第七章

 佐々木響子の話は一時間に及んだ。金田久美子が会いたいと言っているらしい。西崎の目にあの日の彼女の顔が浮かんだ。そう言われると会って話がしたいという気持ちになる。だが、面会は平日で土日祝日はダメなんだという。

 「まだ十日ほどしか勤めてないんですよ、有休は取れないです、休むと当然欠勤扱いになりますが、どちらにしろ休む時は管理人の代務をしてくれる人を探さないといけないんです」

 面接の時に北田はたいてい自分が代務者として出ていると言ったが、西崎としては今の状況で仕事は休みたくない。先日の編集会議で転職人生を批判されたばかりだ。

 佐々木響子はさらに気になることを話した。「西崎さんに申し訳ないことをしたと言っておられるんです」

 「それって」と口に出したが続かなかった。なんのことだと思い、考えてみても該当するようなことは思い浮かばない。むしろ一方的に別れを言ったこちらが申し訳ないくらいだ。「何もないですよ、そんなこと」

 「はぁ、わたしもどういうことですかって聞いたんですが、話してくれないのでわかりません」と言ってから「じゃあ西崎さんにも心当たりはないんですね」そして「もしかすると久美子さんにとって事件との関わりがあるかもしれないって、わたしはそう考えています」

 それはつまり、自分が事件と関わっているということだ、と西崎は思う。

 それから事件の今後の流れについて説明を受けた。「金田久美子さんの場合、本人が認めてらっしゃるから問題なく進むと考えています、起訴後約一か月の拘留があって裁判になります、おそらく七月下旬になるんじゃないかと考えています、それも上告する意思はないようですのでそれで結審になるでしょう」

 「どれくらいの刑になりそうですか」

 「そうですね、事件の背景によっても変わってくると思うんですが」

 「背景、ですか」

 「はい、殺人事件でも懲役三年執行猶予五年という判決もあるんですよ、もっともそれは介護がらみの悲惨な状況というのがあったんですが」

 「じゃあ」と西崎はその弁護士を見た。

 「はい、だから考えて欲しいんです、久美子さんがあなたに申し訳ないと言っているんですから、きっと何かあるんです」

 佐々木響子は面会の日取りはまた連絡しますと言い、どんな小さなことでもいいですから思い出して欲しいと言って帰って行った。


 その日の夜、大志から電話がかかってきた。次の土曜日にアパートへ行ってもいいかという。話したいことがあるようだ。

 「いいけど何時頃だ、晩飯食っていくか、久しぶりに酒飲んでもいいな、そうだ、泊まっていけばいい」

 電話では話すが実際に会うのは正月に訪ねてきたとき以来だ。西崎も息子が来るとうれしい。随分と迷惑もかけたが、大志はこんな自分を受け入れてくれている。

 「じゃあ酒はぼくが持ってくるから」と言ってから、「そうだ」と話を変えた。

 「おかあさんが言ってたけど、もう一週間以上も前だったかな、塚原町の斎場であの事件の金田光一さんの葬儀があってたんだって」

 「あの事件って、金田光一さんの葬儀って」西崎の脳裏に引っ掛かる名前だった。だがすぐには思い出せない。

 「おかあさんも大崎さんからプロポーズされたからそっちのことに気をとられちゃって、すっかり忘れていたらしいけど」

 はあっ、とそれはそれで気になる話だが、そういえばと浮かび上がってくる記憶があった。金田光一とは大学のサークル映像研究会の会長のことだ。西崎が大学一年の時のことで、当時四年だった金田光一は活動に参加することはなかった。ほとんど接点はなかったが、それでも一度だけ夏休みの合宿で西崎は目をつけられて、けっこういじられたことがあった。嫌な思い出だから忘れることはなかった。

 あの金田光一だとすると、『この間の事件の葬儀が金田光一で』ということは久美子が結婚した相手ってこと、になるのか。

 意外な事実にちょっとショックを受けた。

 「おかあさんが言うには、そこは家族葬を専門にするみたいな小さな斎場で、ひっそりとしていたんだって、大袈裟にはしたくなかったんだろうってわかるけど、それにしてもあの『オフィスカネダ』の葬儀とは思えなかったって言ってたよ」

 「はあっ」と西崎は叫んでいた。オフィスカネダって。驚きが走る。

 オフィスカネダといえば県内では知らないものはいない大きな会社だ。元は文房具の卸しだったが、パソコンやケータイ及びその関連の商品、またソフトウェアの開発にまで手を広げ、今では県外にまでその場を広げている。

 「おかあさんはどうしてオフィスカネダだってわかったんだろうな」

 「有名な人だって言ってたよ、創業者の金田儀一の長男だって、新聞とかフリーペーパーとか、何回も載ってたって」

 ことばを失くしてしまった西崎に大志は「じゃ、とにかく土曜日の夕方に行くから」と言って電話を切った。それでも西崎はそのあともスマホを持ったまま固まってしまっていた。

 西崎は布団に入っても眠れない夜を過ごした。急速に甦ってくる記憶があったのだ。そういえば、と思い当たることがあった。どういう関係があるのかというとつまり取引先だった。倒産した西崎文具店の文房具のほとんどはオフィスカネダから卸してもらっていた。当然、債務があったが家と土地を売ったお金で真っ先に返した。営業の担当者が何度も訪ねてきて泣きついたのだ。金額も大きかったから先に返すのに異論はなかった。まだある。借金を返すために営業職を転々としていた時期にオフィスカネダの営業に応募したことがあった。一次選考で落とされて、だろうなと思ったことを覚えていた。あのオフィスカネダの息子だったのか、と金田光一のことを思った。あらためてその名を口にすれば、あの合宿でのねちねちとした嫌がらせとも思える扱いが鮮明に甦ってきた。合宿では研究発表の場があった。一人一人が映画でもドラマでもCMでも映像に関する発表を行うのだ。他の部員たちがユーモアをまじえて自分なりに調べた発表を行うのに、西崎は緊張もあって手際が悪く、用意していた内容の順番を間違えたりして失笑をかってしまった。頭が真っ白になっていた西崎は質問の時間になってもうまく答えることが出来ず、金田光一から発表の内容だけではなく、態度や心構えに至るまで長時間にわたって問題点を指摘された。またその後の飲み会では名指しで前へ立たされ、宴会芸を要求された。何もできない西崎は下手な歌でその場をしのいだが、何回も名前を呼ばれ歌わされた。他のメンバーたちとはあきらかに一線を画す扱いだった。自分が悪いのだという意識はあったが、それ以上に腑に落ちない気持ちもあった。

 それから十年ほど過ぎた頃、街でサークルの仲間だった奴と出会った。仕事の帰りで断トツで下位の営業成績を上司からこっぴどく怒鳴られまくったばかりだった。「西崎じゃないか」と声をかけた男はきちんとしたスーツを着て表情も明るい自信に満ちた社会人だった。顔は覚えているが名前は思い出せない。逃げ出したい西崎を尻目に彼はなつかしげに大学の頃の話をし、そして「望月久美子が結婚したぞ」と言ったのだ。ズンと胸に響いたことばに西崎は無意識のうちに「誰と、結婚したんだ」と聞いていた。「会長だよ」と返ってきたのを覚えていた。呆然とする西崎としばらく立ち話をして「今度飲みに行こうぜ」と言って自分の名刺を渡して去って行った。それには新聞社の編集員の肩書と酒井悠太の名前が印刷してあった。彼は西崎の名刺は要求しなかった。

 

 翌日西崎は清掃の仕事しながら気持ちを整理し、面会に行こうと決めていた。欠勤にはなるが久美子に会いたかった。そうなると早い方がいいだろうと思い、管理室に戻り作業ノートの最後のページを見た。そこには消防設備点検や定期清掃といったマンションの維持管理を担当する業者や警察、消防局の電話番号とともに、門田や北田、太田の連絡先も書いてあった。連絡先は壁に貼ってあったり、取引先ごとのファイルがあったりするが、こうしてまとめたものは他になかった。太田の電話番号もこのノートだけに書いてあった。西崎は迷うことなくスマホを取り出し、太田の番号をタップした。数回コールして出た太田に「突然すいません、西崎です」そして昨日の佐々木響子の話をした。

 「仕事を休むには代務者が必要ということで北田さんには言いにくくて」

 ずっと黙って話を聞いていた太田は「わたしはいいですよ、西崎さんのことが心配だったんですよ、ただでさえ大変なのに事件にまきこまれてしまって」

 「ありがとうございます、北田さんにはわたしから話しておきます」

 午後になり管理室にいた西崎をその太田が訪ねてきた。太田はペットボトルのコーヒーとお菓子の袋を持って来て、折り畳みの椅子を引っ張り出すとさっさと座った。「西崎さんもどうぞ」と言われてペットボトルを受け取ると「話しておきたいことがあってですね」と切り出した。

 「本当は最初に話しておければどんなによかったかなって思うんです、でもわたしの立場としては話せなかった、少しずつ仕事に慣れてゆくにしたがって、このマンションの他にはない特異性みたいなものが見えてくればそれでいいって思っていたんです」

 「いいですよ、そんな気にしないでください」太田が気にするのもわかる。確かに編集会議の場に太田がいたのには驚いたものだった。「だけど」と言った。「仕事辞めたんですから編集会議には来なくていいんじゃないですか」

 「そういう訳にもいかないんですよ」と太田はいかんともしがたい実状を話した。

 ルリヤマタイムスはマンションの住民に向けた配信だが、マンションと関わりのある人たちのニュースも扱っているのだという。定期清掃や消防設備点検、配管洗浄や自家発電設備の点検、ポンプ水道設備点検等の業者はもちろん、新聞配達、弁当屋さん、管轄の警察署、それに歴代の管理人さんもしかりで、その後の管理人さんの動向なども記事になっているのだという。だからそういう人たちで仕方なく配信を受けている人も多く、田口という前の管理人は今も配信を受けているし、この間まで編集会議に出席していたらしい。

 「そんなおかしいじゃないですか」と言ったが、太田は「それがねぇ」と驚くことを話した。瑠璃山ルリ子という人は強引な面もあるが面倒見もよくて、案外困った時は助けてくれるのだという。元ヤクザの木村は瑠璃山ルリ子になにがしかの恩を感じているし、柘植雄一郎も息子のことで助けてもらったことがあるらしい。他ならぬわたしもと太田は言った。「妻が詐欺に引っ掛かって大金を騙し取られたことがあるんです、それはうちにとっては今後の老後の生活を左右する金額で、悩んでいた時にみんなに募金を募って集めてくれました、それは山川建設グループや他のマンションにも及んで引っ掛かった金額の三分の二になったのだという。

 

 

 

 

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