第50話

 言われた場所に着いたので、その旨のメールをしようとケータイを開くと受信ボックスに一つ届いていた。

 マルクからのメールで、一言「くるな」とある。

 来るな。来てはいけなかったのか。

 人気がない路地は静まりかえっており、なんだか嫌な感じだ。

 来るなと言われたのなら来ない方がいい。もう既に到着してしまったのだが、立ち去るべくサイドブレーキを解除する。


「どうかしたんです?」

「ここから離れる」


 もっと早くにメールを見ればよかった。

 通知音が聞こえなかった。失態だ。

 その場を去ろうとハンドルを握りしめると、勢いよく扉が開く音がした。

 裏口のような扉から出て来た男はサツキにメールを送った張本人。

 ふらふらと千鳥足で歩くマルクはサツキの車に気付き、急ぐように足を動かした。

 怒られる覚悟でいよう。言いつけを破った償いとして助手席のドアを開けた。

 酒には強かった気がするが、何故真っ直ぐ歩いていないのだろうか。そんな疑問を抱いたが、よく見ると脇腹を押さえている。

 走りつかれたわけではないだろうし、もしかして怪我を負ったのか。


「サツキさん、あの人血が出てません?」


 新人の言葉を聞き、目を凝らしてみると脇腹を押さえている手が赤く染まっている。

 全身黒のスタイルなので血が服に染み付いていても目立たない。そのため出血していることに気付かなかった。

 手を貸した方がいいかと思ったが、鬼の形相をしているので躊躇ってしまう。

 なんとか助手席に乗り込んだマルクを確認し、ドアを閉める。


「早く出せ!」


 鬼の形相を超える表現が見当たらない。それくらい恐ろしい表情でサツキに声を上げた。

 切羽詰まっているマルクの指示に従うように、アクセルを踏もうと足を上げた時、目の前に多数の人間が走って現れた。

 左右、後方にも人が集まり、五十人はいるだろうか。

 いつの間にか包囲されていた。

 どこから出て来たのか。まさか見張られていたのか、待機していたのか。マルクを追いかけてきたのか。

 物騒な武器を構え、すべての銃口がサツキの愛車に向けられている。

 このまま撃ち込まれても車体を貫通することはない。

 しかしどうにかしなければ。


「ちょ、ちょっと、なんスかこれ」


 ひえっ、と身を小さくさせている新人を無視し、このまま前進しようか悩む。

 轢き殺すことに抵抗はないが、ボンネットの上にでも乗られると邪魔だ。前が見えずどこかに激突するかもしれない。

 背もたれに全身を預けて息を荒くするマルクを横目に、全方位を囲んでいる男たちをざっと確認する。

 位置的には問題ない。このくらいならば、いける。


 ぐったりと動かなくなったマルクをすぐにでも治療させたい。脇腹だけでなく他も負傷している箇所があるかもしれない。

 素早くマルクにシートベルトを装着させる。


「新人、シートベルトしてね」


 ぷるぷると震えながら手を伸ばし、カチっという音を立ててシートベルトをつけ終えた新人を無視し、足元にあるレバーを押し、レバーの角度を変えて再度押す。

 車の下から銃口が出て、車体が大きく揺れる程の衝撃を伴い弾丸が男の体に食い込む。

 銃が出ている車を「まるでムカデだ」と新人は頭の隅で思った。

 三百六十度、立っている男が全員その場に蹲ったのを確認してその場からすぐに去った。

 追撃の可能性を否定できないので目を血走らせて逃げる。


 ラボに医療班もいるので、ラボを目指す。

 このままマルクが死ねば自分はどうなるのだろう。来るな、と言われているのに行ってしまったから降格だろうか。殺されるだろうか。

 そういえばその辺のことを聞いていない。この場合、自分の過失となるのか。

 マルクに生きていてほしい。自分のためにも。


「やべえ、死ぬじゃん、絶対死ぬじゃん」


 それはマルクのことか新人自身のことか、顔を青くする新人に構う余裕はない。

 優しく新人に「大丈夫だから」「もう怖がらなくていいよ」「追ってこないから」などと声をかけることを露ほども考えずにただ事故が起きないよう注意してラボまでの道のりを走った。


 ラボの中に医療班があるといっても、ラボの主な役割は研究であって病院ではない。ラボの端にある扉からマルクの体を二人で支えながら入る。厳重なセキュリティがこの日ほど煩わしいと思ったことはない。

 身長と体格から支える前に重そうだと思っていたが、力の入っていないマルクは若い男女で運べるものではない。

 必死の形相で医療班まで連れていく。

 やはりというべきか、誰一人としてこちらを見ることなく我関せずとばかりにツンとしている。マルクの顔は下を向いており、端から見ても誰なのか分からない。

 「すみません」と声をかけるも気にかけてくれる人はいない。病人が訪れる場所だというのに無関心とはどういうことだ。

 さすがに憤る。


「ちょっと、マルクさんの治療をしないつもり!?」


 感情を露わにして怒鳴るサツキに、新人は「女って怖ぇ」と明後日の方を向いて誰に言うでもなく口にする。

 ぎり、と歯を食いしばって睨みつけるサツキの姿を視界に入れ、その場の者がいそいそと近寄ってくる。

 マルク、と名前を聞いて顔色を変えすっ飛んでくる白衣を着た人々に舌打ちをし、支えていた体を離す。


 傍に立てかけてあった担架を使い、マルクの体は運ばれて行く。

 サツキがすべきことは終わったので、上への報告をメールで済ませて新人を連れてその場を立ち去った。

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