第20話
マルクが遠征に行った。
どうやら遠征は好きではないようで、物騒な言葉を口にしながらサツキの元を離れた。最低でも一週間は戻ってこないらしく、サツキはその間メインの仕事をすることになった。が、仕事がこない。サブやメインを働かせ、残った仕事が専属にまわってくると聞いていた。今回の仕分けにより、運転手が減るだろうと予想していた上が新入りを積極的に引き入れたらしく、その新入りたちが最近サブに昇格して働いてくれているようだ。
仕事がないと楽だが、暇だ。エリア探索は一通り終え、気分転換にドライブするくらいで事足りるようになった。
休日が暇になったサツキは、先日マルクに貰った財布を情報部に渡そうと思い立ち、普段仕事で使う黒の軽自動車ではなく、紺の普通車で向かった。たまには他の車も運転しなければ。
サツキが所属している会社は規模が大きく、国内外を合わせ社員は余裕で千人を超える。
部署ごとに建物があり、情報部の表向きはIT企業としている。
さほど大きくない建物に入ると受付の女性が二人頭を下げたのでサツキも返す。そのまま受付を通り過ぎてエレベーターで四階に上がる。
情報部に知り合いは少ない。というか、殺し屋以外と仕事をする時がそれほどないので、他職種との関わりが薄く、故に知り合いもいない。
こうした財布や、使えそうなものを届け出るか、偶にチャイルと仕事で関わるくらいだ。
「すみません、届け出に来たんですけど」
カウンターで声をかけると、気づいた男性が人の良さそうな笑顔で近寄った。
「これです」
財布を差し出すと、男性は入っているカードを一通り見て礼を言った。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「サツキです」
「サツキさん…失礼ですが、ご職業は?」
「運転手です」
そう言った瞬間、カウンターの向こう側で仕事をしていた人たちが一斉にサツキを見た。
驚いた顔で見た後、ひそひそと小声で話し合う。なんだか感じが悪いなと思い、早めに去ろうと扉へ向かうも、後ろから「待ってください!」と声をかけられた。
対応してくれた男性が、手を前に出しサツキを掴もうとしている。カウンターの向こうにいるので当然掴めないが、それほどに待ってほしいと思っているのだろう。
何か用があるのかと思い、カウンターに戻る。
「何か?」
「あぁ、いえ。幹部の専属運転手さんが来られるのは珍しいので、同僚が騒いでしまったようです」
「そ、そうですか」
「えぇ、あと、もしかしたらご存じかもしれませんが」
縮こまって小声で話す男性に思わず顔を近づける。
「最近、鼠が紛れ込んでいるみたいです。お気を付けください」
「鼠?」
「はい。弊社のシステムに侵入した痕跡を発見しまして、上との話し合いや幹部会議での結果、社内に紛れ込んでいると判断されました。マルクさんから聞いていませんか?」
ひそっと内緒話をするように男がサツキに耳打ちする。
あの男、こういう大事なことを何故言わないんだ。
口元が引き攣りそうになるのを抑える。
運転手はほとんど行動を共にする相棒である。それなのに何故、何も言わずに遠征に行くのだ。
マルクが遠征に行っている間、メインの仕事も行う。鼠のことを知っていたら注意して仕事に取り組むというのに。
「社内に一匹いる、ということだけ分かっているのですか?」
「詳細は確認中ですが、一匹いるのは間違いありません」
情報部が断言するのだから、一匹は必ずいるのだろう。
一般市民を守ることを盾に悪と見なす者を力の限り踏み潰す団体か、或いはこの会社と似たような組織か。どちらにせよ、敵であることに変わりない。侵入だけをしたわけではないだろうから、侵入して何らかの情報を掠め取った。一大事だと思うが、通達は何もない。既に息の根を止めたのなら、情報部の男が「お気を付けください」と注意するはずがない。よって、まだ紛れ込んでいるということになるが、何の通達も命令もないということは、放っておいても問題ないと判断されたか、処理の準備が整い、百パーセント葬る自信があるからなのか。
目の前の男の言う通り、気をつけておくが、それほど気にすることでもないのだろう。
「気をつけます。ありがとうございました」
「いえ、何かあればいつでもいらしてください」
「そうさせて頂きます」
男の後ろでひそひそと話していた情報部の人間を最後に見た後、踵を翻して建物から出る。
陰口を言われているようで気分は良くなかったが、時折聞こえた「あのマルクの...?」「どうせすぐ殺されるわよ」「ここに来たのはもしかしてマルクの命令か?」「一か月後には死体になって研究部行きに決まってる」との声により、歓迎されていないのは自分ではなくマルクなのだと納得した。
情報部だから様々な噂を聞いているのだろう。恐らく良い噂がないであろうマルク。その運転手が突然やって来たのだから、驚くのも無理はない。
サツキにとって、マルクは情報を寄こさない短気男であるが、噂される程のゴミクズ野郎ではない。
行動を共にするようになってから日は浅いので深くは知らないが、最初の抱いた印象が自分の中で少しずつマシになっていくのを感じている。
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