第十二章

 事件を利用するという太田の話を具体的に聞くことはできなかった。まだ加入すると決めていない西崎に話す訳にはいかなかったようだ。それは別にかまわないのだが、例の行方不明になっているという男を木村五郎が『酒井悠太』と言ったことを話した時に変化があった。

 「ええっ」と高田が驚き、「わたしのこと話したんですか」

 「名前は言ってませんけど、夜眠れなくてシーラカンスに行ったら木村さんがいたんで、いろいろ話すことになって」

 「それはまずかったですね」と太田。

 「名前は言ってないんですけど」

 「どうですかね、管理人同盟はまだ秘密裡に行動していて、ちゃんとした規約とか行動指針を決めたうえで公表するつもりなんですが、どうも瑠璃山ルリ子も他のメンバーも怪しいと思っているような、そんな雰囲気を感じるんですが」

 「西崎さんがそんなことを言ったことで、いよいよってことになってるかもしれません」

 「じゃあ」と太田を見て西崎は言った。「そんなことをわかっていてスタッフとして編集会議やさっきのオーディションにも呼ぶんですか」

 「そうです、ルリヤマタイムスもルリヤマ歌劇団も、やっぱり人手いるんです、公演なんか本当に大変ですから」

 「たぶん管理人同盟のことがハッキリした時点でなんらかの行動を起こすんじゃないですかね」

 「だけど、そんなにしてまでなぜやるんですか、木村さんが言ってました、ルリヤマ歌劇団は利益が出てないって」

 太田と高田は少し顔を見やってから、高田が口を開いた。「オーディションの時に、見なれないそこそこ年配の人たちが四、五人いたでしょう」

 西崎はすぐに思い出した。歩く頭を下げただけで席も離れていたので話すこともなかった。なにしろ初めての参加だったので、他のマンションから来ているのだと思っていた。

 「あの人たちの為ですね」と高田は言いきった。

 それだけでは意味がわからない。だいいち木村五郎だってなぜ続けるのかわからないと言ったのだ。

 「知らないことはないと思うんですが」と太田が言った。「あの人たちは他のマンションに住んでいるですが、スタッフとして参加もするし、劇団員として公演にも参加するんです」

 「劇団員として、ですか」

 「はい、瑠璃山ルリ子は昔大衆演劇の女優だったって、知ってますか」

 はぁっ、と驚く。ホントにこのマンション関係者の話しは驚くことばかりだ。

 「あの人たちは瑠璃山ルリ子が一座を率いていた頃の劇団員だって聞きました」

 「で、でも、山川建設グループの社長の奥方なんでしょ」西崎の頭は混乱するばかりだ。

 「わたしたちも詳しいことはわからないんです、瑠璃山ルリ子の過去については誰も話したがらないし、事実知らない人が多いし、あの人たちが一座の人たちだったってこともあいつがそう言っただけで確証はないんです」

 「あいつ、ですか」と西崎は言った。

 「はい、だから行方不明になっているあいつ、もう知っているんですよね、つまり酒井悠太です」

 出た、と西崎は思った。木村五郎が言ったことは本当だった。怪しいのはそいつではないかと思ってしまう。「なんで、その酒井悠太が知っているんです」と聞かずにはいられないではないか。

 「あいつは元新聞社の編集員で、記者の友人が何人もいるんです、おそらくそっちのツテで調べたんじゃないかなって、そう思っています」

 西崎はここで頭の中を通り過ぎて行く記憶の風にさらされた。「新聞社の編集員、なんですか」そう口にしてからじわじわとこみ上げる気持ちの震えを抑えることができなかった。

 「新聞社の編集をやってるって名刺をくれた酒井悠太だ」と口走った。

 仕事の帰りに偶然会って、久美子が結婚したって教えてくれた酒井悠太だ。営業成績がダントツに下位で、上司に怒鳴られまくって落ち込んでいた時に会ったあいつだ。別れ際に名刺をくれて、向こうも要求しなかったが、自分の名刺を渡せなかったあいつだ。あの時、もう仕事を辞めようと思っていたのだった。

 「知っているんですか」と太田と高田が聞いた。

 「はい、大学の時、同じサークルだったんです」西崎は動揺を隠せなかった。自分の周りで、自分が知らないところでいろいろなことが起こっている。

 「ということは」と高田が言った。太田を顔を見合わせ、そして西崎を見た。

 言いたいことはわかっていた。西崎は「そうです」と言った。「酒井悠太と望月、いや金田久美子は大学のサークルの仲間だったんです」

  

 佐々木響子からの面会の連絡は来なかった。瑠璃山ルリ子は面会に行くと聞いていたがその後のことは知らない。できれば月末に行われるという編集会議の前に久美子に会いたい気持ちが西崎にはあった。次第にわかってくる事実は西崎を悪い方向へと導いてゆくばかりだ。ここは久美子に会ってハッキリさせたかった。そうしないと拙くても自分なりに頑張ってきたこの人生が、何かに囚われてしまう気がするのだ。

 わからないのは酒井悠太が久美子と大学の時の友人だったと高田に言ってなかったことだ。隠すことに意味はなかったはずだ。スッキリしないことばかりで、胸の中のもやもやが膨れ上がり息苦しくなってくる。。

 アパートの夜は落ち着くどころか気がかりな事実で充満している。またシーラカンスに行こうかと思うが、木村五郎がいるような気がして踏み出せない。仕方ないのでラジカセにCDをかけ、なつかしのフォークで気持ちをなだめる。

 踏切のそばに咲く コスモスの花ゆらして

 武田鉄矢の歌が流れてくる。

 貨物列車が走り過ぎる そして夕陽に消えて行く

 昔を思い出しながら口ずさむ。久美子との日々が浮かんでくる。どうしてあのまま、あの時の関係でまっすぐに生きてこれなかったのだろう。どうして自分はレールをはずれるばかりで、まともな日々から遠ざかってしまったのだろう。

 思えば遠くへきたもんだ ここまで一人出来たけれど 

 思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら

 歌を聞きながらいつの間にかそのまま寝てしまっていた。


 編集会議の日となった。二回目とは言え前回よりも緊張感があった。西崎は事前に佐々木響子に電話をして面会のことを確認していた。「ちょっと無理みたいなんです、会いたくないって気持ちに変化はないんですよね」

 「どうしてですか」と聞いた西崎に佐々木響子は「ご主人を殺してしまったことへの後悔だと思うんですけど、泣き出してしまって会話もできないことが多くて」

 「だけど、瑠璃山ルリ子、さんには会ったんでしょ」

 「ああ、ご存じだったんですね、そうなんです」と言ってから「でもですね、西崎さんと瑠璃山さんたちとでは違うんですよ」

 「瑠璃山さん、たち、ですか」

 「はい、瑠璃山さんと柘植さん木村さんの三人ですな」

 西崎の胸になんか、やっぱりなというそんな気持ちがあった。それでも「その三人となにが違うというんですか」と聞くと「具体的にどうってことは言えないんですが、久美子さんの中であきらかに違うものがあって、それはやっぱり今回の事件に関わることだからじゃないかって、わたしは思っています」

 「違うって」と西崎は胸の内を強く吐露した。「だって、他ならぬわたし自身が全然心当たりがないって言っているんですよ、みんなわたしが関わっているっていうけど、わたし自身が違うって言っているんですよ」

 佐々木響子は静かに聞いていたが、西崎のことばが終わった後にこう言った。「西崎さんはそうかもしれない、でも久美子さんにとってはそうではなかったってことじゃないんですか」

 虚を突かれた感じがした。西崎はことばを失った。佐々木響子は続けた。「実は久美子さんも少しずつ話してくれていることがあって、わたしも調査の範囲を広げています、というのは前にも言ったかもしれませんが、事件の背景は判決に大きく影響する場合もあるので、全体像がハッキリしていた方がいいんです、今回瑠璃山さんたちとは別にもう一人重要な人との面会があって、とても貴重な証言をしていただきました」

 西崎はドキリとした。「重要な人、ですか、それってもしかして」

 「西崎さんもご存じの方じゃないかと思うんでが」

 「酒井悠太、ですか」

 「そうです、やっぱり覚えてらっしゃったんですね」

 証言の内容を聞くことはできなかったが、面会の経緯は知ることができた。

 「酒井さんの方から連絡がありまして、わたしが久美子さんに確認しました、そうしたら会ってもいいという返事で実現しました」

 「佐々木弁護士さんが担当だって、わかっていたんですね」

 「それは私も聞きました、どうして私だとわかったんですかって」

 「どうしてなんです」でも答えは一つしかないはずだった。

 「具体的な答えはなかったんですが、新聞社にお勤めだったから」

 そうだろうなと思った。思いながら西崎は酒井悠太こそ編集会議に連れてくるべきだと考えた。佐々木響子に面会の件を再度お願いして電話を切り、すぐ高田に電話をした。金田久美子と面会したようだと話すと、それは初耳だと言われた。詳しいことを知りたいので佐々木弁護士の連絡先を教えてくれと言われて番号を伝えた。

 西崎はこのままではいられない、知らないと言ってだけじゃすまされない状況をひしひしと感じていた。

 時間になりアパートを出た。暮れゆく街がペダルを踏む西崎の胸を幾分ブルーにした。それは自分に返ってくる人生への寂しさだった。

 シーラカンスに着き店内に入ると前回と同じ一番奥の二つ合わせたテーブルに三人組の姿を見つけた。瑠璃山ルリ子が西崎の姿を認め「管理人さぁん」と呼んだ。

 奥まで行き順番に詰める形で木村五郎の隣に座った。「みなさん早いんですね」と言うと「当然です、幹部ですから」と瑠璃山ルリ子。

 「なんか、その幹部のみなさんで面会に行かれたんでしょ」と西崎は口にしてみた。探りを入れるというより、久美子の様子が知りたかったのだ。

 「喜んでくれましたよ」と瑠璃山ルリ子が言ったが「でもなんか、元気なかったですね」続けた。

 「ルリヤマ歌劇団の話とか、息子の雄大君の話とか、そんなことで終わっちまったな」

 「おれたちだけで、賑やかにわいわいと話しただけだった」

 「西崎さんのことを言おうかと思ったが、それはやっぱり避けたよ」

 「でもみんなが久美子ちゃんのことを忘れていないってことは伝わったと思います」瑠璃山ルリ子がしみじみと言った。

 西崎は面会に行けたら事件のことを聞きたいと思っていたので、自分が恥ずかしくなった。久美子の心情を思うと、確かにそういう状態ではないということがありありと想像できた。

 「こんばんわ」そこへ北田が来てテーブルを挟んで瑠璃山ルリ子の前に座り、すぐ太田が来てその隣に座った。テーブルに緊張感が漂い、会議の開始の雰囲気が感じられたからだ。

 「これで揃ったんですか」と西崎は聞いた。前回の時は自分が来た時には佐々木弁護士や刑事の小野、それにカメラマンの川村、マンションの住民たちもいたからだ。このメンバーだけというのは違う気がした。

 「もう一人来ます」と瑠璃山ルリ子が言った。

 「カメラマンの川村さんですか」

 「いいえ、今回はカメラマンはいません、別の人です」

 その時「遅くなりました」と声がした。

 声の方を見ると、金田雄大が神妙な表情をして立っていた。

 


 

 

 

 


 

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