第二章 シアの提案(2)

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「それじゃあ、あたしたちは……」


 義姉さんは、少し考えてからシアの方を見た。


「仕事を手伝っていただけるってことだったけど、食堂の給仕をやっていただけるってことでいいのかしら?」


「はい。慣れていないのでご迷惑をおかけするかもしれませんが、お手伝いさせていただけると嬉しいです」


「いえいえ、人手が増えて助かりますよ。じゃあ、食堂に行って打ち合わせしましょうか」


 食堂に入ると、義姉さんは厨房に足を向けた。


「まずはお茶淹れてきますね。お風呂の後は喉渇きますし」


 ラピスがシアの手を引っ張る。


「ルチルさん、食堂で給仕するのか? すっげー人来るんだぜ! 大変なんだぜ! 母ちゃんも父ちゃんもリューリア姉ちゃんも、いっつも『疲れたー』って言ってる!」


 あたしはまだシアの顔まともに見られなくて、何話していいのかもわからないので、正直ラピスがシアの気を引いてくれてるのはありがたい。


「そうなの? じゃあ、覚悟しておくわね」


 シアがラピスに答えた。


「でもじいちゃんは、『疲れた』って言わないんだ。じいちゃんは無口だから!」


「それ、ルリ……リューリアも手紙に書いてたわ。ね? ルリ」


「う、うん。父さん、無愛想であんまり喋らないんだ。客商売には向いてないよね」


「でも父ちゃんはお喋りなんだぜ! 母ちゃんもじいちゃんもそう言ってる! 父ちゃんは、死んだばあちゃんに似たんだって!」


 そうなの、とシアが相槌を打ったところで、義姉さんがティーポットとコップを四つ盆に乗せて厨房から出てきた。


「はいはい、お茶入りましたよー。座って座って」


 あたしとシア、ラピスがテーブルに着席すると、義姉さんはコップにお茶を注いで、あたしたちと自分の前に置いた。


「それじゃあ、打ち合わせしましょうか。ラピス、仕事の話するから、ちょっと静かにしておいてね」


 ラピスはつまらなそうな顔になったけど、仕事が優先、という意識はあるので、「はーい」と返事した。


「それじゃあ、給仕の仕事ですけど、基本的には注文を取って、できた料理をテーブルに運んで、食事が終わったらお代を貰って、お客さんが帰ったら汚れた食器を片づけることです。入口からあそこまでのテーブルはあたしが担当します。あそこからそっちまでは、リューリア。ルチルさんには、残りを担当してもらいたいんです」


「わかりました」


「でも、自分の担当じゃないテーブルのお客さんに声をかけられたら、その時は注文を受けてくださいね。あ、それから、お客さんが帰った後の食器の片付けも、担当のテーブルじゃなくても、手が空いていたらやってくれると助かります。あと、入ってきたお客さんは大体勝手に座るけど、混んでる時は――余裕があったらでいいんですけど――空いてるテーブルに案内してあげてください」


「はい」


「あ、シア、えっとね、注文を取る時は、今日の献立をお客さんに教えるようにしてね。あそこの黒板にも書いておくけど、字が読めないお客さんもたまにいるから」


「わかったわ」


 あたしたちが話している間、退屈そうにしていたラピスは、やがて立ち上がってテーブルを離れると、椅子をいくつか並べてその上によじ登ったり下に潜ったりして遊んでいる。土足で椅子の上に立たない、という言いつけは守っているようなので、あたしも義姉さんも放っておく。


「まあ、何かあったら、遠慮せずあたしやリューリアに声をかけてくださいな。こっちからも、なるべく目を配っておくようにしますけど」


「お願いします」


 ちょうどそこで、兄さんと父さんが食堂に入ってきた。


「ただいま。いいお湯だったぜ」


「おかえり。――ね、お風呂屋から帰ってくるの速いでしょう?」


 義姉さんがシアに片眉を上げてみせる。シアは微笑んだ。


「そうですね」


 シアに笑い返してから、義姉さんは父さんに声をかけた。


「お義父さん、今日は賄い六人前作ってくれます? ルチルさんが、給仕を手伝ってくれることになったので」


 父さんはちらりとシアを見ると無言でうなずいて、厨房に入っていった。兄さんは、あたしたちが座っているテーブルの傍で立ち止まる。


「ルチルさん、手伝いしてくれるんですか? そりゃありがたいけど、いいのかな、お客さんにそこまでしてもらって」


 兄さんの言葉にシアは微笑む。


「いいんです。わたしがルリと……リューリアと一緒にいたくてやっていることですから」


「そうですか? 悪いですね。負担にならない範囲でいいですから」


「はい。こちらこそ、ご迷惑にならないよう努力します」


「いやいや、こんな美人が給仕してくれて、迷惑なんてことはないですよ」


「そうねー。ルチルさん目当てで来る客も増えそう。――あ、そういうの嫌ですか?」


 義姉さんの問いかけに、シアは少し首を傾けて考えた。


「いえ、お役に立てるなら、別に嫌じゃありません」


「うちの客層はそんなに悪くないけど、品が良いってわけでもないんですよね。あれこれ言われるとは思うけど、適当にあしらっていいですからね。しつこいのがいたら、あたしに言ってください」


「わかりました」


 シアが答えたところで、厨房から父さんが出てきた。右手に大皿と、左手にコップを二つ持っている。大皿をテーブルの真ん中に、コップを空いている席の前に置く。

 今日の賄い料理は、平パンに野菜と焼いた魚の切り身を挟んだ物だ。


「ラピス、お昼の準備できたわよ。椅子戻してから、こっち来なさい」


 義姉さんが声をかける。ラピスが返事して、椅子を片づけてから、ととと、と走ってくる。テーブルの所まで来たラピスを、椅子に座った兄さんがつかまえて膝に乗せた。


「ちょっと、父ちゃん! 俺もう子どもじゃないんだぜ」


 ラピスが心外そうな顔で抗議する。


「何だ、ちょっと前までは、『父ちゃん、お膝乗せてー』ってねだってきたのに」


「そんなの昔のことだろ! 今はもう違うんだからな!」


「そうかそうか。ラピスも大きくなったんだなあ」


 言いながら、兄さんはラピスを床に下ろした。ラピスは自分の椅子に座って食事を始める。


「まったく、子どもの成長は速いよな。少しさびしいよ」


 嘆く兄さんの褐色の手を、義姉さんの象牙色の手が握る。


「ほんとよねえ。いっぱしの大人みたいな顔するようになっちゃって。でもまあ、まだこの子がいるわよ」


 義姉さんが、兄さんの手を握っているのとは逆の手で、おなかに触る。兄さんは嬉しそうに笑った。そういう顔すると、ラピスに似てるんだよね。正確には、ラピスが兄さんに似てるんだけど。


「そうだな。無事に生まれてきてくれるのが待ち遠しいよ」


「あたしもよ」


「セイーリンさんとフュリドさん、本当に仲いいのね」


 シアが体をあたしの方に傾けてきて、耳元でささやいた。温かい吐息が耳にかかってドキドキする。


「う、うん。そうでしょ? 大体いつもこんな感じだよ」


 シアにささやき返しながら横目で見ると、兄さんと義姉さんは手を離して食事を始めた。父さんももう食べ始めている。


「あ、あたしたちも食べよ、シア」


「そうね」


 他愛のない会話をしながら食事を終えると、兄さんと父さんは汚れた食器を持って厨房に入っていった。ラピスは宿屋部分の掃除に行く。義姉さんも厨房に入っていって、すぐに前掛けを三枚持って出てきた。


「ルチルさん、これ着けてくださいね」


「はい」


 あたしとシアは、義姉さんから受け取った前掛けを着けた。


 義姉さんは、厨房で父さんに聞いてきたお昼の献立と値段を、食堂の入口脇にある黒板に書くと、テーブルと椅子を整えていく。あたしとシアも手伝う。


 それが終わると、あたしは火属性に変換した魔力を食堂中に行き渡らせて食堂内の気温を下げた。最近暑いから、これは欠かせない。


 開店準備を終えると、義姉さんが厨房に声をかける。


「フュリドー、そっちの準備はいい?」


「おう、問題なし!」


「それじゃ、リューリア、店開けてちょうだい」


「了解」


 あたしは食堂の扉を開いた。店の前には常連さんが何人か並んでいて、声をかけてくる。あたしも挨拶を返した。


「いつもごひいきありがとうございます。――〈フェイの宿屋〉の食堂、お昼の営業時間開始でーす!」


 扉にかかっている札を『準備中』から『営業中』に替えると、お客さんたちがどやどやと食堂に入ってきた。そしてそれぞれテーブルに座っていく。

 すぐに驚いたような声が上がった。


「何だ何だ、えらく別嬪な給仕がいるじゃねえか。どこで見つけてきたんだ、こんな上玉」


「遠くから来たリューリアの幼なじみで、仕事を手伝ってくれてるんですよ。好意で働いてくれてるだけなんだから、変なちょっかいはかけないようにしてくださいね」


 義姉さんがびしっと釘を刺す。こういうところ、義姉さんは頼りになる。


「おーい、美人の嬢ちゃん、注文取ってくれよ」


 あたしの担当テーブルに座ったお客さんが、シアに手を振る。どうしようかと悩んでシアを見ると、大丈夫、と言うように微笑まれた。シアはそのまま声をかけてきたお客さんの元に行く。


「それではご注文を承ります。今日の献立は……」


 献立を伝えて、注文を取って、それを厨房に伝えて、戻ってくる。


「こんな感じで大丈夫かしら?」


「う、うん。文句なし。給仕の経験はないんだよね?」


「ないわ。でも、客として食堂に行った経験は多いから、これまで見てきた給仕さんの言動を思い出して真似してみたの」


「へえー、シアは相変わらず器用だなあ。何でもうまくやれちゃって」


「今はまだ混んでいないから、うまくできただけよ。混んできたら、ルリやセイーリンさんの手を借りることになるかも。――でも、ルリが褒めてくれると、嬉しいわ」


 シアに微笑みかけられて、顔に熱が集まる。あたしはそわそわと体を動かした。やっぱりシアの顔、まだうまく見られないや。


「あ、あたしも注文取りに行かなきゃ」


 急いでシアの傍を離れて、新しく入ってきたお客さんの注文を取る。


 お客さんはひっきりなしにやってきて、食堂はすぐにいっぱいになった。テーブルの間をせかせかと動き回る。少しでも手が空いたら、厨房で洗い物を手伝う。いつもながら、目の回るような忙しさだ。


 それでも、なるべくシアを視界の隅に入れておくように努めた。何かあったら、あたしが手助けしてあげたいし。


 でも今のところシアは特に困ってる様子はない。お客さんはみんな新顔――それも美人――に興味津々で、シアの担当テーブル以外からもたくさん声をかけられてるのに、慌てず落ち着いてさばいていく。


 シアはやっぱりすごいや。あたしが給仕の仕事を始めた時は、お客さんと話す時に嚙んじゃったり、注文を間違えたり、色んな失敗をしたのに。


 感心しつつも、あんまりシアに声をかけるお客さんが多いものだから、何だか面白くない気持ちになる。


 そりゃシアは美少女だけど、でもそれだけじゃないんだから。シアのいいところは顔以外にもいっぱいある。あたしはシアの色々なところ、皆が知らないところだって知ってるんだからね。……って言いたくなる。


 うう、これって嫉妬……かなあ。あたし、こんなに心狭かったっけ? シアが皆とうまくやれてるなら喜んであげたいのに、素直に喜べないなんて……。


 ちょっと落ち込むけど、そんな気分に浸っている暇はない。自己嫌悪を吹き飛ばすように忙しく働いているうちに、ようやくお客さんの数が減ってきた。ちょうど神殿の鐘が九つ鳴るのが聞こえる。


「そろそろお昼の営業時間終了でーす。注文は早めにお願いしまーす」


 声を張り上げて、お客さんに呼びかける。すぐに、あちらこちらから声がかかるので、注文を取っていく。ぎりぎりで入ってくるお客さんもいるから、すぐには終わらない。本当は注文を受ける時間を過ぎていても、追い返すのも悪いし、よほどのことがなければ注文を受ける。


 それでもようやく最後のお客さんが食堂から出ていく。それを見送るついでに、素早く扉の札を『準備中』に替える。


「あー、終わった終わった。お疲れ様ー」


 シアと義姉さんに声をかける。


「お疲れ様。ラピスくんが言っていたとおり、お客さん多かったわね。いつもこんなに来るの?」


 シアの問いに、義姉さんが答える。


「そうですね。いつもあんな感じですよ。お義父さんの料理はおいしくて、ごひいきさんが多いから」


「確かにウルファンさんの料理は一級品だと思います。わたしはまだそんなにいくつも食べてないですけど、どの料理も本当においしかったですから」


「ふふ、義父に直接言ってあげてください。喜ぶから。――それにしても、ルチルさん、手際良かったですねえ。とても初めてとは思えませんでしたよ」


「ありがとうございます。忙しかったけれど、楽しかったです」


「それなら良かったです。じゃあ、あたしは洗い物をしないといけないから、ルチルさんはリューリアと掃除をお願いしますね」


 あたしとシアはそれぞれ了承の返事をする。

 義姉さんが厨房に消えると、あたしはシアに手順を説明しながら、食堂の掃除と換気を行った。仕事の話なら、あんまり緊張せずに話せる。


「これでおしまい」


「わかったわ。これで、次からはわたしも手伝えるわね」


 シアがそう微笑んだところで、兄さんが厨房から出てきた。


「これ、親父から。ルチルさんががんばってくれたから、お礼だそうです。お茶でも飲んでゆっくりしてください」


 兄さんが、ミジュラの蜜漬けが盛られた器と木のフォーク二本、コップが二つ乗った盆を差し出す。


「ありがとうございます」


 シアが礼を言って受け取ると、兄さんは厨房に戻っていく。あたしとシアはテーブルに腰を下ろして、蜜漬けを食べ始めた。


「やっぱり甘い物はいいなー。幸せー」


 顔をほころばせてそう言うと、シアが、ふふ、と笑った。


「そういう顔すると、昔のままね」


「え、そ、そう? ……それって、子どもっぽいってこと?」


「かわいいってことよ」


 シアがそう言って微笑むから、あたしの頬がかあっと熱くなる。もうもう、シアってば、そういうことさらっと言うなんてずるい!


 あたしは視線をそらして、心の中でうめいた。そうでなくてもシアと話すの緊張してるのに、こんなこと言われたら、恥ずかしくなってもっとどぎまぎしちゃうじゃない。


「そ、そういえば、今レティ母様とヨルダ父様に手紙書いてるんだ。シアが来たこととか、仕事を手伝ってくれてることも書かなきゃ」


 レティ母様とヨルダ父様はシアの一族で、あたしの育ての親だ。あたしがクラディムに戻ってきてからは、シア同様、ずっと手紙をやりとりしている。


「えと、レティ母様やヨルダ父様は、シアがこの町に来たこと知らないんだよね?」


「そうね。わたしが一緒に旅をしていたトナさんは、まだ里に帰り着いていないはずだから、聞いていないはずよ。でも、ルリの手紙が里に着く頃には、トナさんも帰り着いているはずだし、もしかしたら知っているかもしれないわね」


 そうだった。シアはクラディムに寄る前、別の人――同じ里の人――と一緒に旅してたんだっけ。その人は先にシアたちの里に帰ったんだ。


「そ、そっか。でもやっぱり手紙には書こう。……あたしがシアと再会できてどれだけ嬉しかったかは、そうしなきゃ伝わらないはずだし」


 うつむきがちにそう言ってから、あたしはちらりとシアの様子を窺った。シアは嬉しそうに微笑んでいる。そうやって笑ってくれると、あたしはもっと嬉しくなる。

 ああ、やっぱりシアが一緒にいるのっていいなあ。緊張するけど、心臓に悪いけど、でも幸せ。


 そう思いながら黙々と蜜漬けを食べていると、義姉さんが厨房から出てきた。


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