第五章 お師匠の家で(1)
「はー、疲れた疲れた。相変わらずお客さん多かったねー」
昼の営業時間終了後の掃除を終えて、あたしはへなへなと椅子に座り込んだ。
朝はそうでもなかったんだけど、昼は昨日同様シア目当てのお客で混んでいた。やっぱり人手増やさないときついよなあ。
午前中風呂屋に行く途中で商人ギルドに足を伸ばして、求人の広告を出してきた。食堂と、宿屋の方にも同じ内容を書いた紙を貼ってある。
義姉さんは風呂屋でも知りあいに会うたび誰かいい人を知らないか訊いてたし、兄さんも男湯で情報を集めたらしい。でも、そんなすぐには見つかるもんじゃないよね。ただでさえ人手不足なんだし。
しばらくはこんなに疲れる日々が続くのかなあ。うう、お客さんが増えるのは本来ならありがたいことなんだけど、あんまりありがたく感じられない。疲れるからってだけでなく、シアに関して嫉妬しちゃうからって意味でも。
シア目当てのお客さんにこんなに焼き餅焼いちゃうなんて、あたしって独占欲強いのかなあ。
いや、でも、シアがラピスや義姉さんと仲良くしてるのには別に妬いたりしないし、だからそんなに独占欲強いわけじゃないよね?
……でも、心の隅から隅まで探してみれば、シアにはあたしだけのシアでいてほしい、って気持ちがないとは言えないんだよなあ。これってやっぱり独占欲だよね。
うー、もしかしなくても、子どもっぽいよなあ。こんな嫉妬とか独占欲とか。
恥ずかしくなって、バタッとテーブルに突っ伏して、額をぐりぐりとこすりつけた。ううう、とうめいていると、頭に誰かの手が優しく触れた。
顔を横に向けて視線だけ上げると、隣の椅子に座ったシアが微笑みながらあたしの髪をなでている。あー、気持ちいい。ふにゃりと顔が緩んでしまう。
「ルリ、本当に疲れているのね」
「シアは疲れてないの?」
「疲れていることは疲れているけれど、それほどじゃないかしら」
「シア、体力あるねえ。給仕の仕事慣れてないから、あたしより疲れそうなのに」
「旅をすることが多いし里では山にもよく入っているから、まあ、体力はあると思うけれど……」シアは少し首を傾けた。「訊こうと思っていたのだけれど、ルリは仕事中身体強化を使っていないの?」
「へ? 身体強化の魔法のこと?」
「そうよ。わたしは長時間歩く時や労働をする時はいつも使っているし、それがもう身にしみついているから、給仕中も使っているのだけれど、ルリは使っているように見えないから、気になって」
「え、いや、だって身体強化の魔法ってあれでしょ。重い物を運ぶ時とか山歩きする時とかに使うやつでしょ」
「そういう時以外にも便利よ? 足腰が強化されるから、立ちっぱなしで働いていても、そこまで疲れないの」
「へえええー、そうなんだ。その発想はなかったなあ」
やっぱりシアは、一族全員が魔術師なだけあって、魔術の腕が優れてるんだなあ。魔法のうまさだけじゃなく、どういう時にどんな魔法を使うかという発想力、応用力も、魔術師として優れてるかどうかの判断要素だし。
「じゃあ、あたしも今晩から給仕中、身体強化の魔法使ってみようかな。そしたらこんなに疲れなくて済むんでしょ?」
「そのはずよ」
「それは嬉しいや。シア、教えてくれてありがとう」
「ふふ、どういたしまして」
そこで何となく会話が途切れたけど、沈黙は苦じゃない。むしろ居心地がいい感じ。そう感じるのは、シアがさっきからずっと頭をなで続けてくれてるからかもしれないけど。
シアの手首があたしの鼻の近くにあるから、シアがつけてるシャリエの実の香りがほのかに香る。
ちなみに、あたしは今日はキャルメの花の香水を選んだ。だから、残念ながら今日はおそろいにはならなかったけど、いいんだ。スカートが、色あいは違うけど二人とも青色で、ちょっとおそろいっぽいから。
それに、『今日はおそろいじゃなかったわね』ってシアが残念がってくれたのが嬉しかったし。明日は一緒にシャリエの実の香水をつけておそろいにしよう、って約束もしたしね。うふふ。
思い出して、ただでさえふにゃふにゃだった口元が更に緩む。ああ、ずっとこうしていたいなあ。
「あんたたちって、本当に仲良しねえ」
からかうような声がして、顔を上げると、義姉さんが厨房の入口に立って微笑んでいた。
「義姉さん、洗い物もう終わったの?」
「ええ。あんたたちはこんな所でのんびりしてていいの? イァルナさんのとこに行くんでしょ?」
義姉さんの言葉に、あたしはガタッと立ち上がった。
「いっけない。そうだった。急がなきゃ」
シアを促して前掛けを外して、厨房の棚にしまう。厨房の隅に置かれている鍋の蓋を取って中身を確認して、横に置かれている布がかかった皿も、布を持ち上げて丸パンがいくつも積まれているのを確かめる。
鍋はあたしが持って、パンの皿は手伝いたいと言うシアに持ってもらった。鍋はそんなに重くはないけど、しばらく運ぶことになるから、風魔法で浮かす。シアもパンの皿を浮かして運んでいる。
「父さん、兄さん、料理ありがとね。いってきまーす」
「おう、いってこい」
兄さんがひらひらと手を振る。父さんはこっちをちらっと見て、軽く片手を上げた。
厨房から出て、義姉さんにも挨拶をして、ラピスを探す。
「ラピスー、どこー? 出かけるよー」
風魔法で宿屋の敷地内に声を響かせながら歩き回っていると、ラピスが庭に続く扉からひょこっと顔を出した。
「リューリア姉ちゃん、どこ行くんだ?」
「今日はお師匠のとこ行く日でしょ」
ラピスが顔をしかめる。
「げー、もうそんな日かあ。ちょっと前に行ったばかりだと思ったのに」
「文句言わない。ほら、さっさと行くよ」
「ちょっと待って。このコップ台所に置いてくる」
ラピスは走って台所に行き、また走って戻ってきた。シアとラピスと三人で宿屋の入口から外に出て、お師匠の家がある町外れに足を向ける。
「さっきのコップ、何だったの?」
「昨日ルチルさんが教えてくれたやり方で、魔力を水属性に変える特訓してたんだ」
「ああ、なるほど。熱心だねえ」
「俺も早く魔法使えるようになりてーもん!」
「そうだね。早く使えるようになるといいね」
ラピスが魔力の変換を身につけて魔法が使えるようになるまでにはまだ何年もかかるだろうけど、そんなことは言わない。せっかくやる気を出しているのに、余計なことを教えてがっかりさせる必要はないだろう。
「どうせなら、お師匠にも、魔術が早く身につく方法がないか訊いてみたら?」
からかい口調で言うと、ラピスはぎゅーっと鼻にしわを寄せた。
「嫌だ。イァルナさん、こえーもん」
「あんたもお師匠に慣れないねえ。二週間に一回は会ってるっていうのに」
「会ってるっても、ほとんど話さねーもん。俺のことすぐ怒るし。ルチルさんも怒られないよう気をつけてな!」
ラピスの言葉に、シアが小首を傾けた。
「そんなに怒りっぽい人なの?」
あたしはシアに向かって手を振った。
「そんなことないない」
ラピスの方を向いて続ける。
「あんたがお師匠に怒られたのは、触っちゃいけない物触ったりうるさく騒いだりした時でしょ。最近は怒られてないじゃない」
「そーだけど……でもやっぱりこえーよ。いっつもむすーっとしてるし」
「まあ、取っつきにくい人ではあるけどねえ。でも昨日も言ったけど、シアのことは歓迎すると思うよ、お師匠。魔術に詳しい人が好きみたいだし、シアの里にも興味があるみたいだし」
そう言うと、シアは少し困った顔になった。
「里のことはあまり部外者には話せないのだけれど……それでイァルナさんの気分を害してしまわないかしら」
「うーん……まあ、大丈夫じゃない? シアが話せる範囲だけ話してくれれば。お師匠もシアの里に秘密が多いことはわかってると思う。あたしがシアの里に引き取られるよう手配してくれたのはお師匠なんだし」
「そういえばそうだったわね」
相槌を打ったシアは、通りの両側の屋台に手を振りながら少し前を歩いているラピスをちらっと見てから、声を落として言った。
「イァルナさんといえば……ゆうべルリが彼女の所に行くって言った時、ウルファンさんが複雑そうな顔していたわね。お二人の確執、まだ消えていないの?」
「え、あたしそんなことまで手紙に書いたっけ?」
「ええ」
「そうだったかー。にしても、シア、よく憶えてるね。書いたあたしが忘れてたのに」
「ルリのことだもの。忘れないわ」
シアは微笑んで言う。
う。ううーもう、シアってば心臓に悪いこと言いすぎ! ……嫌じゃないんだけど。別に全っ然嫌じゃないんだけどね。ただ、心臓が大騒ぎしてシアの顔見られなくなるから困るってだけで……。
「そ、そっか。あはは」
あたしは意味もなく笑いながら、シアから視線をそらした。
「えっと、父さんはね、やっぱりまだお師匠のこと赦せないみたい。父さん、あれで家族第一で、家族をすっごく大事にしてる人だから」
あたしは無属性だったために、魔力暴走を起こした時対処できる人がいるシアの里に預けられたけど、クラディムで育つ道も一応はあった。
魔術師であるお師匠なら、あたしの魔力暴走に対処できるので、お師匠に育ててもらえば良かったんだ。そうすれば、父さんや兄さんと十年間も離れ離れで育つこともなかった。
だけどお師匠は人づきあいが嫌いで、騒音も嫌い。赤ん坊を引き取って育てるのはいくら何でも自分の負担が大きすぎる、って拒否した。
でもそのかわりに、伝手をたどってシアの一族につなぎをつけて、あたしを育ててくれるよう話をつけてくれた。赤ん坊が嫌いなのに、シアの里から迎えが来るまでの間は、あたしの面倒を見てもくれたそうだ。
お師匠は家族じゃなく他人だし、父さんや死んだ母さんと特別親しかったわけでもないそうだから、それだけでも充分やってくれた方なんじゃないかと、あたしは思ってる。
だけど父さんは、なかなかそうは思えないみたい。あたしを遠くにやる一因になったお師匠に、今でも良い感情を持ってない。
「でもまあ、今は休戦状態っていうか、あたしが手に職つけるためとクラディムで魔術師としてうまくやっていくためなら、って、父さん我慢してくれてるの」
あたしは胸元に浮かしている鍋を指した。
「こうやって、お師匠に差し入れする料理も、毎回ちゃんと作ってくれるしね」
「そうなの。いいお父様ね、ウルファンさんは」
「うん、そう思う」
あたしは心からうなずいた。あたしは家族に恵まれてると思う。育ての親のレティ母様とヨルダ父様も血のつながらないあたしを心から愛して育ててくれたし、今の家族もあたしのこと大切に思ってくれているし。
「ルリの家族は皆いい人ね。わたしも嬉しいわ」
まるであたしの心を読んだみたいにシアが言って、あたしはちょっと驚いてシアの方を見た。
「わたしのことも温かく受け入れてくれているし。ありがたいって思っているの」
「そんなのお互い様だよ。シアこそあたしの家族と仲良くしてくれて、あたし嬉しいよ。うちの家族みんな、シアのこと好きだと思うよ」
シアはふんわりと笑った。
「そうだったら嬉しいわ。ルリの大切な家族には、わたし好かれたいもの」
その言葉に、あたしの頬が熱くなる。シアがそんな風に思ってくれていたなんて知らなかった。
ひょっとして、あたしの家族だから仲良くしようって努力してくれていたのかな。シアは誰が相手でも礼儀正しくて愛想が良いんだと思ってたけど……それも多分本当ではあるんだろうけど、あたしのことが理由の一部にあって動いてくれてたのなら、嬉しいな。
そんなことを考えながら足取り軽く歩いているうちに、大通りを外れて、どんどん人けがなくなっていく。
曲がりくねった小道を抜けると、目の前にぽかんと空間が空いて、すぐそこに森が広がる。お師匠の家は、そんな場所にぽつんと立っている。古びた木造の平屋で、そんなに大きくはない。
あたしはその家の扉の前に立って呼びかけた。
「こんにちはー、お師匠。リューリアでーす」
返答がないのはいつものことなので気にしない。
ラピスに視線を向けると、ラピスはうなずいて前に進み出た。扉の取っ手の下に描かれている小さな魔法陣に手を当てて、魔力を放出する。すると、カチッと音がして、鍵が開いた。
この扉の鍵は、無属性の魔力に反応するようになっている。なので、クラディムの住民で外から扉を開けられるのは、あたしとラピス、お師匠だけだ。
ラピスはこの扉を開けるのが好きなんだよね。魔法を使ってる気分になれるから、だそうだ。
ラピスが開けた扉から中に入る。
お邪魔します、と律儀に挨拶してから、シアも中に入ってきた。そして、戸惑ったように足元を見回す。
「本を、こんな風に置いておくなんて……」
入口から続く廊下の両端に乱雑に積まれている本が気になるらしい。どれも、大衆小説なんかとは違って、革表紙の立派な装丁の本だから、当然だろう。
「最初はびっくりするよねえ。高価そうな本を、こんな無頓着に扱うなんて」あたしは苦笑した。「この家に初めて来た時は、あたしも驚いたよ。レティ母様とヨルダ父様は本をすごく大事にしてたから」
「ええ。本は知識の集積で、知識を得るため、保存して後世に伝えるための重要な手段だもの。お金にはかえられない価値がある物だわ」
「うん。あたしもさ、『もうちょっと大事に扱った方がいいんじゃないですか』ってお師匠に言ってはみたんだけどね。本棚には全部はしまえないし自分にとって一番使いやすいように置いた結果がこれだからこのままでいいんだ、って言われちゃって」
あたしは少し声を潜めた。
「お師匠って実はかなり高名な魔術師一族の出らしいんだよね。なんか家族と折りあいが悪かったとかで家を出たらしいけど、そのせいもあってか、物の価値とかにあんまりこだわらない人なんだ」
お師匠の素性は、町長さんから聞いた話だ。お師匠は自分のこと話したがらないから。
でも、もう亡くなった町長さんのお父さん――先代町長とは気が合ってよく一緒に飲んでいたらしくて、だから町長さんはお師匠の背景も少し知っているらしい。
そこで、家の奥の方からかすれた女性の声が響いた。
「いつまで玄関口でぺちゃくちゃ喋ってる気だい。さっさとこっちに来な」
「はーい。今行きます」
あたしは素直にそう答えて、足元に注意を払いながら奥にある居間へと向かった。シアとラピスもついてくる。
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