第七章 一喜一憂する恋心と町会の会合(3)

「この町は本当にいい町ね。昨夜も思ったけれど、よそ者のわたしを温かく歓迎してくれて」


「ああ、ここ交易路の途中にあるでしょ? だから隊商が多く通るし、よそ者に慣れてるんだよね」


「そうなのね。それにしても、ちょっと驚いたわ。うちの里とは大分違うでしょう?」


「あー……シアの里の人たちはよそ者嫌いだもんねえ」


 はは、と苦笑してから、あたしはふと頭に浮かんだことを口にした。


「あたし時々思うんだけど、よくあたしあの里に受け入れてもらえたよね。よそ者のことなんて知らん、死んでも自分たちには関係ない、とかってなりそうなのに」


 実際、よそ者は出ていけ、とかいじめられたこともあったなあ、と思い出す。そう言ってきたのは子どもたちだったけど、周囲の大人が似たようなことを言っていなければ、そもそも子どもの口からあんな言葉は出てこないだろう。


 シアが困ったように笑う。


「それは……否定できないところが痛いわね」


「でも真面目な話、何でだったのか知ってる? レティ母様とヨルダ父様が頼み込んでくれたとか?」


「それもあるかもしれないけれど……ルリが無属性だっていうのが大きいと思うわ」


 あたしはぱちくりと瞬いた。


「無属性なのが関係あるの?」


「無属性の血筋からは、わたしたちと同じ子ども……つまり〈神々の愛し児〉が生まれやすいのよ」


「え、それってシアたちの一族の血を引いてなくてもシアたちと同じになるってこと?」


「そう。突然変異のようなものかしらね」


「へえー、そうなんだ。じゃあ、今義姉さんのおなかにいる赤ん坊が〈神々の愛し児〉だったりするかもしれないんだ」


 でもそうなったとして、それってどうやって見分けるんだろう。訊いてみたいけど、それは教えられないことなんだよね。お師匠の家で、シア、そう言ってたし。


「その可能性はあるわ。でなければ、ラピスくんの子どもか……」シアがちょっと首を傾けて微笑む。「もしくはルリの子どもかも」


 あたしは顔をしかめた。


「やめてよ。あたしは子どもは産まないから」


 シアがぱちぱちと瞬きをした。


「そうなの?」


「うん。だって子どもを作るには男の人と……寝なきゃいけないでしょ? あたし、それは絶対に無理だから」


 「絶対」を強調しておく。ここのところ、シアにはわかっていてもらわなきゃ。


「……そうなの」


 シアがつぶやく。あたしはうなずいてから、付け加えた。


「あ、でも、子どもは欲しいと思ってるよ? だからいずれ伴侶ができたら、孤児を引き取って育てようかなって。血がつながってなくても愛しあう親子になれるっていうのは、レティ母様とヨルダ父様が教えてくれたしね」


 シアとこういう話するのは、すごくドキドキする。その「伴侶」っていうのがシアだったらいいな……なんて言えないけどね。


 でも頭は勝手に、シアと子どもたちと一緒に暮らす自分の姿を想像してしまう。うう、恥ずかしい。でもでも、そうなったら本当にすてきだよね……。


 自分の妄想にうっとりしていると、シアがぽつりと言った。


「わたしは……考えたことなかったわ」


 あたしは、頭を一つ振って妄想を頭の隅に押し込めると、シアに返事をした。


「何を考えたことなかったの?」


 シアは、本当に思いもよらないことを聞いたような、どこか当惑したような顔をしている。


「子どもを作らない道もあるんだってことを。……子どもを作るのは、うちの一族では義務のようなものだから」


「……………………そーなんだ」


 あたしは、一気に落ち込んだ気持ちを表に出さないよう一生懸命こらえた。


 ……子どもを作るつもりだってことは、シアは男の人と結婚する気だってことだよね。だったら多分男の人が好きなんだろう。


 ……告白もしてないのに、振られた気分……。


 胸がずきずきと痛む。恋心を自覚した次の日に失恋なんて、酷すぎるよ。あたし、何か恋愛の女神シェルナーダを怒らせるようなことしたかなあ……。


 シアと一緒に暮らして子どもを育てる、なんて妄想してた自分が本当に馬鹿みたいで、尚更気分が低下していく。


 あたしが沈んでるのは正直隠しきれてないと思うんだけど、シアは何か考え込んでる風で、あたしの様子の変化には気づいてないみたい。それが半分ありがたくて、半分残念。……ちょっとムカムカしてもいる。あたしのことを、直接的にではなくても振っておいて気づきもしないなんて、酷い、って思ってしまう。


 シアは別に悪くないって頭ではわかっているけど、感情は納得しきれない。でもそうやってシアを責めてしまう自分が嫌でもあって、自己嫌悪も感じる。


 そんな負の感情でいっぱいになりながら、家までの道を歩いた。家に着くと、兄さんに声をかける。


「今日はもう特にすることないよね? あたし疲れたから、もう寝るね」


「ああ、わかった。おやすみ、リューリア」


「うん、おやすみ、兄さん」


 ラピスと、まだどこか上の空のシアにも就寝の挨拶をして自室に向かう。自室に入ると、さっさと寝巻に着替えて窓を閉めて、寝台に転がった。でも寝台脇の小箪笥の上に置いた手燭の蝋燭の火は消さずにつけたままにしておく。


 兄さんにはああ言ったけど、すぐには眠れる気がしない。ただ一人になりたかっただけだ。胸の中で渦巻いているこのどろどろした感情を誰にも気づかれたくなかったし、シアの顔も見たくなかった。


 じっとしていられなくて、寝台の上でごろごろ転がる。胸の中のもやもやを持て余していると、ふと唇から歌がこぼれた。



目を閉じれば浮かぶはあなたの笑顔

ああ 愛しい人よ あなたが恋しくて

一人この胸焦がしてる


目を閉じれば浮かぶはあなたの背中

ああ つれない人よ あなたが恨めしい

それでも想い消せなくて



 何年か前に町に来た劇団が公演していた劇中で使われていた歌の一部分だ。今のあたしの気分にすごく合っていて、何度も繰り返し口ずさむ。


 片想いしてこんなに胸がずきずきもやもやするのはあたしだけじゃないんだ、ってちょっと励まされた気分になれる。やっぱり歌はいい。


 もう一度歌詞を声に乗せる。でも、歌に没頭するあまり大きな声で歌いすぎないように、気をつけないと。もう夜も結構遅いし、それにまだ起きてるって家族にバレたくないしね。この歌を歌ってるのも聞かれたくない。


 あたしは、はあ、とため息をついた。


 失恋しちゃったって誰かに聞いてほしい気もするけど、口に出して言うにはまだ傷が生々しすぎる。胸の中を占めてるぐちゃぐちゃした感情も、全然落ち着いていないし。しばらくはこのことについて人と話すのは無理だと思う。


 あたしはむくっと起き上がって、寝台脇の小箪笥の上に手を伸ばした。並んでいる木彫りの生き物たちの中から、兎を手に取る。あたしが持っているたくさんの木彫りの中でも古い物だ。大分古ぼけて色も変わってしまっているし、欠けている部分もある。でも大切な物だ。


「フィフィ……」


 名前を呼んで、小さい頃よくやっていたようにぎゅっと抱きしめると、何だか子どもの頃に戻ったような気がする。そのせいかじわっと涙が出てきた。


「うう、胸が痛いよ、フィフィー……」


 フィフィを更に強く抱きしめる。ヨルダ父様の大きな手がそっとあたしの手に触れたような気がした。


 ヨルダ父様は、あたしが落ち込んでいたり悲しんでいたりすると、よく木彫りを作ってくれた。

 もし今ヨルダ父様がここにいたらきっと、木彫りを作ってくれただろう。あたしはもう子どもじゃないから、木彫りで気分が回復したりはしないけど、ヨルダ父様の気づかいは胸の痛みを少しはやわらげてくれたに違いない。


「ヨルダ父様、レティ母様、会いたいよ……」


 二人なら、理由を言わなくても、抱きしめて慰めてくれるだろう。二人が懐かしくて、恋しくてたまらない。子どもの頃の思い出が次々とよみがえってくる。また寝転がって追憶に浸っていると、ふっと頭の中に声が響いた。


『あなたがわたしを強くしてくれるの』


 レティ母様の声だ。この言葉を貰ったのはいつだったっけ? あれは……そうだ。確かあたしがたった一回だけ里の子どもたちと喧嘩した時のことだ。


 他の子どもたちに、よそ者、とか、里から出ていけ、とか言われるのは時々あることだったけど、あたしはいつも何も言い返さなかった。シアが一緒にいたら庇ってくれて言い争いになることもあったけど、あたし一人の時はいつもただ我慢していた。


 だけどあの時言われたのは、あたしの悪口じゃなかったんだ。


 あたしを育ててくれたレティ母様とヨルダ父様には実の子どもがいない。欲しかったけど恵まれなかったんだそうだ。シアの一族ではそういう時、離婚して別の相手と結婚して子どもができないか試してみるのが暗黙の了解らしい。


 でもレティ母様とヨルダ父様はそうしなかった。お互いが大好きで、他の相手との結婚なんて考えられないんだ、って言ってた。実の子どもを持てなくても、二人で一緒にいられるならそれで良くて、その上あたしという子どもまで持てたんだから、充分幸せだ、って。


 だけど二人のそういう考え方は一族内では異端というか、良く思われないものだったらしい。それであの時、よくあたしをいじめてきた子たちに言われたんだ。『おまえの養い親だって、子どもを作らないフトドキモノだ』って。


 言葉の意味はよくわからなかったけど、レティ母様とヨルダ父様の悪口を言われたのはわかった。それで腹が立って叫んだ。『レティ母様とヨルダ父様のこと悪く言わないで!』って。


 あたしが言い返してきたんで、相手の子たちはびっくりしてちょっとの間ぽかんとしてた。それから一気に腹が立ったみたいで、怒った顔で更に色々言ってきた。

 あたしはほとんど言い返せなかったけど、胸がムカムカしてしょうがなくて、魔力暴走を起こした。


 騒ぎに気づいて近くにいた大人がやってきて、あたしの魔力暴走を止めて、子どもたちをたしなめて追い払った。


 あたしは魔力暴走を起こしたせいで重くなった体を引きずって家に帰って、迎えてくれたレティ母様に起きたことを全部ぶちまけた。そして訊いたんだ。


『何でレティ母様とヨルダ父様がフト……フトドキモノなの?』


 レティ母様はちょっと困ったような顔をしつつ、事情を説明してくれた。そして続けた。


『ごめんね、ルリ』


『何でレティ母様が謝るの? 母様は悪くないよ』


『そうかもしれないわ。でもわたしとヨルダのことで、あなたに悲しい思いをさせてしまったから』


『……あたし、腹が立ったから喧嘩したんだよ?』


『そうね。でも、あなたはきっと、わたしとヨルダの悪口を言われて傷ついたのよ。悲しかったの。だから腹が立ったんだと思うわ』


 レティ母様は、そっとあたしの頭に口づけを落とした。


『わたしは自分のことを悪く言われるのは平気なのよ。だから言いたいように言わせてきたけど、そのことであなたが傷つくと悲しいわ』


 だからね、とレティ母様は勇ましい笑みを浮かべた。


『これからは悪口を言う人たちとちゃんと戦うようにする。好きなように言わせてなんかおかないわ』


 あたしはレティ母様を尊敬の目で見上げた。


『レティ母様、すごいね。かっこいい』


『ルリのおかげよ。あなたがわたしを強くしてくれるの』


 レティ母様はそう言って、あたしをぎゅうっと抱きしめてくれた。あたしもレティ母様を強く抱きしめ返した。すごく嬉しくて、幸せだった。他の子たちに言われた悪口も、それで感じた嫌な気分も、全部吹き飛んじゃうくらい。


 そんな最後は幸せな思い出だけど、あたしの意識はそこではなく別のところに向いていた。


「子どもを作らないのは不届き者……」


 あたしはつぶやいた。それに重なるように、さっきシアが口にした言葉がよみがえってくる。


『子どもを作るのは、うちの一族では義務のようなものだから』


 あたしは、はっと目を見開いた。もしかして、シアが子どもを作るつもりなのは、それが当然で義務に等しいって環境で育ったからってだけなんじゃないだろうか?


 そうだよ。よくよく思い出してみれば、シアは実の子どもが欲しいとは言わなかった。子どもを作るつもりだとさえ言わなかった。子どもを作らない道があるなんて考えてもみなかった、って言っただけだ。


 それをあたしが、シアは男の人が好きで男の人と結婚して子どもを作るつもりなんだ、って思い込んじゃっただけ。


 鼓動が少し速くなる。気分が浮上していく。もしそうなら、あたし、まだ振られたわけじゃない? シアがあたしのこと好きになってくれる可能性はまだあるのかな。


 ……でも待って。ちょっと待って。シアが子どもを作ることを義務だと思ってるなら、それって結局男の人が好きなのと大して変わらなくない? あたしのことは選んでくれない、ってことじゃない……?


 期待にふくらみかけた胸が、しゅううっとしぼむ。気分がまたずどーんと落ち込んで、あたしは、ううう、とうめいた。ずっと落ち込んだままの場合よりちょっと浮上してまた落ちた場合の方が、ずっと痛いんだ……。


 胸が痛すぎて、何だか息をするのさえ苦しい。あたしは、溺れかけの人が命綱をつかむみたいに、体の上にあるはずのフィフィを求めて胸元をまさぐった。でもフィフィが見つからない。

 ずっしりと重たく感じられる体を何とか起こして周囲を見回すと、フィフィは体の右側、上掛けの上に転がっていた。


 フィフィを拾い上げて抱きしめて、また寝転がる。体を横にして膝を胸元に引き寄せて、丸くなる。


 目を閉じると瞼の裏に真っ先に浮かんだのがシアの笑顔で、笑いたくなった。だけど唇からこぼれたのは笑い声じゃなくて嗚咽だった。


「うう……ふっ……うえ……」


 シアが好きなのに。こんなに大好きなのに。なのに何で届かないんだろう。何でシアはあたしを選んでくれないんだろう。


 ままならない現実がつらくて、涙がぽろぽろこぼれる。あたしはフィフィを抱きしめたまま、しばらくの間泣きじゃくっていた。




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