第十五賞

 雄大は続けた。「父と母はいつからかよく喧嘩をしていました、わたしがマンションに帰ると言い合いをしている場面に出くわすことが多かったんです、だからこの時も関わることはやめて玄関に花を置いてそのまま帰ったんです、父が亡くなり母が逮捕されてすごくショックでした、それでもなにもかも全部忘れて再出発のつもりでマンションで母を待とうと決めたんです、瑠璃山さんから電話をもらった時は辛かったんですが、でもそういう訳にもいかないのかなって思って、前へ進むには必要なことなのかなって思って、思い出したことを言おうと決めたんです」

 「西崎さん」と瑠璃山ルリ子が言った。みんなが彼を見ていた。「雄大君には感謝しなければなりません、だからあなたも頭から自分は関係ないじゃなくて、よく考えてほしいのよ」

 「信じられないんです」とことばが漏れた。西崎には実際その通りだったのだ。 「わたしは、多田製販に社員として働いていました」

 テーブルを囲むメンバーたちの息を飲む気配が伝わってきた。そして「多田製版の社長とは今でも懇意にしていて、昨年の暮れに仕事を辞めたわたしに、ネットの求人サイトに管理人の仕事が載っていると教えてくれたんです」多田浩介への感謝の気持ちは今も変わらない。でも、でもと思ってしまう。

 「よし」と木村五郎が言った。「そこでだ、北田さん、あんたの出番だ、雄大君も西崎さんも言ってくれたんだ、あんたも真相を言う場面じゃないのか」

 「わかりました」と北田が言った。「でもわたしはこんな大きなことだとは思ってなかったんです、ただ金田光一さんから電話をもらったんです、もしかすると西崎康宏という男が管理人に応募してくるからそのときは採用してやってくれと」

 名指しだったんだと西崎は苦笑した。「いったいなんで」と呟いた。

 テーブルを囲むメンバーたちの表情に幾らかの安堵が浮かんだ。「繋がりましたね」と誰かがが呟いた。

 「でも」と北田は続けた。「金田光一さんはだからといって口止めする訳じゃないし、こっちとしてももう何か月も応募がないんですから、もし本当にそういう人が応募してくるのなら、頼まれなくても採用するんです」

 「わかった、あんたの立場としてはそうだろう、でも今は背景として繋げることが大事なんだ」木村五郎のことばは誰もが納得するものだった。

 「光一君は西崎さんをこのマンションの管理人にしようとしていたってことか」柘植雄一郎が言った。「それはどういうことかというと」

 「やっぱり久美子ちゃんのためかな」

 「それが自然な考え方ですね」

 「久美子ちゃんが望んでいたってことだろう」

 「これまでにわかったことを総合すると、これは結局のところ金田家の問題なのよね、そこでですね」と瑠璃山ルリ子が言った。「雄大君にお願いあるの」

 「はい」と金田雄大は張り詰めた表情で返した。

 「あなたに参加してもらって本当によかった、やっぱり家族なのよね、だけどこういう場はあなたには辛いことだし迷惑な話でもあるのよね、だから今後は今回の事件を記事として載せることを止めるし、当然ルリヤマタイムスとして配信もしない、読者にはその旨をお詫びとして次の号に載せるわ」

 西崎は当然のことだと思うが自分のときとは扱いが違うので不満でもある。

 瑠璃山ルリ子は続けた。「だけど、わたしたちは久美子ちゃんを大切な仲間だとおもっているし、久美子ちゃんがマンションに戻ってくるのを待ちたいと思っている、今回の事件を共有したい思っている、だから調べてくれないかしら、光一君と多田製版との関係、そして久美子ちゃんや光一君と西崎さんの関係」

 押し黙ったままの西崎と太田、北田は顔を見合わせた。どういうことだとそれぞれの顔がそう言っている。

 西崎はおずおずと口を開いた。「わたしが関係ないとはもう言いませんが、でも雄大君には酷なことじゃないですか、そんなことお願いする権利はないんじゃないですか」

 「わかってます」瑠璃山ルリ子はこころなしか疲れているように見えた。「だからこれはお願いです、雄大君が決めることです」

 金田雄大は「実は」と言った。「正直、こんな会議は迷惑だと思っていました、母がルリヤマ歌劇団を楽しんでいることは知っていましたし、ルリヤマタイムスも父や母の生活に深く入り込んでいることを知っていました、それはこの場にいるみなさんとの関係が大切なものなんだってことだろうってわかっていました、それでも会社での自分の立場とか世間体とか、事件のことだけでもショックなのになんで苦しい目にあわなければならないんだと思っていました、でも最近少しずつ気持ちが変わってきたんです、この場でわかったことはわたしが知らない母であり父であり、それは二人を深く理解するうえでとても有益なことなんだとわかってきたからです、そしてみなさんとこうして話し合えることが案外気持ちの支えにもなっていると気がついたんです、だから」と雄大は西崎を見た。「西崎さん、あなたにも手伝ってもらいたいんです、いっしょに調査しませんか、わたしやあなたが知らなかった母や父のことをもっと知りたいって思いませんか」

 自分に振られて驚いた西崎はことばが出てこなかった。

 「よかった」と木村五郎が叫んだ。

 「本当に、雄大君ありがとう」とか「協力するからなにかあった時は言ってくれ」と声が続いてから瑠璃山ルリ子が締めた。 「次号のルリヤマタイムスの特集は新作の紹介第二弾とする、『ふぞろいの干し柿たち』と『ジジババ七人冬物語』の二作だから期待が高いの、チケットの発売日の問い合わせもきてるから、合わせて発表するつもりよ」と言ってから瑠璃山ルリ子は雄大に声をかけた。「よければ次の編集会議でわかったことを結果を報告してもらえないかしら、もし不都合なことがあったらそれは伏せてもいい、あなたが話せることだけでいいから」そして西崎に目を向けた。「あなたはうちのマンションの管理人なんだから全部報告してちょうだい」

 はあっ、と驚いて「そ、それって、差別じゃないですか」と言っている間にみんな立ち上がって帰り始めた。瑠璃山ルリ子も「今日はこれで終わりです」と小さく言っただけだ。

 「あれ、今日は食事会はないんですか」と言っているうちにテーブルに一人残されて、あわてて後を追った。


 シーラカンスを出ると外に太田が待っていてくれた。「よかったら、ちょっと話しませんか」何か話したいことがありそうだ。

 「はぁ、なんか今日は違ってましたね」

 太田は「コーヒーでもどうですか」とシーラカンスを指さすので、「じゃあそうしましょう」と答えた。西崎の胸の中にはなんとも言いようのない隙間があった。

 一番手前の四人掛けのテーブルに座り、ウェイトレスにアイスコーヒーとポテトフライを頼むと、太田がコーヒーマシンまで行ってくれた。そして二人分のタンブラーとストローやポーションをテーブルに置くなり、「予想と違っていたでしょう」と言った。

 「前回逃げ出したことがあるんで覚悟していたんですよ、でもなんかあっさりと引き下がる感じで、まあわたしに関してはは全部報告しろって言われましたけど」

 「二つ理由があるんですよ」

 「二つですか」西崎に思い当たることは雄大のことだ。「やっぱりオフィスカネダが関わってきたからですか、最初の頃は新任の管理人が怪しいって言ってればよかったけど、金田家の内部事情の方にシフトしましたからね」

 「そうですね、みんな西崎さんが怪しいって言ってましたけど、誰も本気でそうは思ってなかったですよね、ただルリヤマタイムスに掲載する記事としていいネタだったんだと思います、でも金田家のことはさすがに書けないですよね」

 「わたしも自分が知らなかったことがいろいろ出てきて正直ショックなんです、確かにわたしも関わっていたのかなってそう思うようになりました」

 ポテトフライが運ばれてきて、しばし口に運ぶ。晩御飯まだだから空腹なのだ。

 「今日は食事なかったんですね」

 「知らなかったんですか、ルリヤマタイムスで配信されてましたよ」太田はスマホを出してルリヤマタイムスのアプリを開いて見せた。ログインすると、今日の編集会議の概要が緊急配信として載っている。項目は金田雄大の報告の一つだけで、一時間ほどで終了の予定で食事会もないと確かに書いてある。

 「最近ログインしてないんですよ」と言いながら、ここはなんでもルリヤマタイムスの配信で決まってしまうんだなとあらためて考えたのだった。

 「もう一つって、何なんですか、太田さん知っているんですか」西崎は空腹とは違う胸の中のもう一つの隙間を感じながら問うた。

 太田は表情を固くしていた。少し考えてから「これは内緒にしておいてください」と言った。「迷っていたんですが、西崎さんにも一応伝えておこうと思ったんです」

 そう言われて西崎の胸に思い浮かぶことと言えば一つしかない。「管理人同盟のことですか」

 太田は顔だけで頷いて見せて「実は今、行動を起こしています」

 アイスコーヒーを飲んでいた西崎は固まってしまい、液体が喉にからんでむせてしまった。落ち着いたところで「「行動って、いったい」

 「いいですね、絶対に誰にも言わないでください、高田さんをはじめとする勇士十名ほどで投書をやっています」

 「投書、ですか」

 「はい、わたしは辞めたとはいえ、近すぎる位置にいるからやっていません、十名全員が管理人同盟のメンバーじゃないんですが、賛同してくれる人もいるんですよ」

 「投書って、どんな」

 「瑠璃山ルリ子を糾弾する投書です、今度の事件にからめた内容です、事件が起こる発端はルリヤマタイムスの根も葉もない記事やルリヤマ歌劇団の活動による心理的負担じゃないかっていう内容です」

 「でも、それじゃ、そういう情報を知ることのできる立場の者だって、わかっちゃいますね」

 太田は大きく肯いてみせて「はい、そうですね、でも配信された情報以外では糾弾していませんし、ルリヤマタイムスは全部で十三棟のマンションに配信されています、投書の主を特定するのはなかなか難しいでしょう」

 西崎は今夜の瑠璃山ルリ子を思い浮かべた。確かにいつもとは違ったようすだった。押しつけがましい上から目線の尊大な態度ではなかった。どこか疲れているような印象も受けた。もし投書が原因だとしたら案外彼女も弱い部分を持っているということなのだろう。

 だが次に太田が言ったことに西崎はことばを失った。

 「投書はこれまで三十通ほど郵送されています、でもその中の一通だけ事件とは関係のない情報が書いてあるのです、それは彼女が結婚前に子供を産んでいて、その子は特別養子縁組として育ての親に親権を渡してあるということです」



 



 

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