第四章 増えたお客と魔術の訓練(2)

 必要な物を庭に運んで洗濯を始める。もうすぐ終わるというところで、ラピスが厩の方から走ってきた。


「ルチルさーん、馬の世話終わったー!」


「がんばったわね、ラピスくん。こっちはまだもうしばらくかかるから、待っててね」


「うん!」


 わくわくした表情のラピスに見守られながら、洗濯の残りを終える。納戸にタライを片づけて、居間で洗濯物をたたみ始めると、あたしたちの後をついてきていたラピスも洗濯物を手に取った。


「俺もたたむの手伝う!」


「あら珍しい。自分から手伝い言い出すなんて。よっぽどルチルさんとの訓練が楽しみなのね」


 義姉さんがおかしそうに笑った。


「うん、楽しみ!」


 ラピスは大きくうなずいて、洗濯物をたたもうと四苦八苦し出す。あたしはラピスが持っているシャツを取り上げて、別のシャツを渡した。


「お客さんの服はあたしたちがたたむから、ラピスは家族の分を手伝って」


 ラピスのやる気を損なわないためにはっきりとは言わないけど、ラピスはきれいにたためないだろうからね。お客さんの服をぐちゃぐちゃにされたら困る。


 あたしが口にしなかった部分に気づかなかったのか、シアとの訓練に興奮していて気づいても気にしなかったのかわからないけど、ラピスは反論することもなく、素直に、うん、と返事をして父さんのシャツをたたみ始めた。


 最後の洗濯物をたたみ終えると、ラピスが待ちきれない様子で立ち上がった。


「これでもう訓練始められるよな!?」


「まだだよ。洗濯物をしまわないと」


 あたしはそう言ってラピスを抑えようとしたけど、義姉さんが苦笑して口を挟んだ。


「いいわよ。それはあたしがやっておくから、ラピスの訓練に行ってちょうだい」


「え。でも……」


「いいのいいの。これ以上待たせたら、ラピスが爆発しちゃいそうだし」


「うーん、まあ、義姉さんがそう言うなら……」


 あたしは義姉さんとラピスを交互に見てから立ち上がった。


「それじゃ、庭に行こっか、シア、ラピス」


「うん、行こ行こ!」


「ええ」


 あたしは、跳ねるような足取りのラピスとおかしそうに微笑んでいるシアと一緒に、庭に出た。木陰に入って、シアを振り返る。


「それじゃあ、シア、お願いしていい?」


「わかったわ」シアがラピスに向き直った。「じゃあ始めましょうか、ラピスくん」


「うん!」


「まずは体を楽にして、目を閉じて、深呼吸。自分の体の中に流れる魔力を意識して」


 ラピスが、言われるままに目を閉じて大きく呼吸をし出す。あたしはそれを見ながら木にもたれた。


 実を言えば、ラピスは別に魔術の訓練をする必要はない。ラピスはこの宿屋を継ぐんだから、魔術師にならなくても食べていける。


 だけど、無属性のラピスはそのままでは魔法を使えない。魔法を使うには、魔力を火、水、地、風の四属性のどれかに変換しないといけないからだ。


 もう一年くらい前になるかな。友達は皆、まだ幼いので少しであっても魔法が使えるのに、自分は何も使えない、というのが不満でラピスはすねていた。

 それで、『じゃあ魔術の訓練をしてみる? そうすれば魔法が使えるようになるよ』と提案してみたら、食いついてきたんだ。


 それに、魔術の訓練をすることで魔力の制御も上達するから、自力で魔力を制御できるようになるのも早くなる。そうなればあたしにくっついていなくても良くなって、好きな時に好きな所に出かけられるようになる。それも、ラピスにとっては魅力的だったようだ。


 つまり、魔術の訓練は完全に、ラピスがやりたいと言うからやっていること、なので、いつまで続くかは未定だ。そのうちラピスが飽きて、終わる可能性もある。

 まあ、今のところはそこそこ真面目にやっているから、もうしばらくは続くだろう。


「それじゃ、前に手を出して、手の平から魔力を出してみて。そう、いい感じよ」


 ラピスが突き出した手から少し離れた所に自分の手をかざして、シアが言う。それからシアは地面に膝をついて、ラピスの手を自分の肩に置かせた。


「次は、わたしの体の中に魔力を流し込んでみて。いいわ、そのまま続けて。じゃあ、わたしの魔力に意識を集中して。どんな状態かわかる?」


「うん。ぐるぐる渦を巻いてる感じ!」


「よくできました。それじゃ、その魔力を動かしてみましょう。渦をゆっくりにしていって、魔力がするすると流れるようにするの」


 ラピスはしばらく集中していたけど、やがて目を開けて唇を尖らせた。


「できないよー……」


「どの辺ができない?」


「うーんと……渦に『ゆっくりになれー』って念じても、ならない」


「自分の魔力をわたしの魔力に溶け込ませるのはできてるのね。偉いわ」


 シアに頭をなでられて、ラピスは嬉しそうに笑う。


「へへっ、もう一年も訓練やってるもん。それくらいはできるよ」


「じゃあ、もう一回やってみましょう」


 シアに促されて、ラピスがもう一度目を閉じ、シアの体に魔力を流し込み始める。


「わたしの魔力がさっきと少し違うのがわかる?」


「うーん……渦がちょっとゆっくりになってる?」


「そうよ。じゃあ、魔力だけじゃなくて、自分の意識を全部わたしの魔力に溶かし込むようにしてみて」


 ラピスはシアに助言を貰いながら何度か試したけど、結局魔力の渦を操ることはできなかった。これは想定内だ。まだ成功したことは一度もないしね。

 失敗するのがいつものことだから、ラピスも特にがっかりした様子はない。


「じゃあ、今度は別の形で魔力を操る練習をしましょう。ラピスくんは無属性だから、魔力で自分の体を包む訓練をしてみましょうか」


「うん! 俺それ好き! 今、肘まで魔力で包めるんだぜ!」


「そうなの。じゃあ、やってみてくれる?」


 ラピスが右腕を前に突き出して、ぎゅっと眉根を寄せる。「むむむむむ……」と声をもらしながら集中している様子だったけど、やがて声を上げた。


「ルチルさん、できた!」


 ラピスの右腕を手で触って確かめたシアが微笑む。


「よくできました。じゃあどのくらいきれいに包めているか、調べてみましょう」


 シアが振り向いて水瓶のある方を見る。そうすると、水瓶から球体になった水がふわりと出てきた。ふよふよと浮いてあたしたちの傍まで来る。


「わ、さっすがシア。危なげないなあ」


 あたしは思わず声を上げていた。

 あたしたちがいる木陰から水瓶までは、十五歩分くらい離れている。この距離で水瓶の水を操って引き寄せるのは、あたしもやればできるけど、しっかり集中しないとならないだろう。何気ない顔でこなしちゃうシアは、やっぱり魔術の腕が優れている。


「わたしは慣れているだけよ。里じゃいつも訓練を兼ねてやっているから」


「うーん、そっかー。あたしももっと魔術の訓練しなきゃってことだね」


「必要がないならしなくても良いと思うけれど、できるに越したことはないものね」


「そうだよね。うん、がんばる」


「ええ、がんばって」


 にこりと笑ったシアは、ラピスに視線を戻した。


「それじゃ、ラピスくん、今からこの水の球でラピスくんの右腕を包むけれど、驚かないで、魔力で腕を包んだままでいてね」


「わかった!」


 ラピスがうなずくと、シアは水の塊でラピスの右手の肘近くまでを包み込んだ。


「どう? 水の感触がする?」


「うん。なんかじわじわしみ込んでくる!」


「それは、ラピスくんの魔力が完全に右腕を包み込めていなくて、隙間があるってことよ。無属性の魔力が他の四属性の魔力をはじくのは知っている?」ラピスがうなずく。「だから、完全に包めていたら、この水はラピスくんの腕に届かないはずなの」


「そっかー。俺、まだまだってことだね」


 ラピスが納得したように言った。


 あたしも「なるほど」と声を出してしまう。


 そういう確認方法があるとは思わなかった。あたしはいつも、ラピスに魔力を腕にまとわせるだけで、隙間なく包み込めているか確認まではしていなかったんだよね。


 あたしの魔術の訓練方法はシアの里で学んだものだから、あたしとシアのやり方は基本的に同じだ。

 ただ、あたしはレティ母様とヨルダ父様だけから学んだのに対して、シアは親からだけでなく学校でも学んだので、少し違いがある。


 あたしはシアの里の学校に通うことは許されてなかったからなあ。何でも、一族外の人間に知られてはいけないことなんかも教えているから、一族の人間でないあたしは通わせられない、って里長が許可を出してくれなかったんだそうだ。


 あたしにシア以外の友達がいなかったのも、他の子たちにいじめられたのも、一人だけ学校に通ってなくて、よそ者ってわかりやすかったせいがあるんじゃないかなあ。


 ……あー、また嫌なこと思い出しちゃった。

 シアの里での思い出は、シアやレティ母様、ヨルダ父様との幸せなものだけでなく、他の人たちとの嫌なものも結構ある。


 あの頃を懐かしく思う反面、あの里を出られて良かった、って気持ちもあるんだよね。シアやレティ母様、ヨルダ父様と離れるのはさびしかったし、故郷といっても全く憶えていない町や家族の元に帰るのは不安だったけど、いざ帰ってきたクラディムはいい町で、家族も他の人たちもあたしを温かく迎え入れてくれたし。


 といっても、もちろんすぐになじめたわけじゃない。最初はやっぱりぎくしゃくした。父さんと兄さんとは時々手紙をやりとりしてたけど、会うのは初めてだったし、義姉さんのことは兄さんの手紙でしか知らなかったから。


 でも、一番最初に仲良くなれたのは義姉さんだったなあ。家事や仕事で一緒にいる時間が一番長かったってのもあるけど、義姉さんの性格も大きい。『一応家族ってことになってるけど、実際はお互いにほとんど知らない他人なんだし、一から関係を築いていきましょ』ってざっくばらんに言われた時は驚いたけど、その反面安堵もした。


 父さんや兄さんとは、なまじ血のつながった家族なもんだから、家族らしくしなきゃ、って気負ってる部分があって、それもぎくしゃくしてた一因だったし。

 そのことを自覚して、義姉さん同様父さんや兄さんとも一から関係を築いていくつもりでやればいいんだ、って思えたら、なんか肩の力が抜けて以前よりうまくやれるようになったんだよね。そして今では普通に家族としてうまくやれてると思う。


 あたしが追憶にふけっている間に、シアとラピスは魔力の制御の訓練を終えて、次の段階に進んでいた。シアがラピスの手の平の上にかざした自分の手の平から魔力を放出して、その属性をラピスに当てさせている。


「じゃあこれは?」


「うーん……火属性!」


「残念。風属性よ。じゃあこれは?」


「えーと……地属性?」


「正解」


「やった!」


 しばらくそうやって属性当てを続けたら、次に進む。ちなみに正解率は四割くらいだった。まあよくできた方だ。


「それじゃあ、魔力の属性を変える訓練をしましょうか」


「うん!」


「まずはおさらいね。それぞれの属性の魔力がどんな感じか言える?」


「えーと、火属性は、火花がパチパチ散る感じ。水属性は川みたいにさらさら流れる感じ。風属性はつむじ風みたいにぐるぐる回る感じ。地属性は硬くて動かない感じ!」


「よくできました。じゃあ火属性から始めましょうか。炎から火花が散っている様子を頭に思い浮かべて、その状態を魔力で作り出そうとしてみて」


 ラピスは少し頬をふくらませた。


「リューリア姉ちゃんもそう言うけど、よくわかんないんだよなー。全然うまくできねーし。……俺って才能ない?」


 魔力の属性変換は魔術の訓練の肝だ。これができるかどうかは、魔術師と普通の人を分ける一線でもある。だから、簡単にできないのは当然なんだよね。

 でもそれを五歳児に納得させるのは、難しい。


 しゅんと落ちているラピスの肩を、シアがぽんぽんと叩いた。


「そんなことないわ。魔力の属性を変えるのは難しいもの。ラピスくんはまだ小さいし、訓練を始めて一年くらいなんでしょう? うまくできなくて当たり前よ」


「うん……」


 ラピスは少し顔を明るくして、シアを見上げた。


「ねえねえ、ルチルさん。何かうまくやるためのコツってないのか?」


「そうねえ……。火花が散っている様子をできるだけはっきりとあざやかに思い描くことかしら」


 言ってから、シアは、ぽん、と手を合わせた。


「そうだわ。ちょっと本物の火を見ながらやってみましょうか。ええと、ここには燃やす物がないから……食堂の厨房には火があるかしら、ルリ?」


「うん、あるはずだよ。基本的に、営業日は就寝中以外厨房の火を絶やさないようにしてるから」


「じゃあ、厨房に行ってみましょう」


 というわけで、あたしたち三人は厨房に向かった。

 厨房に入ると、調理台の前に立って食材を整理していた父さんが顔を上げた。視線だけで、何か用か、と問いかけてくる。


「ラピスの魔術の訓練のために火を見たいの。いい?」


 父さんは眉を上げたけど、何も訊かずに顎でかまどの方を指した。


 シアがラピスを促して、かまどの前にしゃがみ込む。


「それじゃ、ラピスくん。火をよく見て観察して。火が目に焼きついて、瞼を閉じても浮かぶくらいまで」


 シアに言われるまま、ラピスはじいっとかまどの火を見つめる。そこに父さんが声をかけた。


「ラピス、あんまり身を乗り出すんじゃねえぞ。火傷するからな」


「うん、わかってるー」


 ラピスは上の空って感じの返事をしたけど、一応聞いてはいるみたいで、かまどから適切な距離を保って火を観察している。

 しばらくすると、目を閉じて眉間にぎゅっとしわを寄せた。魔力の変換を試みているみたいだ。


 数十秒そうしていたけど、やがて、ぷはーっと息を吐き出して目を開けた。


「うーん。やっぱりうまくできないよー」


「すぐにはできるようにならないわ。積み重ねが大事なのよ。毎日繰り返すことよ。じゃあ次は水属性を試してみましょうか」


 それ以上厨房にいると父さんの邪魔になるから、ということでまた庭に出た。シアが庭の水瓶の水を操って、水を空中からちょろちょろと水瓶に落とす。その水をラピスに触らせて、流れ落ちる様子を観察させる。


「一人でこれをやる時は、コップでくんだ水を水瓶の中に落として、それを触りながら観察するといいわね」


「おー、なるほどー」


 シアの言葉に、ラピスが何度もうなずく。


 その次はシアが風を操って小さなつむじ風を起こして、ラピスに観察させた。最後は地属性の訓練で、地面を触ってその硬さを感じながら魔力の変換を試みさせる。


「風属性以外は一人の時でもできるでしょう? 毎日観察して、その様子をはっきり頭の中に思い描けるようになると、魔力の属性を変えるのに役に立つはずよ」


「うん、わかった。ルチルさん、ありがとう! これで一人でやる訓練もやりやすくなったよ! リューリア姉ちゃんは『とにかく頭の中に思い描いて、それを魔力で再現しなさい』としか言わねーんだもん」


 シアに感謝の眼差しを向けているラピスの頭を、あたしは小突いた。


「悪かったわね。あたしはそのやり方で憶えたのよ」


 シアが苦笑する。


「多分それは、レティおば様やヨルダおじ様の学生時代はそういうやり方が主流だったからよ。わたしの学生時代は、実際の火や水を使うやり方が導入されていたの」


「へー、そうなんだ」


 言って、ラピスの髪をぐしゃぐしゃとなでる。


「じゃあ、シアに訓練を頼んで正解だったってことだね。ラピスのわがままが珍しく役に立ったじゃない」


「俺わがままじゃないもん! 仕事の手伝いだってちゃんとやってるだろ!」


「はいはい、そうね。あんたはいい子いい子」


「それ適当に言ってるだけだろ!」


 ぎゃあぎゃあ騒ぐラピスをあしらっていると、義姉さんが建物から顔を出した。


「リューリア、ラピス、ルチルさん、そろそろ夕飯にしましょ」


「もう? 早くない?」


「お客さんが一気に増えたことについて話しあうから、時間長めに取ることにしたの」


「ああ、そっか。それがあったね」


 なるほど、とうなずいて義姉さんの後について建物の中に入る。


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