第59話 和平交渉

 ケンイチとルビーは、スペース・ホークごと<マーズ・ワン>に工作員を

連行し、そこで火星の保安部隊に犯人の身柄を引き渡した。

犯罪人の逮捕や取り調べは、元々、保安部隊の役目だからだ。


 またケンイチがバチャラ・ジラティワットに話させた内容の録音は、

正式な取り調べに対する供述ではないため、SGから保安部隊に参考情報

として提出された。

そこにはキーン司令官の秘密通信のファイルも、含まれている。


 ケンイチとルビーは、保安部隊との形式的なやり取りが終わると、

地上の指令本部基地への帰路に就いた。


 ***


 SG幹部達は、連絡艇で<マーズ・ワン>に到着するとすぐに

会議室で緊急会議を行っていた。

もちろん重症で民間病院に運ばれた、アルバート・ヘインズ司令官と、

SGTEのハオシュエン・チョウ副司令官の姿は無い。


 ほぼ全ての幹部が、何らかの怪我をしていたが、SG4指令本部基地が

テロ攻撃を受けた今、どう対応をするかを至急協議する必要が有ったのだ。

その会議の場に、バチャラ・ジラティワットの自供情報と、アレックス・

キーン司令官の秘密通信が届き、会議室は騒然としていた。


 カルロス・ブランコ総司令官は、右肩を脱臼したので、三角巾で右肩を

固定している。その動かしにくい右手でタブレットを持ち、

何回もキーン司令官の秘密通信の動画を見ては、激怒をしていた。


「<テラ>の工作員のテロ行為は、もちろん許せない。

 しかし、こともあろうにSGの幹部が、このような情報を捏造してでも

 SGを軍隊化させようと企むなどとは、決して許される行為ではない!」


ブランコ総司令官が右手で持つタブレットが、ぶるぶると震えている。


 誰の目にも、それは右肩の怪我のせいではなく、キーン司令官がすでに

殺害され、怒りをぶつける相手がいないので、キーン司令官の動画を映す

タブレットを、投げつけたい衝動を必至に抑えているからだと分かった。


 総司令官は、キーン司令官の動画通信の宛先のミロ・ビスカルディーニ

副司令官を更迭することを決め、さらにキーン司令官の企てに参画していた

メンバーを特定するようにと、ムーン・ウェストの保安部隊に依頼をした。


 また、総司令官はジェローム・ガルシア副司令官が、SG4航空部隊に

出したスペース・ホークの撃墜命令の通信記録についても激怒していた。


「司令官クラスの判断で、逃走中の犯人の機体を撃墜して良いなどとは

 決めておらん。明らかに誤った拡大解釈だ」


 総司令官は、すでにガルシア副司令官にも更迭命令を出した。

そしてアルバート・ヘインズ司令官の意識が戻り、指揮を取れるように

なるまでは、カルロス・ブランコ総司令官が、暫定的にSG4の司令官

を兼務することにした。


 ***


 ケンイチとルビーは、深夜に指令本部基地に戻る。

基地はケンイチ達が思っていたよりも落ち着いていた。


 <ベースリング>は停止したままで、メイン発電機も止まっている

が、重症者はすべて民間病院に搬送されており、居室の中から出る

ことのできなかった者は、すでに全員が救助されている。


 また宇宙機発着場には病院船が二機来ており、民間病院に行くほどの

怪我ではない者は、病院船で手当てをしてもらっていた。


 エアロックから展望デッキに入ると、広い展望デッキが避難所のように

なり、多くの職員がシートの上に寝たり、運び込まれた夜食を食べたり

している。近くの一角に集まっていた第一中隊のメンバーが、ケンイチと

ルビーを出迎える。


 昼の任務の後に、基地外の家に帰っていたメンバーも連絡を受けて、

全員が集まり<ベースリング>内の各居室の救助活動を手伝っていた

らしい。育休中のフェルディナン・ンボマも来ていた。


 ***


<ベースリング>の停止翌日。


 指令本部基地以外に住居を持つ職員は、昨晩遅くにバラバラと家に戻って

いたが、<ベースリング>の居住区画に住んでいる単身赴任者は、

一夜を展望デッキに敷かれたシートの上で過ごし、朝になっている。


 早朝の展望デッキ。

ルビー・キャロルが、窓辺で青い朝焼けを見ている。


 シートの上でソジュン・パクやルドラ・クマールと並んで雑魚寝していた

ケンイチも、大きく伸びをして起き上がり、窓辺のルビーの横に立った。

「寝られなかったのか」とケンイチ。


「いいえ良く寝ましたよ。でも、この素敵な青い朝焼けに気が付いて

 良かった」とルビー。


二人は、しばらく無言で東の空をみていた。

少ししてルビーが話し始める。


「ケンイチさん。昨日は私を止めに来てくれて、ありがとうございました。

 私ったら、怒りで冷静さを欠いていたから」

「ああ、いいんだ。誰でも攻撃受ければ反撃したくもなるさ」


「でも、ケンイチさんが来てくれて良かった」

「ああ、ギリギリだったがな」


「あの時に言ってくれたこと……嬉しかった。

 『大事に思ってる』なんて、人から言われたの初めてです。

 あんな場で、告白されるなんて思ってなかったですよ」


ルビーはケンイチの顔をじっと見た。


ケンイチは照れ臭そうに頭を掻きながら、明らかに少しごまかした。

「告白…? 何のことだ? 俺は、ここにいるSG4のみんなを

 大事に思ってるぞ」

といいながら、後ろを振り返る。


 近くにいるソジュンやルドラは、まだいびきをかいていた。

マリーは、ピエール・マクロンの家に泊まると言って昨晩返ったが、

他の第一中隊の単身赴任者の、シンイー、アイリーン、ヴィルも少し

離れて、タオルケットを掛けて良く寝ている。

 

「もう、ケンイチさんのイジワル」

とルビーは、色が徐々に変わって行く東の空のほうにプイっと顔を向けた。


「もちろん。応援者のルビーも『とても大事だ』」

と言いながら、ケンイチはルピーのふくれ面の頬を指でチョンとつつき

顔を洗うために洗面所へと向かった。


***


 朝一番に民間病院からは、パトリック・トンプソンは午前中の検査で

問題がなければ、退院できるとの連絡が入る。

また、その後すぐに、アルバート・ヘインズ司令官の意識が戻ったとの

連絡が入って、SG4関係者は皆、胸をなでおろした。


 この日から、指令本部基地は職員総出で復旧作業に取り掛かり、とても

忙しかった。指令本部としての一部の機能は、<マーズ・ワン>に一時移転

できるが、機体整備工場を片付けて、横の格納庫や、地下の格納庫から

マーズ・ファルコンを出撃できるようにするのが急務だった。


民間の大型重機を呼び、破壊された大扉や天井のパーツ、そして、

壊れたマーズ・ファルコンを宇宙機発着場に引っ張り出していく。

作業員達は、整備工場内の装置や機器類の損傷チェックに走り回る。


 また<ベースリング>の回転機構を復旧するには、最低二週間は

かかる見通しだったので、<ベースリング>で生活をしていた単身赴任者、

数百名については、火星地方政府のパメラ・ランドリアーニ知事と、

カルロス・ブランコ総司令官の計らいで、近隣のホテルに分散宿泊する

ことになった。


 地球との最接近時のハイシーズンで、どのホテルも満室状態だったが、

知事のアイデアで、SGが差額を全額負担するので、観光客の希望者

には、火星各所の各観光地に近い高級ホテルの空いている部屋に移って

もらいたいと打診したところ、予想以上に希望者が多く出て、

<センターシティー>のホテルから移動してもらえたのだ。


 ***


 <マーズ・ワン>の保安部隊の区画。


 バチャラ・ジラティワットは、素直に取り調べに応じ、自分達工作員は、

<テラ>の完全独立を妨げようとする動きが無ければ、何も行動を起こさ

ないことになっていたということを強調した。


 また、今回、ジラティワットが指令本部基地のメイン発電機の爆破や、

機体整備工場への攻撃を行ったのは、<テラ>からの指示ではなく、

自分の判断だったと供述し、自分自身の罪を認めた。


 強硬手段を取らざるを得なかったのは、SGに捕まってしまうと、

アレックス・キーン司令官の企みの情報などは、握りつぶされてしまい

隠蔽されると思ったので、キーン司令官の企みを確実に世間に公表する

ために、何とか逃げ切って、ダイモスで記者と接触しようとしていた

と供述した。


 ***


 この火星での大きな事件は、すぐに世界政府のジャック・ウィルソン

大統領にも連絡され、大統領とカルロス・ブランコ総司令官の間で、

数回の動画通信のやり取りが行われた。


 その結果、工作員達が、遠く離れた<テラ>と連絡を取り合うのに

使用していた広域警戒探査機のノイズを使用しての暗号通信で和平交渉を

できないかとの話が進む。


 バチャラ・ジラティワットがそれに協力をするのであれば、

<テラ>の独立を認め、ウィルスの治療薬や必要な支援物資も、必要なだけ

送ることができるという大統領からの提案がなされ、ジラティワットは

その提案を受け入れた。


 ***


 バチャラ・ジラティワットが広域警戒探査機のノイズを使用しての

暗号通信で、<テラ>に世界政府大統領の姿勢を伝えたことで、

<テラ>側も通常の通信回線をOPENにして、本格的な和平交渉が

始まる。


 世界政府が火星で製造されたウィルスの治療薬を改造ミサイルで

すでに送ったことを伝え、約二週間以内に到着すると伝えると、

感謝の意を示す返事が有り、世界政府側の『和平』の意思を

<テラ>も理解したことが分かった。


 距離が遠いため、<テラ>のリーダーであるルカ・パガニーニと

世界政府の交渉担当が動画通信を送り合うというやり取りだったが、

徐々に<テラ>の置かれている現状が判明していく。


ウィルスによるパンデミックは、宇宙ステーション<エルドラドベース>

で猛威を振るい、結局はステーションの半分のエリアを封鎖して、

やっと閉じ込めに成功したと言う。

もちろん、その封鎖区画にいる人々を助ける手段を<テラ>は持っておら

ず、通信も途絶えたため、かなりの市民が全滅したとみられている。


 その死者の中には、ルドルフ・カウフマン博士も入っており、

あのトロヤ・イースト事件で大きな脅威となっていたステルス機雷や

自爆ドローンを開発したマッドサイエンティストも、未知のウィルスには

勝てなかったということが判明した。


孤立したことで、医療面で世界政府や多くの医療機関の支援を受けられず、

多数の仲間を失ったのである。


<テラ>主要メンバーに同行して来た多くの市民も、

『世界政府からの完全な独立』の掛け声に乗せられて、トロヤ・イーストを

飛び出してきたことを後悔をしている様子も通信の裏に見て取れた。


つまり、<テラ>主要メンバーが当初考えていたような、ユートピアの

建設はできず、となり、医療崩壊により

独立が失敗したのは明白だった。


 このため、リーダーであるルカ・パガニーニや<テラ>の幹部達は、

最終的には投降することを決め、まず世界政府の救援を受けざるを

得なかった。




次回エピソード> 「第60話 別れの日(エピローグ)」へ続く




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