第七章 一喜一憂する恋心と町会の会合(2)

「それじゃ、行ってくるな。親父、留守中セイーリンのこと頼んだぞ」


「心配性ねえ、フュリドは。あたしはもうすっかり元気って言ってるじゃないの。今日も一日ゆっくり休んだし……というか、休みすぎてもう飽きたわ。明日からの仕事復帰が待ち遠しいくらいよ」


「そんなこと言って、俺がいない間に無理するんじゃないぞ」


「わかってるわよ。ほら、さっさと行った行った。遅刻するわよ」


 笑いながら手を振っている義姉さんといつもどおり仏頂面の父さんを残して、家を出る。


 集会所まではちょっと歩く。集会所に近づくにつれて、通りを歩く人の数が増えてきた。


「ラピス、はぐれるなよ」


 兄さんがそう言いながらラピスの手を取ろうとするけど、ラピスは兄さんの手を振り払った。


「俺、一人で歩ける! はぐれても集会所まで行けばいいんだから大丈夫だ!」


「それはまあ、そうか」


 兄さんは納得したように手を引っ込めた。


 人波に流されながら、集会所に着いて、中に入る。


 集まっている人たちの外見は様々だ。一番多いのは、あたしと同じ、褐色の肌に黒い巻毛と黒い瞳の人たちだけど、義姉さんみたいな象牙色の肌の人たちもいるし、シアやお師匠みたいな白い肌に明るい色の髪や目をした人たちもいる。ほとんどは男性だけど、女性もちらほらいる。


 人が多いけど、担当の火属性の人たちが部屋を冷やしてくれているから、熱気で気分が悪くなるようなことはない。


「兄さん、あたし町長さんにお師匠は今回不参加だって説明してくるね。シア、一緒に来て」


 シアを連れて、集会所の真ん中にある壇の上にいる町長さんの元に向かう。


「こんばんは、町長さん」


 声をかけると、町長さんが振り返った。町長さんはやせぎすで背が高いので、女性にしてもあまり背が高くないあたしは、かなり見上げないといけない。年は三十代半ばで、町長にしては若い方。先代町長だった町長さんのお父さんが、病気で早く亡くなってしまったからだそうだ。


「ああ、こんばんは、リューリア」


 愛想良く笑った町長さんの目が、シアに留まる。


「こちらのお嬢さんは、もしかしてここ数日〈フェイの宿屋〉で給仕をやってるっていう人かい?」


「そうです。あたしの幼なじみで、ルチルカルツ・シアっていいます」


「はじめまして。ルチルと呼んでください」


「これはこれは。はじめまして。このクラディムの町長をやっているタリオンといいます。あなたの噂は色々と聞いていますよ。お会いできて嬉しいです」


 町長さんが差し出した手を、シアが礼儀正しく握る。


「こちらこそ、お会いできて光栄です」


「この町にご滞在された感想はいかがですかな。この町を気に入ってくださってるといいんですが」


「ええ、もちろんです。とてもいい町だと思います。わたしはこれまでに結構な数の町を訪れてきましたが、ここが一番気に入っています」


「そう言っていただけると嬉しいですねえ」


「あの、町長さん。お話し中すみません」


 あたしは割って入った。町長さんお喋り好きだから、放っておくと長くなって、本題に入れなくなりそうだったんで。


「実はお話ししないといけないことがあって。お師匠は今回の橋の修繕作業には不参加だそうです。あたしに任せるって言っていました」


 町長さんが驚いたように目を見開く。あたしは急いで付け加えた。


「あ、でも、あたし一人じゃなくて、このシア……ルチルも魔術師で、あたしを手伝ってくれます。だから、えっと、大丈夫……のはずです」


 町長さんは考えるようにしていたけど、少ししてうなずいた。


「わかったよ。そういうことなら、話しあいの後で皆に説明しないとならないね。改めて挨拶してもらうことになると思う」


「は、はい。わかりました」


 あたしは緊張で汗ばみ始めた手を握りしめて答えた。大勢の人の前で話すのは苦手なんだよなあ。あたしは、皆に注目されるより周囲に埋没したい方だから。


 そういう意味では魔術師って仕事にはあまり向いていない。将来のためにお金を貯めておきたい、とか、せっかくレティ母様とヨルダ父様に教わった魔術を人の役に立てたい、って気持ちがなかったら、この仕事は選んでいなかったと思う。


 町長さんに、また後で、と挨拶して兄さんとラピスの元に戻る途中で、シアが口を開いた。


「後で皆の前で挨拶する時だけれど、さっきみたいに自信のないところは見せない方がいいわ。ルリが不安そうにしていたら、皆もルリに任せていいのかって不安になるもの。だから、自分に任せて大丈夫だ、って堂々と言いきってしまった方がいいわよ」


「う……それはまあそうだろうけど、なかなかそんな風にはできないよ。正直自信ないし……」


「ルリにはもうそれだけの力があるって、イァルナさんも言っていたじゃない。自分のお師匠さんの見る目を信じられない?」


「そうじゃないけど……」


 でも、大丈夫だって言いきって、それで失敗したら、皆に冷たい目で見られそうで不安なんだよね……。だからつい、予防線を張ってしまう。


「それに、ルリにはわたしがついているでしょう? 何かあってもわたしが手助けするから、失敗することは絶対にないわ。だから不安になる必要なんてないのよ」


「うん……そうだね」


 そう。そうだよね。シアがいてくれるんだもん。大丈夫だよね。


 強張っていた肩の力がちょっと抜ける。あたしは感謝の気持ちをこめてシアに微笑みかけた。シアも微笑み返してくれる。嬉しいけど、やっぱりまだドキドキして、つい目をそらしてしまう。


 そんな状態で兄さんとラピスの元に戻った。兄さんが四人分の席を取っておいてくれたので、長椅子に座って会合が始まるのを待つ。


 程なくして、チリンチリーンと鐘の音が響いた。風魔法で集会所全体に響き渡る。会合開始の合図に、ざわめきが収まって、皆の視線が集会所の中央に向く。


 町長さんが始まりの挨拶をして、今日の議題とこれまでの経緯を簡単にまとめる。会合ではいつも担当の風属性の人が、話をする人の声が集会所のどこにいても聞こえるようにしているから、聞き取るのに苦労はない。


「……そういうわけで、国からの補助金が出るまでにはまだしばらくかかりそうなんだ。その一方で、早く橋を直してほしいという声は日に日に多くなっている。なので、それにどう対処するか話しあうために、今日は皆に集まってもらったというわけだ」


 町長さんが口を閉じると、さっそく意見を述べたい人たちが手を上げる。町長さんが一人を指名する。


「仕事が遅え国にいつまでもつきあってらんねえよ。補助金が出るまで待ってたら、いつまで経っても橋を直せやしねえ。その間に町全体の損失がどんだけ増えるかわかったもんじゃねえんだぞ。国に頼らず、自分たちで何とかしようぜ」


「それじゃあ修繕費用を町会費から出すってのか? それは、あまりにも負担が大きいだろう。他のことに回す金がなくなっちまう」


 喧々諤々と議論が始まる。それを聞きながら、シアが興味深そうに言った。


「国に頼らずにやろう、というのが第一に出てくるんですね」


 ラピスを挟んでシアの一つ隣に座っている兄さんが、その言葉を耳に留めて、シアの方に身を乗り出した。


「この町は、国を始め外の者に頼らず自分たちでやろう、って気風が強いですからね。百年くらい前の戦争で隣国グロリアの軍が近くまで攻めてきた時も、周囲の他の町のほとんどは傭兵を雇ったけど、この町は自警団だけでしのいだんですよ。それを誇りに思って、その伝統を守ろうとしてる人が多いんです。――もっとも、何でも自分たちでやろうって姿勢も、いいことばかりじゃないですけどね」


 シアは少し首を傾けた。


「そうですか?」


「ええ。何でも町単位でやるのが普通ってことになっちまったら、国が出すべき金を出すのを渋るようになっちまいかねないでしょう? それは、国が国の責務を果たさなくなるってことじゃないですか。そんなことになったら、何のために税金払ってんだって話だし。だから国にはきっちり金を出させねえといけないですよ」


「ああ、それはそうですね」


「でしょう?」


 けど、と言って兄さんは笑った。


「それでもやっぱり、国に頼らず自分たちで問題を解決しよう、って姿勢は誇らしいって思っちまうんですよ。こういう時ほんと、この町に生まれて良かったって思います」


 兄さんは本当に誇らしそうな顔をしている。それがちょっとうらやましい。あたしはクラディムに住んでまだ五年だから、そこまでの帰属意識は持ててないし。

 あと五年経って、人生の半分をクラディムで過ごした後になれば、兄さんみたいに思えるようになるだろうか。そうだといいな。


 あたしが未来に思いを馳せている間に、議論は落ち着いてきて、話はまとまりつつあった。兄さん同様、国にちゃんと補助金を出させなければ、って考える人が結構いて、でもその人たちも、橋の修繕は急ぎたいと思っている。


 最終的には、まずは町会費から費用を捻出して橋を修繕し、その後で国にもちゃんとお金を出させて、町会費から出した分を埋める、その間に町会費が足りなくなったら、その都度お金を町民から集める、ということに決まった。


 どうしても各家庭の負担は増えるから、難しい顔をしている人も多かったけど、兄さんの言うとおりクラディムの人たちは独立心が強いから、皆仕方がないと負担を受け入れているようだ。


「話がまとまったところで、皆に一つ知らせておくことがある。リューリア、こっちに来てくれ」


 町長さんに呼ばれて、あたしはばくばくする心臓を押さえながら立ち上がった。町長さんの元に向かう。シアも後についてくる。


 壇に上がると、町長さんに、まずは挨拶を、と促された。


「こ、こんばんは。改めてご挨拶させていただきます。〈フェイの宿屋〉のウルファンの娘リューリアです」


「リューリアの家に泊まっているルチルカルツ・シアです。はじめまして」


 あたしとシアが挨拶を終えると、町長さんが再び話し始めた。


「実は今回、イァルナさんは橋の修繕作業に参加しないことになった」


 町長さんの言葉に、集会所にざわめきが広がる。


「ああ、といっても、魔術師が参加しないというわけではない。知っている者も多いだろうが、このリューリアはイァルナさんの弟子で、つまり魔術師だ。今回は彼女が修繕作業に必要な魔術を担当してくれる」


 町長さんがそう説明すると、ざわめきは少し小さくなったけど、戸惑ったようにあるいは不安そうに顔を見合わせている人たちも多い。


「おいおい、大丈夫なのか? そんな成人もしてないような小娘に任せるってよお」


 最前列の椅子に座っている男性が顔をしかめて言うと、あちらこちらから同意する声が上がった。


 予想していたことではあるけれど、はっきりとそう言われると、体を縮こまらせたくなる。


「実際の作業はリューリアが行うとしても、イァルナさんにも念のためいてもらった方がいいんじゃないのかい」


 後方から飛んできた女性の提案に、賛同の声が続く。


 町長さんが、皆を落ち着かせるように、両手を上げた。


「まあまあ、リューリアは確かに若いから、不安に思う者もいるだろうが、イァルナさんがリューリアに任せたんだったら、大丈夫だろう。あの人は、こうした仕事をわずらわしがってるけど、無責任な人ではないからね」


「……まあ、確かに。扱いづらい人だけど、仕事はいつもきっちりこなしてくれるもんな」


「それはまあ、そうだな。しかしなあ……」


 町長さんのとりなしにざわめきは更に小さくなったけど、まだ不安そうな顔がそこかしこに見える。


「ほら、リューリアも、皆を安心させてやりなさい」


 町長さんに言われて、あたしはごくりと唾を呑んだ。


 あたしの緊張が高まるのを感じ取ったのか、シアが体の陰でそっと手を握ってきた。


「堂々とね、ルリ。自信を持って」


 シアが耳元でささやく。握られた手からシアのぬくもりと手のやわらかさが伝わってくる上、シアの顔があたしの顔の間近にあって、心臓が爆発しそうになる。そのせいで不安が心の隅に追いやられた。


 違う緊張でドキドキしながら、口を開く。


「私は確かにまだ若輩者ですが、イァルナ師匠に、今の私なら立派に魔術師としての役目を務められるだろう、って認めていただきました。私に仕事を任せてくださる皆さんの期待を裏切らないよう、精一杯やらせてもらいます。それに、私一人じゃなくて、魔術師一族出身のこの」シアに視線を向ける。「ルチルカルツ・シアも一緒に作業に参加してくれる予定なので、ご安心ください。シア……彼女は私よりずっと優れた魔術師ですから、私の力が不足していた場合も、充分に補ってくれるはずです。えっと、そういうわけなので、どうぞよろしくお願いいたします」


 口を閉じて、皆の反応を待つ。ちょっと間があってから、しわがれた声が響いた。


「そういうことならまあ、任せてみてもいいんじゃないかね。イァルナさんのお墨付きだというし」


「そうそう。若いもんを育てるのも大事なことだよ。イァルナさんだってもういい年なんだし、いつまでもあの人に頼りっきりじゃいられんだろう」


「……まあ、爺さんたちがそう言うなら……」


 さっき一番に不安を口にした男性が、不承不承といった顔で言った。他の人たちの間にも納得したような雰囲気が広がっていく。


「じゃあ、そういうことでみんないいよな。がんばれよー、リューリア」


 食堂の常連さんの一人が、言いながら手を叩いてくれた。それにつられたように拍手があちこちから上がって、やがて集会所を拍手の音が満たす。


 あたしは、安堵に足の力が抜けそうになるのをこらえながら、大きく息を吸い込んだ。


「はい! がんばります!」


 町長さんが肩を叩いてくれる。


「良かったね、リューリア。――それでは、以上で会合は終了とする。皆集まってくれてありがとう」


 町長さんの閉会の言葉を聞きながら、シアの方を見る。シアはにこりと微笑んでくれた。


「がんばったわね、ルリ」


「シアのおかげだよ。ありがと」


「ふふ、どういたしまして」


 シアの微笑みに胸をときめかせながら、壇を下りる。兄さんとラピスの元に戻る途中で、温厚そうな顔の五十代くらいの男性に声をかけられた。


「ちょいと失礼、綺麗なお嬢さん。あんたがリューリアの幼なじみのルチルさんかい。この間は森で孫のディオが世話になったそうだね。礼を言うよ」


 あたしは男性の言葉に注釈をつけた。


「ディオはほら、森で魔力暴走起こした子たちの片割れ。シアが止めた方の子だよ」


「ええ、憶えてるわ。――あの時は大事に至らなくて良かったです。ディオくんはお元気ですか?」


「ああ、毎日あちこち走り回ってるよ。小さい頃からわんぱく小僧でねえ。少々短気で魔力暴走起こすことも多くてね。もう少し落ち着いてくれるといいんだが」


 ディオのおじいさんの愚痴に相槌を打っていると、筋骨隆々とした壮年の男性も声をかけてきた。


「あんたが、娘が言ってたルチルさんだな。あ、うちの娘はアルマってんだけどよ。森に行った時に怪我治してもらったって聞いてな。どうもあんがとよ」


「大したことはしていません。大きな怪我ではありませんでしたし。アルマちゃんによろしくお伝えください」


「ああ、伝えとくよ。あんたのことが随分気に入ってるようだから、もし機会があったらまた遊んでやってくれ。じゃあな」


 ディオのおじいさんとアルマのお父さんに別れを告げて、兄さんとラピスと合流した。


「リューリア、みんなに認めてもらえて良かったな。俺もほっとしたよ」


「うん。といっても、本当の意味で認めてもらえるのは、仕事をちゃんとこなした時だろうけど」


「大丈夫だろ。おまえならできるって。自信持てよ」


 兄さんが、ぽん、とあたしの頭を叩いた。


「ん。シアにも言われたし、努力するよ」


 話しながら、集会所から出る。


「ラピス、今度は手つなぐぞ。今はぐれたら、見つけるのに時間かかるし、そもそももう結構遅くて危ねえからな」


 兄さんが、強引にラピスの手を取る。ラピスはちょっと頬をふくらませた。


「俺、大丈夫なのにー」


「だーめだ。それとも、だっこにするか? 俺はそれでもいいぞ」


 にやっと笑った兄さんに、ラピスは顔をしかめてみせた。


「だっこなんてやだよ! 俺もう赤ん坊じゃねーんだから! ……しょうがねえから、父ちゃんと手えつないでやる」


「生意気な口叩くようになったなあ」


 兄さんが、ラピスの手を握っているのとは逆の手でラピスの髪をぐしゃぐしゃにする。前を歩く二人のそんな様子を何とはなしに眺めていると、シアが話しかけてきた。


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