池魚の殃
三鹿ショート
池魚の殃
怪我を負った人間を見れば、然るべき機関に通報することが当然だろう。
だが、彼女はそれを拒んだ。
その時点で、彼女が訳ありであることは分かっていたのだが、私は彼女に手を差し伸べた。
その行動は、善意で満ちたものではない。
彼女から何らかの見返りを得ることができるのではないかと、期待していたのである。
私は、何もかもが間違っていた。
***
彼女を自宅に匿い、応急手当を施すことにした。
骨が見えるほどの怪我を負っているわけではなく、浅い切り傷や殴られた跡などを考えると、痛めつけるということが目的のようである。
私が全ての傷を処置した後、彼女は感謝の言葉を口にすると、即座に家を出ようとした。
私は彼女の手を掴み、首を横に振った。
「何があったのかは知らないが、しばらくはこの家にいるべきではないか。完治するまでとは言わない。せめて、痛みをそれほど感ずることが無くなるまで、休むべきだ」
その言葉に、彼女もまた首を左右に振った。
「あなたが巻き込まれてしまいます。恩人であるあなたに苦痛を味わわせることになることは、避けたいのです」
神妙な面持ちの彼女に対して、私は笑みを浮かべた。
「きみを助けた時点で、何かが起こるだろうということは、覚悟している。気にする必要は無い」
私がそう告げると同時に、窓硝子が割れた。
どうやら、外から石を投げ込まれたらしい。
窓の外を見ると、筋骨隆々の男性たちが、我々に目を向けていた。
不味いと思ったときには、既に男性たちが動き始めていた。
しかし、それと同時に、彼女が私の手を引いて駆け出していた。
外に出、彼女は迷うことなく駅へと向かった。
人混みに紛れ込むという作戦は成功し、男性たちは我々とは逆の方向へと歩いて行った。
だが、油断してはならないだろう。
男性たちに気付かれることがないように駅から出ると、少しばかり離れた場所に存在する宿泊施設へと向かった。
***
何が原因で男性たちに追われているのかと問うたところ、彼女は首を横に振った。
「私にも、理由が分からないのです。突然捕らえられたと思えば、とにかく私の肉体を傷つけるばかりだったのです。私が知っている何かを聞き出そうとしているわけでもなく、この肉体を陵辱しようというわけでもない。だからこそ、恐ろしいのです」
確かに、暴力に理由が無ければ、解放される条件も不明であるために、何時逃れることができるのかを想像することもできない。
それならば、物理的に逃亡するしか方法は無いだろう。
しかし、何時までそのように行動しなければならないのだろうか。
いっそのこと、男性たちの前に姿を見せて、彼女に執心する理由を問うた方が良いのだろうか。
そのように考えていると、不意に衣擦れの音が聞こえてきた。
目を向けると、彼女が衣服を脱いでいた。
慌てて目をそらすが、彼女は背後から私を抱きしめながら、
「今の私に出来る謝礼といえば、これくらいしかありません。傷だらけの肉体で良ければ、精一杯、奉仕します」
その言葉に、私は生唾を飲み込んだ。
このような状況こそ、私が望んでいたものである。
これから先に何が待ち受けているかは不明だが、今は目前の快楽に耽るべきだろう。
私が彼女に振り返ると同時に、激痛が顔面に走った。
顔面を手で押さえながら床に倒れると、その手に血液が付着していることに気が付いた。
涙を流しながら彼女に目を向けると、彼女は表情を浮かべることなく、五指を折り曲げ、握り固めていた。
困惑する私に構わず、彼女は素早く私に近付くと、眼窩に指を突き込んできた。
片目を奪われ、私は泣き叫んだが、彼女の手が緩むことはない。
耳を引きちぎられ、指の骨を折られ、足首を掴まれたと思えば、そのまま顔面を壁に叩きつけられた。
私の意識は、其処で途絶えた。
単純に気絶したのか、この世を去ったのかは、不明だった。
***
「あと少しで捕らえられたというにも関わらず、何故ことごとく邪魔が入るというのか。見ず知らずの傷だらけの人間を匿うなど、正気の沙汰ではない」
「被害者である彼らは、刺激を求めていたのではないか。繰り返される日常に嫌気が差していたとき、非日常と遭遇すれば、それに飛び込んでしまいたくなる気持ちは、理解することができる」
「彼女もまた、そのように理解しているのだろう。だからこそ、同じような被害者を生み出し続けることができるのだ」
「被害者と化した彼らには申し訳ないが、刺激の無い日常が繰り返されていることこそ、この上なく幸福だということに気が付いていなかったことが、全ての原因なのだろう。今回で彼女の犯行が止まるとは考えられないのは、そのような人間がこの世界に溢れているからなのだろうな」
池魚の殃 三鹿ショート @mijikashort
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