第八章

 太田はさらに驚くことを話した。「フロントマネージャーの門田さんは瑠璃山ルリ子の息子だから注意しておいた方がいいでしょう」

 西崎は何が何だかわからなくなってくる。「息子、なんですか」

 「はい、管理会社のヤマケンは山川建設グループなんですね」

 西崎は深々とため息をついた。

 「つまり西崎さんの周りは瑠璃山ルリ子の息の掛かった連中ばかりだからと、それを言いたかったんです」

 「でも、それが今回の事件とは」

 「だから事件そのものじゃなくて、西崎さんはしばらくの間ルリヤマタイムスの格好の記事ネタになるのは間違いないでしょう」

 「わたし、事件とはなんの関係もないのに」

 「ですが、あの現場で金田久美子さんが『西崎君』と言ったのは大きかったですね、みんなの興味をあおってしまった」

 ことばもない西崎に太田は一つだけ言い残して帰って行った。「明日、西崎さんを訪ねて高田という男が来ます、彼の話を聞いてやってください」

 西崎は嫌な気がした。またややこしい人物が増えたと思ったのだ。「誰ですか、それ」

 「悪い人間じゃないとだけ言っておきます」

 

 太田が帰った後にもう一人管理室を訪ねた人物がいた。これまでのことを考えて悶々とムカついていたのでこんな時に誰だと思ったが、なんのことはない人畜無害の北田だった。

 「なんか用ですか」とつい高飛車に言ってしまったが、察するところがあったのだろう、「いやぁどうですか、仕事慣れましたか」とフレンドリーに話かけてくる。

 「慣れるわけないでしょ、初日からいろんなことが起こってんのに」

 「まあそう言わないで、そのうちいいこともありますよ」

 「ないですね、きっとここにいる限りわたしはいろんな人からいじめられるんですよ、これって人権侵害じゃないですか」

 「ええっと今日はですね」北田は手に持っていたビニールの袋を掲げた。「太田さんから発注を受けていたんです、洗剤とゴミ袋、それと作業日報の用紙一か月分です、これは綴じておいてくださいね」

 西崎は小さく吐息をついてから、淡々と要件を話す北田に仕事を休むことになりそうだと言ってみた。「代務者は太田さんに頼んでみたんですよ、そうしたらいいですよって返事だったんですが」

 「久美子さんからの要望なら仕方ないですよね、面会の日がいつになるかわかったら連絡ください、仕事の都合がつけばわたしがやってもいいです、明日は別のマンションで代務をやるんです、急な話だったんですが」

 と、北田はそのあと気になることを言った。「そういえば瑠璃山さんも面会だって言ってましたね」

 驚いてしまった。「そうなんですか」

 「いや、みんなで面会に行こうって話はあったんですよ、ただなんか久美子さんの様子が不安定で、瑠璃山さんとだけ会うことになったみたいです」

 「金田久美子さん、不安定なんですか」昨日の話では佐々木響子はそれには触れなかった。久美子は自分と瑠璃山ルリ子と自分だけに会いたいと言っただろうかと、西崎はその選択が少し気になった。

 北田は面会の日程が決まったら知らせてくださいと言って帰っていった。西崎は自分の中に久美子と会ってみたいという気持ちが強くなっているのに気がついていた。

 次の日の午後、高田という男が来た。「太田さんから連絡がきたんで急に決めたんですよ」と言ってその訪問を詫びた。「いろいろあって大変な時に申し訳ないとは思ったんですが、どうしても話しておきたいことがあったし、お願いしたいこともあってですね」

 西崎としては用心しつつも太田の知り合いならという思いだったが、頭は低いし親しみやすい感じなので管理室に招き入れた。

 折り畳みの椅子を出し、紙コップにコーヒーを淹れて「それで」と向き合った。

 高田はいきなり「西崎さん、あなたが突然現れたんで驚いているんです」と言った。「わたしもルリヤマタイムスの配信を受けています、事件の翌日には『容疑者は新人管理人』の記事が配信されてそこに西崎康宏の名前を見つけて衝撃を受けていたんです、それはわたしだけではありません、もう一人衝撃を受けた人物がいて彼は姿を消しました」

 驚いたのは西崎の方だった。「ちょっと待ってください、どういうことです、そんなこと急に言われても」

 「詳しいことは言えないんです、奴が出てきたら言えるようになるかもしれません、ただ知りたいんです、西崎さん、あなたはどうしてこのマンションにくるようになったんですか、このマンションの管理人になろうと自分で決めたんですか」

 「そんなこと」と言いながら西崎は噴出する怒りを抑えきれなかった。「自分で決めましたよ、当然じゃないですか、求人を見つけて応募しただけですよ、だいいちなんでそんなことを初めて会ったあなたに聞かれなければならないんですか、驚いているのはこっちなんですよ、あの事件の日からわたしの周りではいろんな人がいろんなことを言うんです、まるでわたしがカギを握っているみたいに」

 高田はもっともだと言わんばかりに頷きながらことばを返した。「申し訳ないと思いつつ言っているんです、でも西崎さんがカギを握っているんだと思っています、それはわたしだけでなく、あなたの周りのみんながそう思っているんだと、そう言って間違いないはずです」

 ことばを失った。そう言いきられると返すことばがなかった。確かに自分の周囲のみんながそう言っているのだから。

 「その高田さんの知り合いだって人が姿を消したって、行方不明なんですか」

 「彼はうちのマンションの住民なんですが、事件の次の日から見なくなって、インターホンを鳴らしても出ないんです」

 「うちのマンションの住民て、高田さんはもしかして」

 「はい、西崎さんと同じ管理人をしています」

 一体全体、どういうこっちゃと混乱するばかりだ。「私に言わせると、高田さんの方が変だ、あなたどういう人なんですか、太田さんとはどこで知り合ったんですか、その行方不明の住民とどういう関係なんですか」

 「そうですね、まずそっちからですよね」と高田は言って簡単に説明した。太田とはルリヤマ歌劇団の集会室公演で会ったという。公演のスタッフとして参加しなければならず、いっしょに作業をしていた仲だという。「同じ年代ですから自然と話すようになって、そうしたらウマが合ってですね、電話番号を交換して今じゃLINEでほぼ毎日話してますね」

 行方不明の人物についてはまたの機会にしてくれと言われた。警察からも聞かれてちょっと言えない状況だという。

 「警察って、どういうことです」驚いて聞く西崎に「だからようするに、今回の事件に関わっているんじゃないかと」

 「じゃあその人の方が、わたしよりもよっぽど、怪しいじゃないですか」

 西崎は声を大にして叫んだのだが、高田はその件については何も話さなかった。西崎は自分の置かれた立場を説明してなんとか聞き出そうとしたが口を閉じたままだった。気まずい空気が漂って「これ以上いると迷惑ですよね」と高田は席を立った。

 「迷惑じゃないですよ、むしろこのまま帰られるとわたしは余計に混乱するばかりですよ」

 「申し訳なかったですね、今はまだ何も話せないんです、わたしも疑問に思うことがいっぱいあってですね、あなたと話せば何かわかるんじゃないかって」

 「ルリヤマタイムスの配信受けてるって言ったじゃないですか、あの記事以上のことは何もないですよ」

 「西崎さんが嘘を言ってないのはわかります、でもあなたが気がついてないことがあるんじゃないかって、そんな気がしています」

 またかよ、と西崎は思った。空しさが心に漂う。

 「じゃあこれで」と高田はドアを開けロビーに出た。

 「待ってください、このまま残されたわたしはどうなるんですか、訳のわからないことばかりなんですよ」

 高田は申し訳ないと言って頭を下げて背を向けた。

 「お願いしたいことがあったんじゃないですか」と言うと高田は振り返ってから「西崎さんは瑠璃山ルリ子についてどう思っておられますか」

 「どうって」と急に聞かれても答えられない。

 「ルリヤマタイムスやルリヤマ歌劇団って、なんのためにあるのかって考えたことはないですか」

 「さぁ」と顔を傾ける西崎に高田は片手を上げて去って行った。西崎は自分の周囲で自分が知らないことが起こっているのを感じていた。

 

 佐々木弁護士からは一向に連絡は来なかった。西崎はそこ数日の間に誰彼から「面会に行くんだって」と話しかけられ、今さらながら北田の口の軽さを思い知りつつ日々を仕事に勤しんだ。静かな日々が過ぎた。

 週末には大志が酒を抱えてやってきた。特に口に出さないが悩んでいるようだった。結衣とのことがあるのだろう、詳しい話はしなかった。ビールや焼酎を飲み、スーパーで買った唐揚げや冷凍の枝豆、缶詰をサカナに大学に行ってからの夢を語り、自分の会社を持って世界の雑貨を扱う仕事がしたいと幾らか寂しげに語った。「話したいことってなんだ」と途中話題を変えようと聞くと「そうだったね」とサバの缶詰をほじっていた箸を止めた。「おかあさんのことなんだ」

 「淑子、のことか」触れたくないと思っていたことだ。離婚したのは大志の市役所への就職が決まってからだから、十二年前だ。もうどう生きようと関係のないことだが、親戚の少ない西崎はその後も就職の保証人とか何度も頼んでいたし、大志や結衣ちゃんをまじえていっしょに飲んだりしていた。ここでは聞きたくない話題だった。

 「大学辞める話はしたのか」

 「したよ、ぼくがそうしたいなら、そうすればいいって言ってくれた」

 淑子らしいと思った。「よかったじゃないか、で、おかあさんがなんだって」

 「うん、言いづらいんだけど」と口ごもってから続けた。「なんかその結婚の相手の人がおとうさんに会いたいって言っているんだって」

 なにっ、と声にならない声をあげた。「な、なんで相手の男が」

 「それがさ」と大志が話すには、「今のおかあさんはおとうさんとの関わりがあってのことだから、おとうさんにも是非会って話がしたいし、よければ今後も定期的に会うようにしたいって」

 急激に湧いてくるモヤモヤした塊りを抑えることができなかった。

 「嫌だ、会わない、絶対に会いたくない」

 西崎は憤まんたる思いで、そう叫んでいた。


 月末になって初めての定期清掃を経験した。こちらは何もしなくていいし、当然きれいになるのでしばしご機嫌な時を過ごした。月が替わり、スマホにルリヤマタイムスが配信された。六月号と書かれた見出しを見て、先日の配信はなんだったんだろうと思い確認してみると、緊急配信とあった。そして今号の配信にはルリヤマタイムス識者による座談会と称して『限りなく怪しい新人管理人を斬る』という記事が掲載されていた。これはどうやら先日の編集会議の後に開催されたらしく、出席者はアルファベットのA氏B氏C氏の三名でこれは瑠璃山ルリ子木村五郎柘植雄一郎のことだとすぐにわかる内容だった。西崎が管理人としてマンションに勤とめることになるまでの経緯が疑問を呈する形で書いてあるが特に目新しいことはなかった。多少とも慣れてきた西崎はもうこんな記事を見てもちょっと呆れただけで見過ごした。だがそれよりも気になる記事が西崎の目を止めた。それはこういう見出しだった。

 『事件現場となった部屋に息子の金田雄大君夫妻が越してくる』

 

 

 


 

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