第七章 一喜一憂する恋心と町会の会合(1)

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 翌朝、食堂に入ると、シアはもうテーブルに座っていた。テーブルの真ん中にティーポットが、シアの前にはコップが置いてある。


「おはよう、ルリ」


 微笑みかけられて、あたしは勢い良く顔をそらした。心臓がうるさいくらいに高鳴って、顔が一瞬で火照る。あーもう、やっぱりだめだ。平然となんて振る舞えないよう。


「お、おはよ、シア」


 あたしは、シアに気づかれないようにこっそり深呼吸して、何とか鼓動の速さと頬の熱さを抑えようと試みる。全然成功した気がしないけど、いつまでも立ち止まっているわけにも行かない。


 ええい、ままよ。あたしは、緊張でぎくしゃくした歩き方になりながらも、何とかテーブルに着いた。

 シアが用意してくれていたコップに、ティーポットからお茶を注ぐ。手が震えて思わずこぼしてしまいそうになった。ああ、もう、緊張しすぎでしょ、あたし。シアに変だと思われちゃうよ。


 でも幸い、シアはあたしのぎこちない態度には触れずに、当たり障りない話題を振ってきてくれた。


「セイーリンさん、今日は調子どうかしらね。少しでも良くなっているといいのだけれど」


「そ、そうだね。後で兄さんに訊いてみよ」


「ルリ、今日は何だかかっちりした服着てるのね」


 あたしの今日の服は、黒いブラウスに白いスカート。どっちも滅多に着ないちょっといい服だ。


「あ、きょ、今日の夜町会の会合があるから、それにふさわしい服をって思って」


 ああー、そうだ。それもあるんだよー。あたしみたいな、まだ成人もしてない若輩者が、お師匠の付き添いとしてじゃなく一人前の魔術師として大仕事に関わるなんて、町の人たちに不安に思われないかなあ。あたしなんかに任せられないって言われたらどうしよう。考えるだけで緊張してくる。


 緊張が二倍になって、あたしは思わず頭を抱えてうめいてしまう。


「ううー、今から緊張するよー」


 こっちの緊張はまだ口に出せるだけましっていえばましだけどね。

 シアが好きだからする方の緊張は、シアには言えないから。ていうか、他の人にも言える気しない。少なくともしばらくの間は無理。す、好きなんて、言葉にするのも恥ずかしい。


「そんなに固くならなくても、ルリなら大丈夫よ」


 言葉と共に髪に手が触れる。あたしは思わずその手をばっと振り払ってしまった。


 自分が何をしたのかに一拍遅れて気づいて、はっとシアを見る。シアは目をみはってこちらを凝視していた。


「ご、ごめん、シア。その、別に嫌だったわけじゃなくて……び、びっくりしちゃってつい……」


 それは嘘じゃないけど、完全に本当でもない。シアに隠し事している自覚があるから、後ろめたさにどんどん声が小さくなってしまう。


 シアが気を取り直すように息を吐いて吸った。


「ううん。わたしもいきなり触って悪かったわ」


「そ、そんなことない。シアは悪くないよ。あたしが、その、ちょっと過敏になってるだけっていうか……」


 言葉が途切れてテーブルに沈黙が落ちる。うう、気まずい。すっごく気まずい。どうにかしてこの気まずさを消したいけど、いい案が思いつかない。


 シアも何も言ってくれない。気分悪くさせちゃったかな。それとも傷つけちゃっただろうか。


 しばらくそんな居心地の悪い沈黙が続いたところで、それを破る声がした。


「ルチルさん、リューリア姉ちゃん、おはよー」


 ああ、ラピスの姿が救いの神に見える。


「おはよう、ラピス」


 あたしは大歓迎の気持ちをこめて挨拶を返した。でもラピスはシアのことだけ見ている。この正直者め。


「おはよう、ラピスくん」


 微笑んだシアの腕を、ラピスは甘えるようにつかんだ。


「ルチルさん、今日も俺と魔術の訓練してくれる?」


「うーん、ちょっと無理かしら。ルリ……リューリア一人に家事を任せると、今度はリューリアが倒れちゃいそうだから、わたしも手伝いたいの」


「えー……」


 ラピスは不満気な声をもらしたけど、しつこくねだろうとはしなかった。ラピスなりに気をつかって、我慢してくれているんだろう。


 そこに、「おはよう」と声が響いた。


「母ちゃん!」


「義姉さん、起きてきていいの?」


 歩み寄ってくる義姉さんの顔色は、昨日と比べたらぐんと良くなっているけど、やっぱりまだ心配だ。


「いいのよ。ずっと部屋にこもってるのも逆に疲れるもの。だから、せめて食事くらいは一緒に取ろうと思って」


 そう笑いながらテーブルに着く。ラピスが義姉さんに抱きついた。


「母ちゃん、おはよう! 俺心配してた!」


「心配かけてごめんね、ラピス。でもほら、あたしは大丈夫でしょ?」


「うん!」


 ラピスが大きくうなずいたところで、義姉さんの声を聞きつけたのか兄さんが厨房から顔を出した。義姉さんの姿を認めて眉をひそめる。


「セイーリン、おまえ、ここで何してるんだ」


「食事を取りに来ただけよ。一人で食べるよりみんなと食べた方がおいしいもの。これくらいいいでしょ?」


「……食事するだけだぞ。食べ終わったらちゃんと部屋に戻って休めよ」


「はいはい、わかってるわよ。リーナス先生にも二日は休むように言われたしね」


「わかってるなら、まあいいんだけどな」


 まだちょっと心配そうな顔をしつつも厨房に引っ込んだ兄さんは、すぐに今朝の食事を持って、父さんと一緒に出てきた。


「さあ、それじゃ朝飯にしようぜ」


 義姉さんが元気そうな顔を見せたことで、食卓は明るい雰囲気になった。特にラピスは興奮した様子で義姉さんにずっと話しかけている。


「母ちゃん、母ちゃん。あのな、昨日の夜すごかったんだぜ。ルチルさんが、厄介なお客さん追っ払ったんだ!」


 ラピスが、昨夜の騒動を義姉さんに報告する。シアの活躍が実際より大げさに語られていたけど、ラピスの目には本当にそんな風に見えたのかもしれない。


「そんなことがあったの。そりゃあ大変だったわねえ」義姉さんはスープを飲みながら、大きく息を吐いた。「ルチルさんがいてくださって良かったわ」


「そう言っていただけると嬉しいですけれど、セイーリンさんがいらしたらもっと穏便に事を収められたかもしれません」


「いえいえ、そんなことはないと思いますよ。話に聞く限りじゃ、痛い目見ないとわからない人だったみたいだし。魔術を使って脅しつけるのは、あたしじゃできなかったでしょうし」


「そ、そうだよ。シアのやり方うまかったと思う。あの人が仕返しに来ないよう、自分が魔術師だってさりげなく気づかせたりとか」


 昨日の夜眠りに落ちるまでの間、シアのかっこいい姿を何度も頭の中で回想して、気づいたことだ。シアってば、手慣れてるっていうか、ああいう輩が騒ぐのも想定の範囲内みたいに落ち着いて対応していたな、って。


「うちの一族は旅に出ることが多いから、旅先で厄介な相手にからまれたりした場合の対処法も教えられるんです。いかに相手の戦意を削ぐかとか、自分が魔術師であることを効果的に使う方法なんかも。昨晩はその教えが役に立ちました」


 あたしは、兄さんと義姉さんと一緒に、「へえー」と声をもらした。


 それは知らなかったなあ。シアのことであたしが知らないことってきっとまだたくさんあるんだ。シアの一族は秘密が多いから仕方ないかもしれないけど、それってさびしいな……。


 好きだって自覚したら、シアのこと前よりもっと知りたくなった。もっとシアの近くに行きたくなった。どうやったらシアにもっと近づけるんだろう?


 あたしがそんなことを考えている間に、食事は終わって、朝の開店準備が始まる。義姉さんは、兄さんに追い立てられるように自室に戻っていった。


 食堂を開けてからは忙しくてそんな暇もろくになかったけど、朝の営業時間が終わってちょっと落ち着くとまた、どうやったらシアとの距離を縮められるのか考えてしまう。


 ……でも、今はそれ以前の問題かもしれない。


 あたしは、店の掃除をしつつシアを盗み見た。

 朝の営業時間中もその後の掃除中も、シアとは事務的な会話を除くとほとんど話してない。朝食前気まずくなったのがまだ尾を引いていて、二人きりだとぎくしゃくしてしまう。シアも何だかよそよそしい。


 その居心地の悪い雰囲気を、なかなか壊せない。お風呂屋でお互いほとんど喋らないのはいつものことだけど、その行き帰りでもラピスがいなかったら沈黙が続いてたんじゃなかろうか。今日は義姉さんもいないし。


 こんなんじゃだめだ。何とかしなきゃ。このままシアと気まずいままでいたくない。そもそもの原因を作っちゃったのはあたしなんだから、シアが動いてくれるのを期待していないで、あたしの方から行動しなきゃ。


 ついにそう思いきったのは、昼の仕事が終わって洗濯を始めてすぐの時だった。


 がんばれ、あたし! 胸の中で自分を鼓舞して口を開く。


「あ、あのさ。今晩の町会の会合だけど、シアも一緒に来てくれる?」


「わたしは興味があるし構わないけれど、よそ者のわたしが行ってもいいの?」


「シアにはほら、魔術の手伝いを頼むかもしれないでしょ。だから一応話を聞いておいてほしいんだ。それに……」


 あたしは大きく息を吸って続けた。


「シ、シアが一緒にいてくれたら安心できるっていうか力強いっていうか、そんなに緊張せずに済みそうだし……」


 別の意味では緊張するけどね。


「とにかく、シアに来てほしい!」


 叫ぶと、ふうっとシアの気配がやわらいだ気がした。ちらっと視線をやると、シアがほんわりと笑っている。


「そういうことなら、ぜひ行かせてもらうわ」


「あ、ありがと……」


 あたしはシアの笑顔にぽーっと見とれながら、何とかお礼を言った。シアのこんな笑顔が見れるなんて、勇気を出した甲斐があったよー。


 シア、かわいい。ほんとにかわいい。それに綺麗。恋心を自覚してから、シアが五割増しで綺麗に見える。元々見たことないほど美人だったのに、今はもう美の女神エルウィンクルの化身みたいに見える。こんなに綺麗な人がこの世にいていいんだろうか、ってくらい。


「ルリ。……ルリ?」


 シアに不思議そうに呼ばれて、はっと我に返る。


「な、何?」


「会合に参加するなら、話の内容を前もって詳しく聞いておきたくて。橋の修繕の件だったわよね?」


「う、うん、そうだよ。町の北東を流れてるソルフィ川にかかってる橋の一部が、この間までの長雨のせいで壊れちゃったんで、その修繕の話。あそこの橋が壊れてると、北の方を通る隊商が遠回りしなきゃいけなくなって、その結果うちの町に寄らなくなるから、町の経済にも影響が出るんだ。だから早く直さないといけないの。だけど、国からの補助金がなかなか出ないらしくてね。それでどうするか話しあうんだって」


「そうなの。それで橋の修繕時に魔術で貢献するのがルリの役割なのね」


「うん、そういうこと。だからまあ、今晩の話しあい自体には必ずしもいなくてもいいんだけど、事情をわかっておいてもらった方が何かと便利だからって、魔術師も呼ばれるものらしいよ。お師匠によると」


 お師匠はそういうの面倒くさがってるけどね。


「あたしの場合は、今回お師匠なしで参加するわけだから、それをみんなに伝えるために今晩は参加しておかないといけない、って理由があるけどね。あ、シアのことも皆の前で紹介することになると思うから、心の準備しておいてね」


「わかったわ」


 シアは、特に緊張した様子も見せずに微笑んだ。


「シアって緊張することとかないの?」


 その疑問は、無意識にあたしの口からこぼれていた。言ってしまってから声になっていたことに気づいて、ちょっとあたふたする。


「あ、いや、その、全然緊張して見えないから、どうなのかな、って思って……」


 意味なく手を振りながら、上目づかいにシアを見る。シアは苦笑した。


「わたしにも緊張することはあるわよ」


「ど、どんな時?」


 あたしは思わず身を乗り出していた。シアのことなら何でも知りたい。どんな小さなことでも。


「そうね……たとえば、ルリのご家族と初めて会った時とか」


「え、嘘、あの時緊張してたの? 全然そんな風に見えなかったよ」


「緊張していたわよ。前も言ったけれど、ルリのご家族には好かれたいもの。そう見えなかったとしたら、それはわたしが上辺を取り繕うのに慣れているからよ」


「そうなの?」


 シアは少しためらうようにしてから、作ったような笑みを浮かべた。何だろう。言いにくいことなのかな?


「……一族の用事で、他の魔術師一族の元を訪ねることがあるから。そういう時に隙を見せないように、って教育されてるの」


「へええー、そうなんだー」


 シアがいつも落ち着いてて大人っぽく見えるのは、そういう教育の成果でもあるのかな。

 あたしは、シアの静かな横顔をそっと眺める。そういえば、さっきためらってたの何だったんだろう。シアの一族の仕事に関わることだったから、どう説明するか迷った、とかだったのかな?


 そんなことを考えてるうちに洗濯が終わったんで、あとはいつもどおり洗濯物をたたんでしまって針仕事をする。


 それから夕食。今日の夕食の席は、いつもより雰囲気がゆったりしている。町会の会合のために今晩は食堂は臨時休業なので、急ぐ必要がないからだ。会合が始まる時間は、夜の営業時間の始まりより遅いし。


 会合には、うちの代表である兄さんと、魔術師として参加するあたしと、付き添いのシアと、おまけのラピス、四人が参加することになっている。


 普通なら一家の代表は父さんがするものなんだけどね。父さん、病気だとか高齢すぎるとか、できない理由ないし。

 でも父さんはこういう話しあいが好きじゃないから、兄さんが成人したらさっさと家族代表の座を譲ってしまったんだそうだ。成人したてなのにいきなり中高齢の人ばかりの町会の会合に参加することになって、最初はものすごく緊張した、って兄さんが苦笑しながら話してくれたことがある。


 その時の兄さんの気持ちが、今よくわかる。町会の会合に参加するのは初めてじゃないけど、お師匠なしで一人で参加するのは初めてだから。


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