとの交流を図り、集会室で行った『婦系図、湯島の白梅』は人気となり、また芝居をやりたいという団員たちの思いに駆られてルリヤマ歌劇を設立するに至った。

 西崎は二つの疑問を口にした。「その養子にしたという子供はどうなったんですか」先日太田から聞いた話が耳に残っていた。そのことをどうやって調べたのかはわからないが、一通だけその投書が出されたのだ。

 「その子供はわたしです」と門田はなんでもないように答えた。

 えっ、とことばに出せずに驚いていると「わたしが門田という名字なのはだからです、養父と養母は山川建設グループのマンションに住んでいます、そのマンションで集会室公演があるときはスタッフとして参加しますし、今度の新作の公演では端役での出番もあります、だからこそ、わたしとしては母に今の事業を続けてもらいたいんです」

 「でも、その投書がきたからといって、住まいを引っ越してルリヤマタイムスやルリヤマ歌劇団を辞めるなんて、瑠璃山ルリ子さんらしくない気がするんですが」

 「これはわたしの考えなんですが、母にとってルリヤマタイムスもルリヤマ歌劇団も自分の人生のかかった大切な事業だったんだと思います、女優として生きてきたつみき座からの流れをくむものなんです、その大切な事業が今回の金田久美子さんの事件に関わっていたから、そのショックは相当だったようです」

 「でもまだ真相はわかってないじゃないですか、みんなが関わっていて誰のせいということもないし、最初から言われていたとおり、結局はわたしが一番関わっていたんじゃないかって、そう思っているんですよ」

 西崎の目にあの日別れてからの幾つかの久美子との関わりが浮かんだ。こちらは知らないのに久美子は知っていたという、そんな話が幾つもあるのだ。

 「瑠璃山さんが引っ越して手を引くなんて、周りの人たちの誰か知っているんですか、それにそんな話みんなが納得するんですか」

 門田は苦し気に「だから」と言った。「西崎さんに話しているんです、おそらく明日母は言うつもりでいるのだろうと思います、西崎さんにお願いしたいんです、母をなんとか引き止めてください、いやそんな話をさせないような、もし話してもなんとか引き止めるようなそんな明日にしてもらえないかと」

 大きく吐息をついて西崎は言った。「それは私の役割じゃないですよ、それは門田さんが一番適任じゃないんですか、だって一人息子なんでしょ」

 「そうですね」と声を絞り出しながら「わかっているんです、でも母は今でもわたしに負い目を持っていて、何を話しても悲し気にただ見つめるばかりなんです」

 しばらく沈黙が流れた。「わかりました」と西崎は言い「でも」と続けた。「どうなるか約束はできません、それにわたしよりもむしろ木村さんや柘植さん、そのスタッフの人たちが引き止めるんじゃないでしょうか」

 「そうですね」と門田が頷いた。

 「だって、瑠璃山さんはそうされるだけのことをやっているんだって、誰もが認めていると思いますから」


 翌日、西崎は朝から落ち着かなかった。どこか上の空の感じで住民から「毎日暑いですね」と挨拶されても「ほんとにセミの鳴き声がうるさいですね」と見当違いの返事をした。いつもにまして適当感のある掃除をして管理室に籠り、太田や高田に連絡を取り、今日の集まりのことをああだこうだと話した。そして五時前に荷物を持ち、エアコンを消し明かりを消し、終業の点検をして時報と同時に管理室にカギを掛け自転車に跨った。

 アパートを出たのは三十分前で早々にシーラカンスに着いた。いつも嫌々行くのにこんなに気持ちがはやったのは初めてだった。当然一番乗りを思っていたのに、店内には木村や柘植はもちろん、太田に高田、北田に佐々木弁護士、金田雄大、まさかの多田、それに瑠璃山ルリ子の面々が六つのテーブルを合わせた席についていた。加えておそらく元劇団員だろうと思われる数人とスタッフもまじえたマンショの住民、その中には川村や村岡塔子の顔も見え、テーブルを囲むように別のテーブルの座っていた。もとより店の入り口には本日貸し切りの看板が掲げられ、一般客が怪訝な表情で帰っていた。

 西崎はいつもと違って異様に静まり返ったテーブルへ行き、多田の隣に座った。なその静けさがやりきれなくて「みなさん早いんですね」と言うと、「誰だって気持ちは同じさ、今日が最後だからな」と木村五郎が答えた。

 「もう全員揃ったんじゃないですか」と言ってから、酒井悠太がまだだと気がついた。「本当に来るんですか」と佐々木弁護士に聞くと「はい、約束してくれました、自分が知っていることを全部話すと言ってくれました」

 瑠璃山ルリ子が「ウエイトレスさん」と手をあげ、「もういいでしょう」と声をかけた。「わかりました」と声が返ってきて、二人のウエイトレスがそれぞれワゴンを押してきて、各テーブルに人数分のコーヒーを置いてまわった。

 「あと一人来ますから、その時はわたしが言わなくてもすぐに出してください」

 瑠璃山ルリ子はそう言ってから「みなさんやっぱり、いつもと違う雰囲気で戸惑っているようですので、まずコーヒーでも飲んで気持ちを楽にしましょう、酒井悠太さんもそのうち来るでしょう」

 そうですねとか、なんか緊張感があるよなとか誰かが言い、砕けた感じの声があちこちから聞こえ、カップとソーサーのふれる音がしてコーヒーを飲み始めた。西崎は「まさか多田さんまで来てるなんて、びっくりしました」と言うと「まあ呼ばれたんで、一応関係者ということんだろうな」と小声で言った。そして「事件のことはニュースで知っていたけど、こんなに大変なことになっていたなんて、正直びっくりだよ、この前金田雄大君といっしょに西崎が来た訳がわかった気がするよ」と続けた。

 と、その時、「こんばんは、遅くなりました」と背後から声がした。その場にいた全員がそちらを振り返ると、男が一人立っていた。酒井悠太だった。

 

 




 

 

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