第六章 倒れた義姉さんと酔っ払いの因縁(2)

 あたしは庭に出ていくシアとラピスを見送って、食堂に戻った。手早く掃除を終わらせて、厨房をのぞく。父さんは一人で黙々と洗い物をしていた。


「父さん、手伝うよ」


 言いながら父さんの隣に立って、流しの中の汚れた皿を手に取る。父さんがぶっきらぼうに話しかけてきた。


「セイーリンの様子はどうだ」


「やっぱり疲労が溜まってただけみたい。赤ちゃんにも問題なさそうだし、しっかり休めば大丈夫だろうって、リーナス先生が言ってた」


 話しながら、水魔法で洗剤を混ぜた水を操って皿の汚れを落とし、きれいな水で洗って、水気を飛ばし、流しの横に置く。


 父さんはあたしの説明に無言でうなずいた。何も言わないけど、顔には安堵の色が浮かんでいる。仕事片づけながら、ずっと心配してたんだろうなあ。父さんはあまり態度に出さないけど愛情深い人だから。


 そう思いながら視線を動かすと、父さんの向こう、流しの反対側に、濡れた食器が積み上げられているのが見えた。父さんが洗い終えた分だろう。


「あ、そっちの食器先に乾かした方がいいよね? そしたら父さん、それをしまえるし」


 あたしは父さんの後ろを回って流しの反対側に行き、食器の山から水気を飛ばした。父さんがそれを棚にしまい始める。あたしは流しの中にまだ残っている食器や調理用具を洗いにかかった。


 洗い物が終わると、貯蔵庫に向かう父さんと別れて、洗濯物と洗濯用品一式を取りに行く。


 庭に出ると、こちらに気づいたシアが軽く手を振ってきた。


「シアー、ラピスの訓練は順調ー?」


「ええ、順調よ。ラピスくん、がんばっているわ」


 シアが微笑みながら、大丈夫、と言うようにうなずく。ラピスの気をそらす目論見は成功している、ってことだろう。


「そっか。なら良かった」


 あたしはシアとラピスの様子を眺めながら洗濯を始めた。


 そう経たないうちに、兄さんが庭に出てきた。


「俺は井戸に水くみに行ってくるな」


「わかった。義姉さんは?」


「昼間っから寝るのは性に合わないけど何とか寝る努力をしてみる、ってさ。でもまだ気分悪そうだったから、多分もう寝てるんじゃねえかな」


「うん。顔色悪かったもんね」


 洗濯物が結構多かったのと一人でやってたので、いつもより時間がかかって、終わる前に兄さんは水くみから帰ってきた。水を各場所の水瓶に移すと、ラピスに声をかける。


「おーい、ラピス。馬の世話するぞー」


「はーい。今行くー! ルチルさん、ありがとう! また教えてな!」


「ええ、また機会があったらね」


 ラピスを見送ったシアはこっちに歩いてきた。


「ありがとね、シア、ラピスの面倒見ていてくれて」


「気にしないで。ラピスくん、割と元気になったみたいで良かったわ」


「そうだね。シアのおかげで気がまぎれたみたい」


 シアがじっとあたしの顔をのぞき込んでくる。


「ルリは大丈夫?」


「え、あたし?」


「そう。ルリもセイーリンさんのこと心配でしょう?」


 言って、シアがそっとあたしの頭に触れた。いたわるようになでられる。優しい手の感触に、頬が上気するのがわかる。


「あ、あたしは大丈夫。今は、義姉さんの分まで家事や仕事をがんばることに専念してるから」


「そう。でもあんまり無理はしないでね。ルリはがんばり屋さんだから。ルリまで倒れちゃったら大変だわ」


「へ、平気だよ。義姉さんにも言ったけど、シアのおかげで疲労がぐんと減ったもん。あたし元々丈夫だし、倒れたりしないよ」


「それでも心配なのよ。遠慮しないで、何でもわたしに頼ってね」


「う、うん。……でも、あんまり頼りすぎたら、今度はシアが疲れちゃうでしょ」


「それはそうね。――じゃあ、お互いに頼りあいながら、半分ずつがんばるってことで、どう?」


「それならいいよ。半分ずつね」


「ええ。約束ね」


「うん、約束」


 あたしはシアと微笑みあった。その後はお喋りしながら洗濯を終えて、洗濯物をたたんでしまって、宿屋の受付机で針仕事をした。


 夕食は、義姉さん抜きで取った。兄さんが義姉さんに食事を持っていったけど、義姉さんがぐっすり眠っていたので起こさなかったらしく、手のつけられてない食事を持って戻ってきた。

 義姉さんが気持ち良く休めるよう、部屋の気温を適度な温度に下げるのだけやって、帰ってきたそうだ。


 兄さんがテーブルに置いた義姉さんの食事を見ながら、父さんが口を開いた。


「ラピス」


「ふえ? あひ?」


 ラピスが口いっぱいに食べ物を頬張ったまま、返事をする。父さんは少し眉をひそめた。


「食べながら喋るな」


 ラピスは口を押さえながらうなずいて、口の中の物を呑み込んでから、もう一度返事をした。


「それで、何だよ? じいちゃん」


「おまえ、時々セイーリンの様子を見て、セイーリンが起きたら知らせに来い。そしたら食事を温め直すから、持っていけ」


 ラピスはぱっと顔を輝かせた。


「うん、わかった! 任せて!」


 役に立てるのが嬉しいんだろう、にこにこしている。兄さんがそんなラピスの顎をつまんで自分の方を見させて、言い聞かせた。


「部屋をのぞく時は静かにするんだぞ。母ちゃんが自分で起きるまで起こしちゃだめだからな」


「わかってるよ! 俺ちゃんとやれるから、任せろってば!」


「そんならいいけどな」


 兄さんはラピスを離して、父さんに顔を向けた。


「ありがとな、親父。セイーリンの食事に気を回してくれて」


 父さんは仏頂面のまま言う。


「当然のことだ。病人には特に温かくてうまいもんを食わせてやらんといかんからな」


 あ、父さんちょっと照れてるみたい。わかりにくいけどね。でも、五年も一緒に暮らしていると何となくわかるようになる。


 あたしはこっそり笑いながら、食事を続けた。


 食事と開店準備を終えたら、夜の営業開始時間だ。その前に身体強化の魔法をかけるのも忘れない。


 食堂を開けると、常連さんと新顔のお客さんで席が埋まっていく。「新顔」と言っても、ここ数日で見慣れた顔もある。


 今日はシア目当てのお客さんに嫉妬している暇なんかないんだからね、と自分に言い聞かせて、目の前の接客に集中する。なるべく店全体に気を配るのも忘れない。いつもは義姉さんがやってくれてることだけど、今日はあたしがかわりにやらなくちゃ。


 そう気合いを入れて仕事をこなしていると、常連さんの一人に声をかけられた。


「リューリア、セイーリンはどうしたんだい? 姿が見えないが」


「あ、義姉さんはちょっと体調崩しちゃって。今晩は休んでるんです」


「そりゃ大変だ。大丈夫なのかい」


「はい。リーナス先生にも診てもらいましたから。ここ数日忙しかったから、疲労が溜まってただけだろうって」


「ああ、なるほど。最近混んでるもんなあ。お大事に、ってセイーリンに言っといてくれよ」


「ありがとうございます。伝えておきます。――あ、すみません。あっちのテーブルのお客さんが呼んでるので行きますね。ごゆっくりどうぞ」


 あたしはせかせかと次の仕事に向かった。テーブルの間を忙しく動き回る。


 食堂内が結構暑くなってきたから、そろそろ冷やし直した方がいいかな、と思ったところで、食堂内の気温が下がるのを感じた。


 あれ? きょろきょろと食堂内を見回すと、シアと目が合った。シアがにこりと微笑む。あ、なるほど、シアがやってくれたのか。あたしは感謝の気持ちをこめて微笑み返した。それからまた接客に戻る。


 しばらくしたところで、シアに声をかけられた。


「ルリ、ちょっといい?」


「どうしたの? 何かあった?」


「あちらのお客さんに」言いながらシアが示したのは、うちに泊まっているお客さんの一人だ。「昨日頼んでいた洗濯物はもう洗い終わってるか、って訊かれたの」


「あ、洗濯物の引き取りか」あたしは納得してうなずいた。「じゃあ、あたしはあのお客さんに洗濯物渡しに行くから、シアは少しだけ一人でがんばっててくれる?」


「大丈夫よ。こっちは任せて」


 シアが微笑んで請け負ってくれる。あたしはシアに微笑み返してから、洗濯物を預かっているお客さんの元に足を向けかけ、はたと立ち止まった。


「あ、そうだ。シア、あのお客さん、食事代の支払いはもう終わってる?」


「ええ。もう代金を貰ったわ」


「そっか。わかった。ありがと」


 あたしは今度こそシアに背を向けて、件のお客さんの元に歩み寄った。


「お待たせしました。洗濯物のお引き取りですね。こちらにいらしてください」


 食堂から宿屋部分にお客さんを連れていく。宿屋の入口の所で止まって、お客さんの方を振り向いた。


「今洗濯物を取ってきますので、少々お待ちください」


 住居部分に行って納戸に入り、洗い終わったお客さんの洗濯物を入れてある棚の前に立つ。えーと、あのお客さんが泊まってる部屋は左側の真ん中だから、印はあれか。


 部屋の印で分けてある洗濯物の中から、あのお客さんの部屋の分を取り出す。それを持って、待っているお客さんの元に急いで戻った。


「洗濯物はこちらですね。ご確認ください」


 お客さんは洗濯物をざっと確認してうなずいた。


「これで大丈夫だ。あんがとな」


「いえ。またのご利用をお待ちしております」


 にこりと笑うと、お客さんは片手を上げて宿屋の二階に上っていった。


 ふう、と一つ息を吐いてから食堂に戻ろうとしたところで、ラピスが小走りに住居部分から出てきた。


「こら、危ないから走らない」


 叱ると、ラピスは口を尖らせて速度を緩めた。


「母ちゃんが起きたんだ! おなかも空いてるって!」


「ああ、義姉さんの食事取りに来たのね。じゃあ一緒においで」


 ラピスを厨房に連れていって、あとは兄さんと父さんに任せる。少しして、食事の乗った盆を持ったラピスが厨房から出てきた。盆を落とさないようにしながら、テーブルとテーブルの間を歩きにくそうにしつつ進んでいく。


 宿屋部分に続く入口まで付き添っていってあげた方がいいかな、と歩み寄ろうとしたところで、常連さんの一人がラピスに気づいて声を上げた。


「おーい、そこ、椅子動かして道空けてやれよ。ラピスが通ろうとしてる」


「ラピス? 何だ何だ、手伝いか?」


「母ちゃんに食事持っていくんだ!」


「ああ、そういやセイーリンが伏せってるんだってな。偉いじゃないか。しっかりおふくろさんの面倒見てやるんだぞ」


「わかってる! 俺役に立つんだ!」


 ラピスは、常連さんたちの手伝いもあって、無事に宿屋部分に続く入口にたどり着き、姿を消した。ほっとしながらそれを見送って、接客に戻る。


 しばらくすると、ラピスが戻ってきた。ちょうどお客さんの使い終えた食器を片づけていたあたしは、急いで盆の上に食器を積み上げて、ラピスに歩み寄った。ラピスの盆の上の食器をのぞき込む。


「あ、義姉さん全部食べたの?」


「うん。おいしかったって! 持ってきてくれてありがとうって!」


「そっか。食欲があるなら大丈夫そうだね。良かった」


 ラピスと並んで厨房に食器を運ぶ。義姉さんが食事を完食したという知らせに、兄さんも安堵の表情を浮かべた。父さんも、こっちをちらっと見て口元を緩めた。


 ラピスと一緒に厨房を出る。食堂から出ていこうとしたラピスは、常連さんたちにつかまって、何事かお喋りをしている。まあ、相手が常連さんなら大丈夫だろう。


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