第5話 判明した身元

 『やわらなかな棺』が飛来した翌日の午後。


 ヘインズ司令官は、指令本部基地の<ベース・リング>の司令官室で

モニターに映るニュース報道を見て、しかめっ面をしていた。

昨日、宇宙ステーション<マーズ・ワン>に身元不明の宇宙葬の遺体が

届いたというニュースが大々的に報道されている。


 <マーズ・ワン>は民間企業や一般人も多く出入りする火星の玄関口だ。

その宇宙港で、防護服に身を包んだ医療部スタッフによってあの『棺』の

回収が行われたため、ニュースになることは避けられなかった。


 当然のことながら、感染症の疑いのある遺体が飛んで来たことは

様々な憶測を生み、パンデミックへの恐怖心をあおるような報道も見られた。


 SG4としては<マーズ・ワン>の厳格に管理されている隔離部屋内で

で検査しているので、病原体が漏れる恐れはないと発表はしているが、

焼け石に水だろう。


 唯一の救いは、マリー・クローデルの解析結果は、SG4内部の限られた

人間しか知らないので、『やわらなかな棺』とトロヤ・イースト事件を

結び付けるような報道が無いことだけだった。


 ***


 火星の宇宙ステーション<マーズ・ワン>の医療部。

女性の遺体からは、病気の原因と思われるウィルスが見つかっていた。

これまでに発見され医療データベースに登録されたものではない。


 地球圏の専門家に類似するものが無いかなどのアドバイスを得たほう

が良いと、<マーズ・ワン>のリンシン・ウー医療部長は判断した。


 指令本部基地の医療部にいるセルゲイ・ベレゾフスキー本部長にも

相談をし、採取したウィルスの情報を細かくAIに診断させた結果を

月の世界的なウィルス学者に送ることした。


 ***


 そのころ<マーズ・ワン>の宇宙域に到着した大型旅客船は、

ムーン・イースト エレクトロにクス社製の多重垂直リング型だった。

乗船定員がとても多い大型旅客船で、船名は<ムンバイ>だ。


 中型サイズのリング型居住区画を、主船体の両側に二つずつ合計で

四つも付けている。複数のリング型居住区を、時計回りのものと、

反時計回りのものとにすることで、主船体に伝わる余計な回転モーメント

が減るし、同じ定員数ならリングが中型サイズのほうが、高速航行時警戒

システムでカバーする範囲が狭いので、高速を出せるという理屈だ。


 小天体雲が太陽系と衝突し、数多の塵や小石レベルの小天体が、

ひしめいている太陽系内では、最高速度を決めるのはエンジンや推進機の

性能ではなく、宇宙空間の障害物をビーム砲で排除する高速航行時警戒

システムの性能だからだ。


 ***


 第一中隊のマーズ・ファルコン隊は、大型旅客船<ムンバイ>と

<マーズ・ワン>の宇宙港の間を行き来する多数のシャトル機の航路の

周辺を警戒していた。

午後はマリーが休暇なので、第一中隊の出動は十機だけだ。


 この日は、<マーズ・ワン>コントロールからの指示に従い

事故が起こりそうなところで待機し、万が一に備えるというのが

仕事で、事故が起こらなければかなり退屈な警備である。


隕石防衛の警報が鳴っていないときの、旅客船や輸送船の離発着時の

周辺警戒に関しては、<マーズ・ワン>コントロールに指揮権が有る。


SGの宇宙防衛機は、手伝いに駆り出された下っ端扱いということだ。

これも公務だからSGパイロットの宿命でもある。


 ケンイチは多数も行き来すシャトル機を見ながら

マリーのご両親はどれに乗っているのだろうと考えていた。


—— こんなにいっぱいお客さんが来たら、そりゃ地上に降りる

   連絡艇の予約もいっぱいになっちゃうな —— 


 地球と火星が二年と二か月毎に接近する前後の時期、このような

大型旅客船や輸送船がひっきりなしに地球圏からやってくる。

最接近まであと一ケ月を切ったので、ここからあと二ケ月が混雑の

ピークだろう。


 この<マーズ・ワン>は、訪問者にとって火星の玄関口で、

貨物類を運ぶ無人輸送船はダイモスの方がメインの宇宙港である。

どちらも、この時期は人を乗せる連絡艇も小型輸送機も大忙しだ。


通信が入る。

「こちら<マーズ・ワン>コントロールのチェレッティー。

 カネムラ中隊長。宇宙港のほうでシャトル機がかなり渋滞している。

 衝突事故が起きないように、そちらの警戒機をもっと多くしてくれ」


「カネムラ了解」


通信を中隊内通信に切り替える。

「全機聞こえたな。俺は上面の宇宙港へ行く、ヴィルは下面の宇宙港へ

 行って、ソジュンとジョンに合流してくれ。クリスは、このまま

 第二分隊と一緒に、ここ<ムンバイ>の周辺で警戒だ」

「クリス了解」「ヴィル了解です」


  ***


 ケンイチは機体を<マーズ・ワン>上面の宇宙港に近づける。

宇宙港の周りは、まだ乗客を降ろせないシャトル機が渋滞していた。


宇宙港のデッキから中に入るためのエアロックが、大勢の乗客を受け

入れるのには小さすぎて、宇宙港のデッキ上に人が溢れているからだ。


 レオナルド・カベッロの機体と、シンイー・ワンの機体が

シャトル機の行列の両側で警戒に当たっている。ケンイチはワン機

のほうに近づいて、中隊内通信で呼びかけた。

 

「シンイー。どうだ? シャトル機の接触事故は起こってないか」

「あ、中隊長。特に事故は無いです。

 地球との最接近の時ってこんなに大勢の人が来るんですね」


「そうか。シンイーは前回の最接近の時に、火星赴任してきたから、

 この『お迎えシーズン』の警戒は初めてだったな」


「ええ。もう二年も経つんですね。あっという間でした……

 あっ! あれクローデル副隊長とマクロン中隊長じゃないですか?」


「何だって? ケンイチは、人でごった返している宇宙港のデッキが

 映るモニターの倍率を上げた」


 確かにシャトル機から降りて、エアロックに向かう人の列の横に、

SG4のパイロットスーツの二人が立っている。シャトル機から降りる

乗客のほうを向いて、マリーの両親を探しているようだ。


 マリーが、乗客の列に駆け寄っていって、両親と握手をするのが見えた。

その両親は、乗客の列から少し離れるとマクロンとも握手をした。


—— 両親との感動の再会シーンだな。マリーが火星に赴任して

   初めてだから、八年ぶりぐらいのはずだ——


 ケンイチは、両親が他界しているので、家族はいない。

会える家族がいるマリーが、少しうらやましかった。


「ケンイチ。聞こえる?」マリーの声だ。

ヘルメットの通信機能で、呼びかけてきたに違いない。

宇宙港のデッキで、マリーが大きく手を振っていた。


「ああ。マリー聞こえてる。ご両親と会えてよかったな」

マリーが両親の横でこちらを指さしている。自分の仲間達が

周辺警戒をしているのだと、両親に教えているようだ。


ケンイチは、マーズ・ファルコンの信号ライトをチカチカさせて、

ご両親に歓迎の合図を送った。

隣のワン機も、同じように歓迎の合図をチカチカ送っている。

ご両親は、こちらに向かって深々と頭を下げていた。


マクロンがこちらに手を振って、デッキの四人は<マーズ・ワン>に

入るためのエアロックに向かった。


  ***


 SG4指令本部基地にいるヘインズ司令官は、ガルシア副司令官が

SGTEに問い合わせていた身元確認依頼の返事が来ているのに

気が付いて、メールを開いた。


 トロヤ・イーストのSG部隊、SGTEのラウラ・ミコラージュ司令官

からの情報だ。ミコラージュからの返信メールは、問い合わせをした

ガルシア副司令官宛だが、ヘインズ司令官にもCCで来ている


 やはり、マリー・クローデルの解析と推測の通り、あの遺体の女性は 

トロヤ・イーストの市民で、<テラ>のリーダーの口車に乗って、

『世界政府からの完全な独立』を目指し、<ヤンゴン>に乗ったらしい。


 女性の名前は、アレクシア・アンドロニク。

そして夫の名前はザハリアス・アンドロニコスという医者だった。

息子と娘もいて、四人とも<テラ>と行動を共にしているという。


—— やれやれ、やはり<テラ>がらみだったか ——


司令官はメールを閉じながら、ふと考えた。

—— いや、身元は分かったが、まだ疑問は残っている ——


 アレクシア・アンドロニクという女性は、

なぜにされたのかという謎は残っていた。


 宇宙移住時代になってからは、全ての物質はリサイクルされる。

月でもコロニーでも、宇宙ステーションでもあらゆる廃棄物や、

あらゆる不用品は、全て様々な方法で処理されて新たな資源へと生まれ

変わる。人間の遺体も例外では無かった。


 病原菌などを完全に処理するため、遺体は焼却されるのが普通だ。

ほぼ全ての長期居住型の居住施設には焼却施設も備わっていて、

それは宇宙ステーションも例外ではない。


<テラ>が強奪したトロヤ・イーストの宇宙ステーションだった

<エルドラドベース>にも焼却施設はついているはずである。


アレクシア・アンドロニクの遺体は、なぜ焼却されなかったのか?

—— <エルドラドベース>で何かが起こっているのか? ——


 ***


 <マーズ・ワン>の医療部。

医療部スタッフ達は、隔離部屋の中で慎重に女性の遺体から採取した

ウィルスを調べて、その特徴を解明しようとしている。

 

 すでに女性の体には、様々な医薬品を投与された痕跡が見つかっており、

必死に治療を試みたが、助けられなかったということが分かっている。

その治療の痕跡はこのウィルスがかなり手ごわいことを指していた。


 詳しく調べるために、人工的に作った培養細胞の入っているシャーレに

採取した微量の体液を入れ、体温と同じ温度に設定した培養器に入れて

いたが、数時間後にその培養器を開けたスタッフが驚きの声を上げた。


「なんだこれは!」


 培養器の中のシャーレは、見るのがおぞましいほど増殖したウィルスで

満たされ、不気味などす黒い色になっていた。





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次回は>[番外]補足(1)と設定集リンク


(第二弾の次のエピソードに進む方は下記リンクをご参照ください。)

次回エピソード>「第6話 SG軍隊化構想」へ続く

https://kakuyomu.jp/my/works/16817330666109110235/episodes/16817330666415944143

 















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