第55話

 走って走って、愛車の元へ戻った。

 暗闇に目が慣れているとはいえ、元居た場所にたどり着けるか不安だったがこれもエリア探索を頑張ったお陰だ。やはり仕事は真面目に取り組むべきなのだ。


 愛車の後方に近寄り、屈んでタイヤを触る。

 ざっくりと切り裂かれている。

 このままだと使えないが、運転席で操作すれば改良を重ねた愛車は動く。

 男がうろついていたあの時は戻れなかったが、新人を追いかけて行ったことを考えると、戻って愛車に乗るのが最善だ。

 すぐにでもこの場を去りたい。新人を迎えに行くかはここから離れてからにしよう。どうせ居場所も分からないのだから。


 運転席を開けて乗り込み、明かりは点けず手探りで目当てのスイッチを探していると、ひゅう、と音が聞こえた。

 何の音だ。

 光を出したくない。しかし、それだと何の音か分からない。それでも僅かな光を出さない。

 動きを止めて耳を澄ます。


 ひゅう。


 後部座席からだった。

 何だ、と振り向くとそこには新人がいた。


「...は?」


 ひゅう、ひゅう、と鳴っているのは呼吸音。

 今の今まで声をかけなかったのは、声が出ないから。

 妙な呼吸音と出ない声。そして何故かサツキよりも先を行っていたにも拘わらず、サツキよりも先に乗車している。

 胸騒ぎがした。


 逃げなければ。


 そう思った。

 新人には悪いがこのまま放って逃げようと、ドアに手をかけると助手席のドアが開いた。


「あ、やっぱりいたぁ」


 見知らぬ男が顔を出した。

 誰だ。決まっている、先程愛車の傍うろつきタイヤを切り裂いた男だ。

 ぞっとして腰が抜ける。

 終わった。


「もしかして、車動くのぉ?だって戻ってきたもんね、それに、いっぱいボタンがあるもんね」


 運転席を眺めながら、男は言った。

 ナイフを片手に持っており、新人が死にかけているのもそのナイフで急所を刺されたためだろう。

 ふと、自分の懐にあるものを思い出す。

 今この場で使わなければ、いつ使うのだ。


「え、そんなの持ってんのぉ?」


 銃口を男に向けて、引き金を引く。

 当然、撃たれると察した男は身を引き、助手席のドアを閉めることで自身を守る。

 サツキは正常な判断ができず、ドアが閉められた後も窓ガラスの向こうにいる男を目掛けて発砲する。

 何度も発砲していると、そのうち弾が出てこなくなった。


「おもしろ」


 恐怖に負けたサツキは腕を垂らし、呆けて男を見る。

 かちかちと歯がぶつかる。

 もしや、このまま死ぬのではないか。

 そんな考えが脳内を占める。

 生きたいに決まっている、当然だ。そんなの、当然だ。

 どうしようと考えるが、何も浮かばない。どうしよう、と思うだけだった。

 俯き、どうしよう、どうしようと繰り返し心の中で叫んでいると、ふと視界に緑色をした小さなランプが入った。

 改良に改良を重ねた車は、変なカスタムもした。「これ、必要ですか?」と怪訝そうに開発班から言われたこともある。最初は試行錯誤して不要なものまで取り付けた。

 そして男の顔は視界に入れず、助手席をちらっと確認する。


「終わったぁ?」


 男が再度ドアを開けて顔を覗かせた。

 体を入らせる余地なく、震えが止まらない手で緑に光るそれを押した。


「はっ!?」


 すると、勢いよくドアが閉まり、男の顔を挟んだ。

 男は不審な顔をしてドアを開けようとするが、開かない。

 それもそのはず、これはサツキが「もし敵が開いているドアから入ろうとしていたらどうしよう。ドアに手をかけて、力でこじ開けようとしてきたらどうしよう」という不安から生み出されたもの。人間の力に負けず、磁石のように閉まるようにしよう、と。

 一度も使わなかったそれが、今ここで生きるとは思わなかった。


 ナイフでボディに傷をつけたりと必死にドアを開けようとする男に注意しながら、助手席のグローブボックスを開ける。

 薬品班から受け取った白い箱と黒い箱。まだマルクには渡していなかった。

 躊躇なく二つを開け、中からそれぞれ薬を取り出す。


 息を荒くさせながら、片手で男の口を開ける。


「おい!」


 もう片方の手で錠剤を二つ持ち、男の口に放り投げ、ホルダーに入っていたペットボトルの水を少し口の中に入れて急いで男の口を閉じる。


 頭を振り、逃げようとする男の口から両手を離さない。

 必死に動いていた拍子に、男の喉がこくりと動いた。

 真っ青になりながら動きを止めた男に、呑み込んだことを確信したサツキはゆっくり両手を離す。


「はぁ」


 息を吐き、先程グローブボックスを開けた際に目にした箱を取り、開ける。

 それはマルクから貰った拳銃が入っていた箱で、隅に予備の弾丸が一つ入っている。

 覚えたての手つきで弾をセットし、男の眉間に銃口を当てる。

 真っ青だった男の顔が驚愕に変わる。サツキは目を瞑ろうとしたが、死は確認せねばならないと思い、目を細めながらかたかたと震える手で引き金を引いた。

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