第十一章
オーディションは二時間ほどで終わった。結果もすぐに発表され、最高点をマークした村岡塔子と決まった。西崎は不貞腐れた感じで参加者の一番からずっと十点をつけていたが、村岡塔子の歌声を聞いてからそれまでの点数を全部八点に訂正し、彼女を十点とした。誰が聞いても明らかな差があったのだ。その後長テーブルを出して審査員と参加者全員で用意した弁当とペットボトルのお茶で食事となった。カメラマンの川村裕子が一人テーブルから離れ写真や動画を撮ってまわっていた。彼女はオーディションの最中もずっと撮ってまわっていた。
「川村ちゃん、もういいわ、あなたも席について早くいただきましょう」瑠璃山ルリ子が言ったので「はい」と言って「けっこういいのが撮れたと思います」
西崎は初めて見る顔も多く元々人見知りなので黙って食べていたが、女性が多いその場は賑やかで様々な話題が飛び交った。公演を観て感激した話や役者として参加させてもらった喜びとかを口々に語った。そのうち誰かが「やっぱり村岡さんだったね」と言い、「金田久美子さんの代わりは村岡さんしかいないって思ってたわ」とか「村岡さんお歌を聞けてうれしかった」とか聞こえてきた。
「村岡さんは今回初めてのオーディションなんですよね」
聞かれた本人は「はい、興味はあったんですけど、わたし、久美子さんの歌が好きだったんです」
「でも久美子ちゃんも言っていましたよ、一度カラオケに言って驚いたって、村岡さんをルリヤマ歌劇団に誘いましょうって言われていたんです」と瑠璃山ルリ子。
ここで村岡塔子が口にしたことばがみんなの注目となった。「こんなこと言っていいのかわからないんですけど、実はわたし、久美子さんから言われていたんです、『わたしのあとはきっと塔子さんだからお願いしますね』って」
一瞬場を沈黙が多い、瑠璃山ルリ子が「それって」と返した。「いつの話なの、久美子ちゃんがそう言ったの」
「そんなに前じゃないんです、ゴールデンウイークの前なんです、マンションのエントランスホールで会って立ち話していたらそんな話が出て、わたしは久美子さんのファンだからずっとやってくださいって言ったんですけど」
誰もが『ゴールデンウイークの前』のことばに息を飲んだ。
「それって、その時には、覚悟していたってことか」木村五郎が言った。
「そんな風に聞こえますな」と柘植雄一郎。
西崎は嫌な雰囲気になりつつあるのを感じて身体を縮こませた。
だが「ちょっと管理人さん、あなたがこのマンションの求人見て応募したのいつ」と瑠璃山ルリ子から聞かれてため息をついた。
「わたしは面接の二日ほど前ですよ、面接を受けたのがゴールデンウイークが終わって一週間ほどしてからですから、それでその翌日にはもう出勤となったんですから」しぶしぶ答えたが事実には違いない。本当に事件とは関係ないのだ。
「ふうん、そうなの」瑠璃山ルリ子は北田に顔を向けた。
「ええっと、ちょっと待ってください」と言って手帳を取り出して開き「そうですね、うちのパソコンにネットで応募があって、それで翌日に電話したんです」
「はい、そうです、ウエブ応募っていうんですか、そんなの初めてだったんで心配だったんですけど、夜にネットで応募したら次の日の朝電話があって、その次の日に面接っていう流れです、なあんにも不審な事はないです」西崎はこの際だからと声を大にして言った。
その場に不満そうな雰囲気が漂ったが太田がそれを一掃してくれた。
「久美子さんがすでにその時には覚悟をしていたのなら、あの事件の日に衝動的に刺したってことじゃないんですね、ずっと前から久美子さんの気持ちをそういう方向へと導く何かがあったってことですよね」
西崎はみんなが頷くのを見て太田に感謝した。でもだからこそ西崎の頭に先日高田から聞いたことばが甦ってきたのだ。
『事件の翌日に彼は姿を消しました、行方不明になったんです』
ということはその人物は金田久美子の事件に衝撃を受けったってことなのだろう。だからその人物こそがなにか関わりのあるカギを握っているってことではないのか。
太田もそのことを知っているのだろうかと思っている時に木村五郎と目が合ってしまった。
『その男は酒井悠太じゃないのか』そういえば木村五郎はそう言ったのだ。
ニヤリと笑ったその顔を見ながら西崎は胸に広がる嫌な感じを止めることができなかった。
ここで瑠璃山ルリ子が公演の新作の発表会を近々行うと話題を変えたので、一気にその話題へとみんなの気持ちがいってしまった。西崎は安堵したがそれでも不安な気持ちは拭えなかった。
瑠璃山ルリ子が編集会議、つまり二回目の『マンション殺人事件で暗躍した重要参考人を斬る』をシーラカンスで行うと言ったのは食事会が終わってみんなが集会室を去った後のことだった。参加者を先に帰し審査員で後片付けをして、西崎が灯りを消し扉にカギをかけていると瑠璃山ルリ子が背後にいたのだ。
振り返り「まだやるんですか」と言う西崎に「当り前です、来月の配信はオーディションの結果と公演の新作についての特集記事ですからその次、八月配信に載せる分です、でも重要な事実が判明すれば臨時で配信も考えています」
「やるのはいいですけど、わたしからは何も出てきませんよ」
ここで瑠璃山ルリ子はニンマリと笑った。
「なんですか、その笑い」
おおぉぉっほっほっほっほっほっ、といきなり汽笛笑いを響かせたかと思うと「ご心配は無用です、あなたから出てこなくても、こちらから無理やり出させてあげますから」
「わたしが何もないって言っているのに出てくる訳ないでしょう」
「それは当日にわかります、今月末の金曜日、シーラカンスに六時です、いいですね」と、なにやら自信満々の様子で瑠璃山ルリ子は自分の部屋へと帰っていった。
その姿に西崎は不安を覚えながら、いったいこんな日々がいつまで続くのだろうと深々とため息をついた。
一階へ降りるとエントランスホールに太田がいた。「あれ、帰ったんじゃなかったんですか」
「西崎さんを待ってったんですよ」と言う。
「わたしを、ですか」
「よかったら、ちょっと飲みに行きませんか」
時間は九時を回ったくらいである。「いいですけど、なんですか」
「実は今高田さんが待っているんです」
驚いて太田を見ると「違うんです」と言い「今日は別の話で」
別の話って何、と戸惑ったが、他ならぬ太田がわざわざ待っていたのだから断れなかった。それににわかに木村五郎が『酒井悠太』と名指しした人物のことを思い出し、そのことを聞いてみたい気持ちにもなった。
場所はシーラカンスとは反対方向の県道に面した居酒屋だった。歩いても十分ほどの距離だが、太田も自転車で来ていたから最初からそのつもりだったのだろう。銀雅味という店で西崎も前に淑子や大志と行ったことがあった。
店に入ると仲居さんが来てこちらですと奥のテーブルへ案内してくれた。
高田は太田と親し気に挨拶を交わし、「突然すいません」と西崎に頭を下げた。
「いやいいんですけど、なんですか今日は」
とにかくどうぞ、と席を勧められ、仲居さんにビールのジョッキを追加し、枝豆や焼き鳥、フライドポテト等を注文した。
ビールのジョッキがきて三人で軽く乾杯をしてから「実は」と高田が切り出した。
「西崎さんに管理人同盟に参加して欲しいんです」
はぁっ、と意外な話に驚いてしまう。「なんですか、それ」という西崎に高田は説明した。
「先日マンションにお伺いした時にこの話もしたかったんです、この組織は山川建設グループのマンション五棟全部と、それ以外でルリヤマタイムスの配信を受けてるマンション、それからルリヤマ歌劇団の公演を行っているマンションのうちの三棟の管理人合計八人が参加しています。でも太田さんが辞めたので七人になりました」
「それって」と言ったものの西崎は次のことばが出てこなかった。
「本当は西崎さんが出勤した日に太田さんが勧誘するはずだったんですが、あんな事件が起こってしまって」
太田が言った。「まったく予想外のことが起こって西崎さんも初日から驚いたと思いますが、わたしも混乱するばかりで仕事の引継ぎもあまりできなくて」
「でも太田さんからは作業ノートをもらったんで助かっています、あれがなかったら半分も仕事できてないと思っていますよ」
「ああ、太田さん律儀だから、半年くらい前から書いているって言ってましたね」
「管理人の仕事は大まかな引継ぎだけでは対処できない細かい部分が多いですからね、普通は一年二年とやっていて見えてくるものなんですよね」
「だから」と高田が言った。「管理人の仕事はけっこう奥が深くて案外おもしろいものなのに、ルリヤマタイムスやルリヤマ歌劇団のスタッフとして半ば強制的に借りだされる、いつのまにかスタッフにされてボランティアみたいな感じでバイト代も出ない方が多い、今日のオーディションも弁当だけだったでしょう、本来の仕事以外のことでストレスたまってしまう」
西崎は不満に思っているのが自分だけではないことを初めて知った。そもそもあの三人組としか話す機会がないのだから、ちょっと新鮮な印象だった。
「管理人は定年退職して老後のちょっとした仕事のつもりでやっている人ばかりです、家で何もしないでいるより動いた方が身体のためにもいいし収入にもなる、それに年金が減額されるほど金額じゃないし」
「恥ずかしいんですが、わたしは働かないと食ってゆけないんです、仕事何回も変わっているんで年金少ないんです」西崎は正直に言った。太田はすでに知っているはずだ。
「だったらなおさらですよね」と高田は言った。「あのマンションで長く働きたいでしょう、そのためにも働く環境を良くしたいじゃないですか」
太田が言った。今日すぐ決めなくてもいいんです、しばらく考えてから返事ください、決して強制じゃないんですが、わたしたちとしてはできれば加入して欲しい気持ちでいます」
「あの」と西崎は尋ねた。「入ったとしてどんな活動をしているんですか」
高田はそれがですねと下を向いた。「まだ具体的な活動できてないんです、さしあたってみんなで集まって愚痴こぼしたりしてるんですが、なかなか行動に移すとまではできなくて」
西崎は内心、安堵していた。太田には世話になっているので入ってもいいかなと思っていたが、あまり過激な活動はやりたくないというのが本音だった。
「でも」と言ったのは太田だった。「今回の事件を利用しようと思っているんです、難しいとは思うんですが少しでも変化あればと考えています」
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