第2話 やわらかな棺

「こちらケンイチ。マリー。迎撃中止だ! 迎撃中止! 人間が入ってる。

 ソジュン! TNSであれを回収……いや救助してくれ」


「マリー了解。第二分隊は待機」

「こちらソジュン。了解。TNSを出す」


「こちら第一中隊カネムラ。航空管制室、聞こえますか?

 デブリには人間が入ってる模様、遺体かもしれない。救助に向かわせる」


「何だと! 人間だって?」

ホルスト・クラインベックの驚きようからすると、航空管制室はまだ

映像の判別ができていなかったようだ。


「映像を送ります!」ヴィルヘルム・ガーランドが、袋からはみ出した

の良く見える停止画像のキャプチャーを、航空管制室と

<マーズ・ワン>コントロール、そして第一中隊全機に転送した。


「やだ~」

通信から聞こえたのは、出撃している第二分隊のハリシャ・ネールの声だ。

ハリシャは、トロヤ・イースト事件で大怪我をして手術したが、

その後二ケ月の特別休暇を終えて、業務に復帰したばかりだ。


「こちらソジュン。TNSを展張するぞぉ。ぶつかんなよぉ」


 パク機が格納庫からTNS(トライアングル・ネット・システム)を

出して、その三角ネットの頂点につく小型ロケットを噴射させる。

三角形の大きなネットを広げるのが、壁の映像でよく見えた。


 TNSは本来は火星の上空に飛ばして隕石防衛面を形成するシステムだが、

宇宙機工学の博士号を持つソジュンは、機械いじりも好きで、TNSを

自分で操作できるコントローラーを自作した。

 TNSコントローラーはトロヤ・イースト事件でも大活躍した装置だ。


 TNSネットは迫ってくるデブリの方向に進み、さらに大きく広がった。

少し待つと、デブリが向こう側でネットに当たり、こちらから見ると、

少しだけネット中央に凸状のゆがみができたが、隕石よりも随分と軽いので、

ネットは大きくは変形しなかった。


「はい。火星に到着しましたよぉ。お疲れさまでした」とソジュンの声。

遺体の回収だからか、ソジュンの声もいつもより神妙な感じだ。

映像では、マリー・クローデルの機体が、TNSネットの前方に回り込み、

デブリを観察しに行こうとしているのが見えた。


「こちらマリー。リアルタイムでガンカメラの動画を送るわよ」

「こちらケンイチ。了解」


 マリーから送られる動画を、航空管制室も、待機室のケンイチ達も、

そして中隊各機のパイロットも息を飲んで見つめた。


 TNSネットに当たって止まっているので、詳細まで良く見える。

白い半透明の樹脂製のやわらかそうな袋で、外からでも明らかに人の形が

うっすらと見える。その横の一部が破損して破け、女性の右手と思われる

細い指が見えていた。


 足元の方には、黒ずんだ汚れがかなり付いていて、足元から腰まで

袋が所々ダメージを受けているようだ。


通信が入る。

「どこかで亡くなって、宇宙葬にされたのかしら」とマリーの声。

「マリー。でも宇宙葬は法律で禁止されてるだろ」とケンイチ。


「昔の宇宙葬ならさぁ。確かもっと、厳かなハードなカプセルに

 入れてたって、聞いたことあるぜぇぇ」ソジュンの声だ。


「そうね。焼却することもせず、こんな簡易的な袋……

 で送り出すというのも理由が分からないわね」


 マリーはしゃべりながら、ガンカメラをズームアップして、機体を

コントロールし、足元から、なめるように上半身の方を映していく。


「この足元の袋の汚れかたを見ると、漂流中に隕石に当たったように

 見えるわ。それなら、あれだけの速度と回転で飛んで来た理由も

 説明できる」とマリー。


 ガンカメラが胴体上半身を映す。

半透明の袋を通して、青い衣装のようなものが見える。そして胸元の

部分には何か赤いものが映っているが、それが何かは良く分からない。


 さらに、映像の範囲が顔の方へ寄って行く。顔の部分は、袋が透明に

なって少し顔が見えるようになっていた。


「あっ…ぐっ…」通信のマリーの声がひきつったのがわかる。

「なんだこれは、これが死因か?」とケンイチ。


 袋の中の顔は、輪郭からは女性の顔のように見えるが、赤く水膨れした

斑点が沢山出ており、明らかに何かの病気を患ったように見えた。


「こちらケンイチ。航空管制室。このご遺体は、何かの病気で亡くなった

 人を宇宙葬にしたように見えますが、どうしますか?」


「こちら航空管制室クラインベック。火星に無い伝染病だと困るな。

 念のため、これから<マーズ・ワン>の医療部に、防護服と隔離ケースを

 準備させて宇宙港に向かわせる。

 そのまま丁重にTNSで宇宙港まで運んでくれないか」


「承知しました。ご遺体を宇宙港へ運びます」


 ***


 ソジュン以外の第一中隊メンバーは、パイロット待機室で壁の映像を

注視していた。ソジュン・パク機がTNSをコントロールしながら、

宇宙港までご遺体を運ぶのが映っている。


 ソジュン・パク機のガンカメラ映像で見える宇宙港は、すでに物々しい

雰囲気だ。デッキの一部に立ち入り禁止のテープが張り巡らされている。


宇宙服のスーツの上から、さらに防護服を纏った医療部スタッフが五名

ほどいて、そのうち三人は、棺のハードケースや隔離ケースを運んで

来ていた。


 少し遠巻きにして、宇宙港で働くスタッフ達が、立ち入り禁止のエリア

の外から、何が起きるのかを見ようとして取り巻いている。


 <マーズ・ワン>は火星の玄関口でも有り、SG職員だけでなく、

一部が民間企業にも貸し出されて、事務所となっている。

このため、騒ぎを聞きつけて、宇宙港まで来た野次馬もいるようだ。


ソジュンの通信が、パイロット待機室にも聞こえた。

「こちら宇宙港のデッキの医療班です。第一中隊のパク副隊長。

 こっちにゆっくり送り出せますか?」


 ソジュンがTNSを操り、『やわらかな棺』を、宇宙港のデッキの上に

ゆっくり漂わせるように送り出すと、防護服を着た医療部スタッフが、

手を伸ばして袋を手繰り寄せた。


 ソジュンが、TNSをコントロールして宇宙港のデッキから遠ざけようと

していると、医療部スタッフが慌てて通信をしてくる。


「パク副隊長。そのTNSのネットにも、何らかの病原菌が付着している

 恐れが有りますから、こちらで回収します」


 ***


 火星への移住が始まった初期から、火星への病原体の持ち込みには

皆がピリピリしていた。地球圏ほどは大きな病院施設なく、最先端の

医薬品は火星では作れないので、地球圏からの輸送に頼っている。


 月のように人口過密な場所では、地球時代から持ち込んだ病原菌や

ウィルスがまだ撲滅できておらず、その分、感染病医療も充実している。


 火星に深刻な病原菌を持ち込まないようにすればするほど、火星生まれ

火星育ちの人々は、十分な免疫も無く、ワクチン開発などの伝染病の医療も

月ほどは充実していないという、皮肉な結果を招いていた。


 ***


 ソジュンはTNSをデッキに降ろすと、TNSのコントロールを終了した。

防護服の医療部スタッフが、小型ロケットを切り離し、ネット部分を

慎重に丸めて、隔離ケースにしまった。


 ご遺体の袋をデッキに降ろしたスタッフが、仲間に何か合図をして、

道具を持って来させた。そのまま棺のハードケースに入れるのではなく、

破れている袋からご遺体だけを出したいようだ。


 ソジュン・パク機のガンカメラ映像は、その様子を映し続けていた。

袋が大きめのカッターのような道具で切り開かれる。


そこには、が横たわっていた。




次回エピソード>「第3話 棺はどこから?」へ続く



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