第三章 街と森で過ごす休日(1)

 翌朝の寝覚めは悪くなかった。昨夜なかなか寝つけなかったことを考えると、かなり良い目覚めだったんじゃないかな。

 食堂が休みの日でも、起きる時間は基本的にいつもと一緒。二の鐘だ。


 今日の服はどうしようかなー。服箪笥をのぞき込んで悩んでいると、明るい紫のワンピースが目に留まった。紫……か。シアの瞳の色だし、いいかもしれない。


 シアがまた褒めてくれたらいいな、なんて考えながら着替える。


 髪は今日も後頭部で結い上げる。シアが夏らしくていいって言ってくれたし。


 髪飾りやなんかが入っている箱を開けて、また悩む。うーん、髪飾りまでつけると、気合い入れすぎかなあ。


 でもでも、今日はシアとお出かけなんだし、少しくらい気合い入れてもいいんじゃないかな。それに、外に出かけるんだから、ちょっとおしゃれしてたって変じゃないよ……ね?


 そう自分に言い聞かせて、布製の白い花が一つだけついている髪飾りを選んだ。これくらいなら、ちょっとしたおしゃれの範疇だよね。やりすぎってことはないはず。


 少しドキドキしながら、台所に下りていく。義姉さんと兄さん、父さんはもう起きていた。義姉さんは台所、兄さんと父さんは居間にいる。


「おはよう」


 声をかけると、三人からそれぞれ挨拶が返ってくる。


 台所に入って、水瓶からくんだ水で顔を洗って歯を磨いてから前掛けを着け、かまどの前で忙しく働いている義姉さんの隣に並んで手伝い始めた。ちらりとこっちを見た義姉さんが、あら、と声を上げた。


「今日もおしゃれねー」


「い、いいでしょ、別に」


「悪いなんて言ってないでしょ。いいことだと思うわよ。リューリアも年頃なんだし」


 後頭部で揺れているあたしの黒い巻毛をピンとはじいて、義姉さんは調理作業に戻った。


 そうだよね。あたしだって十五歳。成人する十六歳の誕生日までだって、もう一月もない。たまのお出かけにこのくらいおしゃれするなんて、普通のことだ。他の友達と出かける時だってやってる。


 でも、シアとのお出かけだと思うと、何だか恥ずかしいんだよなあ。


 朝食ができ上がる頃になっても、ラピスはまだ起きてこない。


「あの子遅いわねえ。ルチルさんとの待ち合わせ、三の鐘でしょ? そろそろ起きなきゃ間に合わないわよね。――フュリドー、ラピスを起こしてきてくれない?」


 義姉さんが声を張り上げると、兄さんが居間から台所をのぞいた。


「何だ、ラピスの奴、また寝坊か?」


「そうみたい」


「もう大人だって言ってたのに、仕方のない奴だなあ」


「ほんとよね。――寝起きが悪かったら、今朝の朝食はルチルさんと外食だって言えば、速攻で目を覚ますと思うわ」


「はは、それは確かにそうなりそうだな」


 笑いながら、兄さんは二階に上っていった。


 あたしと義姉さんができ上がった料理を居間のテーブルに並べていると、兄さんがラピスを連れて居間に入ってくる。ラピスはぴょんぴょん飛び跳ねそうな足取りだ。


「リューリア姉ちゃん! 今朝の朝ごはん、ルチルさんと外食ってほんとか!?」


「ほんとだよ。なのに、あんたなかなか起きてこないんだから」


 ラピスは、あたしの文句が耳に入ってない様子で万歳した。


「やったー!」


 ラピスのあまりの喜びように、やれやれ、と肩をすくめていると、義姉さんに肩を叩かれた。そっちを見ると、お金をいくらか渡される。


「これ、ラピスの分ね」


「それくらいあたしが出すのに」


「だめよ。こういうことは家族間でもちゃんとしておかなきゃ」


 お金に厳しい義姉さんがきっぱりと言う。


「はーい。義姉さんがそう言うなら貰っておきます。ありがと」


 あたしとラピスが外食する時のいつもの会話なので、あたしは素直に従った。


 一度自室に戻る。義姉さんに貰ったお金を財布に入れて、それを小さな肩かけ鞄に他の荷物と共にしまって、出かける用意をする。そうしていると、三の鐘が鳴った。


 急いで一階に下りて、ラピスに声をかけて、二人で宿屋部分に行くと、入口の所でシアが待っていた。紺色のブラウスに、昨日と同じ足首までの薄茶のスカートを着ている。今日も美人だ。


「おはよう、ルリ、ラピスくん」


「おはよ、シア」


「ルチルさん、おはよう!」


「ふふ、ラピスくんは朝から元気ね」


「ルチルさんとお出かけだもん! 行こう!」


 ラピスはシアの手を引っ張って、宿屋の入口から外に出ていく。あたしはその後についていった。


 ラピスは無邪気にシアと手をつなげていいなあ。あたしは、今のシアと手をつなぐなんて考えるだけで顔が火照ってくる。つなぎたい気持ちはあるんだけど、ね。


「リューリア姉ちゃーん、どこの店行くんだ?」


「〈サムハの喫茶店〉よ。――あたしの友達が働いてる店で、食事もおいしいの」


 ラピスに答えてから、シアに説明する。


「じゃあ、こっちだぞ、ルチルさん!」


 ラピスがシアを引っ張って歩き始める。なんかラピスとシアが連れで、あたしはおまけみたい。


 それが何だか面白くなくて、あたしは足を速めてシアの隣に並んだ。


 あ、シアってばやっぱりいいにおいがする。甘い、花みたいなにおい。香水とかつけてるのかなあ。シアがこんなに綺麗なのも、やっぱり美容に気をつかってるからなんだろうか。


 でも、ほんとにいいにおい。華やかというよりはしっとりしてて、印象に残る甘さなんだけどしつこくなくて、いつまでも嗅いでいたくなる。


「ね、ねえ、シアって香水かなんかつけてる?」


 ラピスのお喋りが途切れた隙に尋ねてみる。


「ちょっとだけね。におい、気になる?」


「ううん。いいにおいだから、何のにおいかなって」


「キャルメの花のにおいよ。気に入ってるの」


「そうなんだ。……聞いたことないけど、この町でも売ってるかなあ」


 つぶやくと、シアが微笑んだ。あたしは目をさっとそらしてしまう。ごめん、シア。シアの笑みはまぶしくて、まだちょっと直視できない。もう少し時間が必要なの。


 心の中で言い訳していると、シアが言った。


「もしこの町で売っていなかったら、わたしが持っている分分けてあげましょうか?」


「え、いいの?」


「もちろん。気に入ったんでしょう?」


「う、うん!」


 うわあ、それって、それって、シアとおそろいのにおいをつけられるってことだよね? 何それ、すっごい嬉しい。考えるだけで、鼓動が速くなる。


 天にも昇る心地でいると、ラピスが声を上げた。


「ルチルさん、〈サムハの喫茶店〉、あそこだぜ!」


 気がつけば、本当にもうすぐそこまで来ている。店の前に、お客さんが数人並んでいるのが見える。


「人が並んでいるなんて、人気店なのね」


「うん、うちの食堂と同じくらい人気あるよ。特に朝が混むんだって。だからってわけじゃないけど、あたしもこの店で朝食食べるのは初めてなんだ。昼食や夕食は何度か食べたことあるけど。でも朝しか出ないオムレツが絶品って評判で、前から食べてみたかったんだよね」


「それは楽しみだわ」


「俺も楽しみ! オムレツ大好き!」


 列の最後尾に並ぶ。しばらく他愛のないお喋りをしていると、シアがふっと手を伸ばしてあたしの髪に触れた。心臓が飛び跳ねる。


「わっ! な、何?」


「ルリ、今日は髪飾りつけてるのね。かわいいわ」


 シアの言葉に顔が火照る。


「あ、ありがと」


「そのワンピースも似合ってる」


「シ、シアがそう言ってくれると嬉しい」


 本当に嬉しくて、口元がにまにまと緩んでしまう。あたしは口元を手で隠しながら、店の入口を指差した。


「あ、ほ、ほら、あたしたちの番だよ。入ろう」


 店の中に入って空いているテーブルに腰を下ろすと、あたしはここで給仕として働いている友達のティスタの姿を探して店内を見回した。


 少し離れたテーブルに料理を置いている褐色の肌の少女を見つけて、手を振る。

 ティスタはこっちに気づいてすぐにやってきた。肩の上で二つに分けてくくられている黒い巻毛が動きに合わせて揺れている。


「おはよー、リューリア。朝から来るなんて珍しいねー」


「おはよ、ティスタ。ちょっとね」


 あたしからシアに視線を移したティスタは、くりくりとした黒い目をみはった。


「うっわあ、美人ー。――あ、この人が例のリューリアの幼なじみー?」


「さすがに耳が早いね。そうだよ。ルチルカルツ・シアっていうの」


「はじめまして。ルチルと呼んでください」


「はじめましてー。あたしはティスタですー。よろしくー。――注文は何にするー?」


「オムレツとサラダを三人前、お願い。――シアもラピスもそれでいいよね?」


 シアは、ええ、とうなずいたけど、ラピスは顔をしかめた。


「えー、俺、サラダはいらない」


「だーめ。野菜もちゃんと食べなさい。そういうわけだから、オムレツとサラダ三人前で」


「飲み物はどうするー? タティオ茶でいいー?」


「あ、俺、タリックのジュースがいい!」


「わたしはタティオ茶で構いません」


「じゃあ、タティオ茶を二人分と、タリックジュースを一人分でお願い」


「承りました。それでは、少々お待ちください」


 言って、ティスタは厨房の方角に歩いていく。


 混んでるからすぐには出てこないだろうな、と思ったけど、やっぱり料理はなかなか運ばれてこなかった。腹減ったー、と騒ぐラピスをなだめながら、先に運ばれてきた飲み物を飲んで時間をつぶす。


 半時間くらいして、ようやくオムレツとサラダが運ばれてきた。綺麗な黄色のオムレツがいかにもおいしそうだ。


「やっと来たー!」


 ラピスが万歳する。


「お待たせいたしました。どうぞごゆっくりお召し上がりください」


 ティスタがそう言って下がっていく。あたしとシア、ラピスはさっそくオムレツを口に運んだ。あたしとシアは手を重ねて略式の祈りを捧げてからだけど。


「うん、これはおいしいわ」


「ええ、本当に」


「じいちゃんのと同じくらいうまい!」


 ふわふわとろとろの卵の中に色々な種類の肉と野菜が入っていて、一口ごとに違う味がする。でもどの味も絶妙に調和が取れていて、確かに絶品だ。


「このおいしさなら、待った甲斐があったね」


「ほんとね。この店に連れてきてくれてありがとう、ルリ」


 あたしは、照れながら頭をかいた。


「えへへ、どういたしまして。シアが喜んでくれて良かった」


 おいしい食事を大切な人と食べるのは、至福の時間だ。サラダも特製ドレッシングがおいしくて、あっという間に平らげてしまった。ラピスも、文句を言いながらだけど、全部食べた。


「あー、おいしかった。――じゃあラピス、計算の練習ね。オムレツ一つが、えーと、大銀貨一枚と小銀貨二枚、サラダ一皿が小銀貨三枚。三人分でいくらになるでしょう?」


 手を重ねて食後の祈りを略式で捧げると、献立と値段が書いてある黒板を見ながら、ラピスに問題を出す。


 あたしと離れられないラピスは学校に行けないから、かわりに家族が色々教えないといけない。まずは最低限の読み書き計算から、ということで、こうして機会があれば問題を出している。


「えーっと……」


 ラピスは集中するように眉を寄せた。指を折り曲げながら、ぶつぶつつぶやいている。


「大銀貨四枚と……小銀貨五枚?」


「正解。二人分だったら?」


「大銀貨三枚!」


「それも正解。そこに飲み物の代金……タティオ茶が小銀貨二枚、タリックジュースが小銀貨三枚を足したら?」


「大銀貨三枚と小銀貨五枚!」


「これまた正解。じゃあほら、今言った分だけ出して」


 ラピスに財布を渡して、二人分の代金をテーブルに置かせる。シアも自分の分をテーブルに置いた。


 財布をしまって、ティスタに手を振って呼んで、おいしかったよ、と声をかけて立ち上がった。


「ご来店ありがとうございましたー」


 代金を回収したティスタに見送られて、店を出た。


「さてと、次は神殿に寄って、その後お店見て回ろうか。シアは神殿以外に行きたい所、特にないんだったよね?」


「あ、それ訂正していい?」


「どっか行きたい所できたの?」


「ええ。香水とかを売っているお店に行きたいの。一緒にキャルメの花の香水探しましょうよ」


 微笑まれて、あたしは頬を熱くしながらうなずいた。


「うん!」


 シアも、あたしとおそろいのにおいをつけるの楽しみにしてくれているみたいで、嬉しいな。


「えー、それつまんなそう」


 唇を尖らせたラピスの額を、あたしはピンとはじいた。


「文句言わないの。いい子にしてたら、その後で揚げパン買ってあげるから」


 白砂糖をまぶした甘い揚げパンはラピスの大好物だ。贅沢だからあんまり食べさせないで、って義姉さんに言われてるんだけど、一つくらいはいいだろう。今日はあたしにとって特別な日みたいなものだし。


「ほんと!? 絶対だからな!」


 たちまち機嫌を直したラピスを連れて、まずは神殿へと向かう。途中、青物屋の屋台で供物用にミジュラを三つ買うのも忘れない。


 神殿は、町の中心部より少し西側、高級な店が並んでいる地区の始まり辺りにある。木造建築が一般的なこの町では珍しい石造りの建物で、横には高い鐘楼がついている。


 中に入ると、奥へと進む廊下の入口の両脇に供物を捧げる台が置いてある。一人一つずつミジュラを持って、台の前に立つ。


「我が信仰の証をここに捧げます」


 決まり文句を唱えながら、ミジュラを台に置いた。


 それから神々の像が両脇に並ぶ廊下を先へと進むと、突き当たりには光あふれる空間がある。石でできた床が剥き出しの地面に変わり、ガラス張りの天井から日差しが差し込んでいる。


 そこには五体の像が並んでいた。中心に立つのは、大地の女神メアノドゥーラ。その両脇に空の女神セリエンティと太陽と月の女神エルシャイーラ。その更に両脇に、光の男神シィルナーゼと闇の男神ディンキオル。


 平日の朝だから参拝する人は多くなくて、五柱の神々の前の空間には三人並べるくらい空きがあった。地面に膝をついて、利き手である右手の手の平を地面につけ、左手の手の平は空に向ける。


「世界の母たる大地の女神メアノドゥーラよ、神々の争いを鎮め世に平和をもたらせし空の女神セリエンティよ、我は御身らに感謝を捧げんがためにここに祈る者なり。天上と地上に永久なる平和と繁栄のあらんことを。トゥッカーシャ」


 祈りを終えて立ち上がり、手についた土をぱっぱっと払い落とす。


 周囲にいる人たちの何人かが好奇の視線を向けてくるのを感じるけど、いつものことだ。あたしがシアの里で教わった祈りの言葉は、普通とはちょっと違う。


 普通は、大地の女神メアノドゥーラにのみ祈りを捧げるもので、祈る時の姿勢も、両手と、場合によっては額を大地につける。旅装束の人たちも皆そうしているから、どこの地域でも大体そういうものらしい。


 クラディムに帰ってきて、自分の祈り方が他の人たちと違うって気づいた後で、レティ母様とヨルダ父様に手紙で尋ねてみたところ、シアの一族も昔は他の人たちと同じやり方で祈っていたそうだ。

 だけど、ある戦争の最中に詳しくは知らないけどシアの一族がからむ惨劇があって、それ以来空の女神セリエンティにも祈りを捧げ、繁栄だけでなく平和も願うようになったんだとか。


 周囲から浮きたくないし、他の人たちと同じ祈り方に変えようかな、って思ったこともあるんだけど、平和を祈るのはいいことだし、この祈り方を教えてくれたレティ母様とヨルダ父様とのつながりも大事にしたかったから、続けることに決めた。

 食前・食後の祈りに加えて神殿での祈りまで変えてしまったら、レティ母様とヨルダ父様とのつながりがどんどんなくなっていっちゃうような気がしたんだ。


 あたしが神殿に来る際一緒に来ていたラピスが、いつの間にか見て憶えてあたしの真似をするようになってしまった時は少し悩んだけど、本人が他の人たちと違うことを気にしていないようなので、まあいいか、と思っている。周囲と違うのが嫌だって思ったら、自分で祈り方を変えるだろうし。


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