第三章 街と森で過ごす休日(2)

 シアとラピスと並んで神殿を出ると、今度はちょっと高めの品が置いてある化粧品店〈月の夢〉に向かう。神殿からそう離れていないので、すぐに到着した。


「ここは色々珍しい物も置いてあるから、ここだったらキャルメの花の香水もあるかも」


 シアに説明しながら中に入る。店内を見回して、店員さんに声をかけた。


「あの、キャルメの花の香水って置いてありますか?」


「キャルメの花……ですか。その香りだけを主体にした香水は残念ながら取り扱っておりません。でも、キャルメの花と別の物を組み合わせた商品でしたら、いくつかございますよ」


「そうですか……」


 欲しいのはシアと同じにおいだから、ここに置いてある品じゃだめなんだよなあ。そう考えていると、シアが口を挟んだ。


「それ、見せてもらいましょうよ、ルリ」


「え。いいけど……シア、興味あるの?」


「ええ。せっかく来たんだし、色々見せてもらうのもいいでしょう?」


「まあ、それもそうか。――じゃあ、お願いします」


 言うと、店員さんは微笑みを大きくした。少々お待ちください、と断って、棚からいくつかのガラスの小瓶を取り出す。


「こちらが、キャルメの花とクスコの根を合わせた物でございます。こちらは……」


 退屈そうに店の中をぶらぶらしているラピスを視界の隅に入れつつ、店員さんの説明に耳を傾ける。


 小瓶の蓋を取って、においも嗅がせてもらう。どれもいいにおいだし、割とシアのにおいに似てるけど、やっぱりあたしが欲しい物じゃない。


「これはキャルメの花とシャリエの実を合わせた香水でしたよね? シャリエの実だけを主体にした香水はありますか?」


 シアが小瓶の一つを指差して尋ねる。


「ええ、ございますよ。こちらです」


 店員さんが差し出した新しい小瓶の蓋を取って、シアはにおいを嗅いだ。満足そうに微笑んで、あたしに差し出してくる。


「ルリはこれ、どう思う?」


「どれどれ?」


 あたしも小瓶のにおいを嗅いでみた。すっきりとしたさわやかな香りで、何だか春の朝の空気を思い出させる。小鳥の鳴き声が聞こえてきそう。これも好きだな。


「いいと思うよ。シア、これ買うの?」


 尋ねると、シアははにかむような笑みを浮かべた。か、かわいい。


「実はね、この香り、ルリに合うと思うの。だから、一緒に買わない?」


「え……」


「おそろいでつけたいの。……どう?」


「う、うん。あたしも……そうしたい」


 どぎまぎしながら答えて、小瓶のにおいをもう一度嗅ぐ。シアが選んでくれたあたしの香り。そう思うと、さっきよりも何倍もすてきな香りに思えてくる。


「じゃあ、これを二つください」


「かしこまりました」


 店員さんが小瓶を布でくるんでくれている間、シアがこっちを向いて微笑んだ。


「キャルメの花の香水は、約束どおりわたしが持っている分をルリに分けてあげるわね」


「うん!」


 シアとおそろいの香りが二つってことだ。すごい。


 シャリエの実の香水は、小瓶一つが大銀貨三枚と小銀貨六枚で、思ったより高かったけど、そんなのは全然気にならなかった。シアとおそろいでつけられるんなら、もっと払ったっていい。


 そう考えながらラピスを呼んで、香水二瓶の値段を計算させる。ラピスは今度も正解した。よしよし、計算能力は順調に伸びてるみたい。商売をやるには欠かせない能力だからね。


 ラピスの頭をぐりぐりなでてやってから、シアと半分ずつ出したお金を店員さんに渡して、お釣りと品物を受け取る。


「ルチルさん! 俺、計算できた!」


「ええ。ラピスくんは賢いわね」


 あたしの手からお釣りの半分を受け取ったシアが微笑んで、お金を持っていない方の手でラピスの頭をなでる。ラピスは満面の笑みを浮かべている。


 そんな二人を微笑ましく見ながら、あたしは片方の小瓶と財布を肩かけ鞄にしまって、もう片方の小瓶をシアに渡した。シアはそれを財布と一緒に自分の肩かけ鞄にしまう。


 店を出ると、ラピスが期待に満ちた目であたしを見上げてきた。


「次は揚げパンだよな!?」


「そうね。約束したもんね」


「じゃあ行こう! 急いで行こう!」


 ラピスは走り出そうとするけど、あたしはその首根っこをつかまえた。


「こら、危ない。人にぶつかるでしょ。ゆっくり歩いていくの。揚げパンは逃げないんだから」


「そんなことない! 売り切れちゃうかもしれないじゃないか!」


「売り切れてたら、また作ってもらえばいいでしょ。まだ朝なんだから『もう今日は作りません』なんて言われないはずだし」


「むう。そうだけどー。でも俺は早く食べたいんだ!」


「だからって、転んで怪我でもしたら元も子もないでしょうが。言っとくけど、走って怪我したら、揚げパンはなしだからね」


「ええー!」ラピスは盛大に不服の声を上げた。「そんなのずるい! 約束したのに!」


「いい子にしてたら買ってあげる、って約束だったでしょ。言うこと聞かずに怪我するような子はいい子じゃありません」


「……ちぇー」


 ラピスは頬をふくらませながらも、走らずに歩き出した。速足気味なのは見逃してあげることにする。


 揚げパンを売っているパン屋は、高い白砂糖をたっぷり使ったパンを売っているだけあって、他のパンも結構なお値段だ。同じ客層の店だから、化粧品店からはあまりかからなかった。


 それにしても、普段あまり行かない高めのお店が続いちゃったな。あたしが普段行ってる店を知りたいっていうシアの要望には応えられてない。


 でもまあ、しょうがないか。流れでそうなっちゃったんだから。普段よく行く店は、これから案内すればいい。


 そう考えつつ、パン屋に入って、揚げパンを三つ買う。ラピスに値段を計算させるのも忘れない。


「正解。じゃあ、ほら、ご褒美」


 そう言って揚げパンを一つ渡すと、ラピスは顔いっぱいの笑みを浮かべて揚げパンにかぶりついた。


 あたしとシアも揚げパンを頬張りながら、店を出て、あたしが普段よく行くような店が並んでいる一画に足を向けた。


 さっさと揚げパンを食べ終えたラピスは、砂糖まみれになった指をしゃぶっている。


「こら、行儀悪いでしょ。ハンカチでふきなさい」


 水魔法で大気中の水分を集めて少し水を生み出して、手を洗ってあげてから、ハンカチを渡す。ラピスはおとなしく手をふいて、ハンカチを返してきた。


 あたしとシアも揚げパンを食べ終わった後は、歩きながら屋台をのぞいたり、通りの両側に並んでいる店の説明をシアにしたりしながら歩いていく。


 行き慣れた店が増えてきたし、そろそろどこかの店に入ろうかな、と考え始めたところで、あたしを呼ぶ声がした。


「リューリアさーん!」


 声のした方を見ると、何人かの子どもたちが駆けてくる。先頭に立っているのは、この辺の子どもたちの親分格、要するにガキ大将のテンリだ。


 テンリたちは、あたしたちのすぐ前まで来ると足を止めた。テンリはこの間十歳になったばかりだけど、体が大きくて、目線があたしと変わらない。


「リューリアさん、今日食堂休みだろ? 森に連れてってくれよ!」


 テンリは挨拶もすっ飛ばして、用件を告げてきた。あたしは、はあ、とため息をつく。


「こら、テンリ。まずは挨拶じゃないの? ていうか、あんた何でこんな時間に出歩いてるの? 学校は?」


「先生が病気で臨時休みになったんだ。な、いいだろ? 森に行こう!」


「えー……でも今日は……」


 あたしはちらっとシアを見た。今日はせっかくのシアとのお出かけの日なのに。色々行きたい所とかしたいこととかあるのに。


「なあ、頼むよ、リューリアさん。学校が休みの日とリューリアさんちの食堂が休みの日が重なるなんて、滅多にないし。最後に森に行ったの、もう四ヶ月近く前だぜ?」


 食い下がるテンリに、ラピスが加勢した。


「リューリア姉ちゃん、俺も森行きたい!」


「ほら、ラピスもこう言ってるんだし、いいだろ?」


「いいだろ、いいだろ、いいだろ?」


 あたしの服を引っ張るラピスに合わせるように、他の子たちも「お願ーい」、「森行こうよー!」と声を上げ始めた。


 ……うう。あたし、おねだりされると弱いんだよなあ。それに、森に出かけるのは、ラピスにとってお風呂屋以外で同世代の子どもたちと遊べる数少ない機会だから、なるべく作ってあげたい、って気持ちもある。


 とはいえ、そう簡単には気持ちを切り替えられなくて、もう一度シアを見ると、シアは微笑んで口を開いた。


「わたしのことを気にしているなら、わたしは構わないわ。ルリが時々行っているっていう森に、わたしも行ってみたいし」


「……でも、シアを色々なお店に連れていくって約束したのに……」


「お店はまた行けるわよ。それにわたし、森に行くの楽しみだわ」


 その言葉で思い出した。


「そういえばシア、山に行くの好きだったもんね」


 あたしの育ての親のレティ母様は狩人で、よくあたしとシアを山に連れていって、山菜や薬草の見つけ方や獣の狩り方を教えてくれた。シアは楽しそうに山を駆け回っていたっけ。


「ええ。今でも時々レティおば様やヨルダおじ様と狩りに行くのよ。家族や他の人たちとも行くけれど、ルリの話ができるから、レティおば様たちと行くのが一番楽しいわ」


 あたしのいない所でも、シアはあたしのこと考えたり思い出したりしてくれてたんだ、って改めて思い知らされると、喜びで鼓動が速くなる。


「じゃ、じゃあ、シアがそう言うなら、午後からは森に行こうか」


 そう言うと、ラピスを含めた子どもたちが一斉に歓声を上げた。


「やったー!」


「それじゃ、昼食を食べた後八の鐘でうちの宿屋に集合、ってことでいいね? テンリ」


「うん! みんなに教えてくるな!」


 言って、テンリとその連れの子たちは走り出す。


「まったく、忙しないんだから」


 あたしは、やれやれ、と首を振ってから、少し考えた。


「昼食の準備しにうちに帰るまでにはもう少し時間あるし、そこの雑貨屋に寄っていかない? あたしが装飾品買う時は大体そこなの」


「いいわね。そうしましょう」


 午後から森に行くっていうのが効いたみたいで、ラピスは今度は文句を言わなかった。


 雑貨屋に入って、品物を見て回る。


「あ、この髪飾り新商品だ。シアに似合いそう」


「そう? ルリがそう言うなら、買おうかしら」


 あたしが薦めた髪飾りを買う、ってシアが言ってくれたのが嬉しくて、頬が緩む。


「じゃあ、つけてあげるね」


 あたしはそっとシアの髪に触れて、髪飾りをつけた。色とりどりのガラス玉を紐で連ねた髪飾りは、思ったとおりシアの黒銀の髪に映える。


「うん、綺麗。やっぱり似合ってる」


「ありがとう。それじゃ、買ってくるわね」


 嬉しそうに笑って代金を払いに行ったシアを見送って、あたしは商品が置かれている台と台の間の通路につまらなそうな顔でしゃがみ込んでいるラピスに声をかけた。


「そろそろ出るから、立ちなさい。そうしてたら他のお客さんの邪魔でしょ」


「はーい」


 おとなしく立ったラピスを連れて、戻ってきたシアと合流して、雑貨屋を出る。


「あ、シアはお昼どうするの?」


「この辺の屋台で食べようかと思ってるわ。ルリはおうちに帰ってご家族と食べるでしょう?」


「うん、そうなるかな」


 朝みたいに、一度家に戻って義姉さんを手伝って昼食を作った後こっちに戻ってきてシアと合流して食べてもいいんだけど、それだと子どもたちとの待ち合わせ時間に間に合わないだろう。

 残念だけど、シアとはここで一旦お別れだ。二時間もすればまた会えるとはいえ、ちょっと名残惜しい。


「じゃあね、あそこの屋台の煮物とかあっちの屋台の串焼きがおすすめだよ」


 屋台を指差して教えると、シアがうなずく。


「それじゃ、八の鐘でまたね、シア。あ、集合場所は宿屋の入口の所じゃなくて、裏側の私用の玄関の前だから、気をつけて」


「わかったわ。それじゃあ、また後で、ルリ。ラピスくんも」


「うん。じゃあなー、ルチルさん」


 シアに手を振りながら、ラピスと連れ立って家に帰る。


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