第13話
「なんてな」
マルクは表情を変えず、軽い声を出す。
空砲だった。
本気で死ぬかと思っていたサツキは冷や汗が止まらない。背中はぐっしょりと汗で濡れている。
怯えていたことを悟られたくはなく、平然な顔をして余裕を作る。
「面白くねえな」
何の反応もしなかったサツキに、つまらないと言い放つ。
趣味が悪い。
今、自分は遊ばれている。
常に死と隣合わせであるが、その死を弄ぶような輩とこの先も仕事をしなければならない。前任はよく耐えたと思う。
「女だからどんな使えねえ奴かと思ったが、まあまあ使えるな」
男女差別はどこの世界にもある。
イラっとしたが、一応褒めてくれているようなので礼を言っておく。
この先相棒として続くならば、関係性は良好であるべきだ。無駄な言い争いや険悪な雰囲気になるのは避けたい。
後方、前方、左右と追跡車を確認するが、追手はない。
射貫くような視線も感じられない。
敵がいないことを確信し、肩の力を抜く。
メインのときにはあまりなかったスリルだ。それが専属になってすぐにあるなんて、給料が多いわけだ。
「明日の夜も迎えに来い」
仕事のようだ。
周辺を警戒しつつ、マルクの言う場所で車を停めて降ろした。
礼は言わず、去っていくマルクの背中を見つめ、自分の肩を軽く叩く。
緊張して力が入っていたようだ。
可愛い顔してとんだ狂人だと愚痴をこぼす。
帰宅後、靴を脱ぎ散らかし、シャワーを浴びてベッドにダイブする。
疲れが一気に襲いかかり、夢の世界に突入した。
夢から覚めたのは、ケータイの着信音が鳴ったときだった。
電話がかかってきたので、寝起きの掠れた声で出る。
「はい」
『今から来い』
「…は?」
電話はすぐに切れ、その後にメールが届いた。場所が指定されている。
かかった電話もメールの送り主も、マルクからだった。
用件を言われていなかったため、ただの送迎なのか殺しなのか判断ができず、取り敢えず緊急の場合を考えて急いで家を出る。
寝ぼけた頭を覚ますように、顔を拭いてから車を発進させる。
万が一に備えて、車には色々なものを入れている。
目が覚めるようなガムを食べ、腕時計を見ると朝の五時だった。
普段より外が明るいはずだ。どうせなら夜に呼んでほしい。
洗濯していない昨日と同じ服で目的地まで向かう。
車に乗り込んできた男から酒の匂いがした。
まさか千鳥足だから家まで送れと、そういうことではないだろうな。
「Y901の公衆トイレに行け」
サツキは記憶の意図を手繰り寄せ、そのトイレを探す。
山道へ繋がる道の傍にある、公衆トイレ。そのことだろう。
目星をつけ、アクセルを踏む。
まさかトイレで用を足して帰宅するつもりか。
職業は運転手なので拒むことはしないが、あくまでも仕事でありプライベートの足にまでなるつもりはない。しかし、給料の高さから言って、それも含まれているのだろう。
「クソ、なんで朝から」
苛立ちながら文句を言うマルク。
ただ用を足すだけではないようだった。仕事か。
詳細を聞いてもどうせ教えてはくれないだろう。サツキはただ運ぶだけが仕事だ。
「はぁ。クソだりぃ」
サツキが何かを言えば、噛みついてくるだろう。
黙っているのが吉だ。
「おい、女」
「はい」
昨日名前を教えたにも拘わらず、女と呼ばれる。
幹部といえども、記憶力は乏しいようだ。
「お前、何年目だ」
「四年目です」
「前職は?」
「普通のOLです」
途端に始まった質問は、苛立ちを少しでも収めたいと思っているからか。それともただの暇つぶしか。
「OLがなんで運転手なんてやってんだ」
「前職の環境が悪かったので転職先を探していたら、ここの給料が良かったので決めました」
「ここの環境は悪くないのか?」
「はい」
メインで働いているときは、多くて週四勤務。それも月に一回あるかないか。
前職より休みがある上に、給料も天と地の差。前職の事務仕事ではミスが多く、上司にも取引先にも嫌な顔をされていたが、この職に就いてから失敗は少ない。向いているのだと自分でも思う。
初日とは違いマルクはよく喋る。
あれは何だったのだと思う程、サツキに次から次へと質問をする。
端的に答えていると、マルクの言う公衆トイレに到着した。
掃除がされていないのか、壁が黒ずんでいる。
政治家の脂肪に使うのではなく、税金はこういうところに使うべきだ。
マルクは助手席から降りると、公衆トイレの中へ入って行った。
家のトイレを使えよと思うが、水道代を気にしているのかもしれない。恐らく運転手よりもずっと稼いでいるだろうに、ケチなのか。金持ち程ケチだと噂で聞いたことがあるが、人殺しをする男が水道代を気にするなんて、恰好悪いな。
そんなことを思っていると、トイレの中から銃声がした。
「えっ」
何だ、今の音は。銃声なのは分かるが、マルクが撃ったのか撃たれたのか。
車を降りるかどうか考えたが、待機を続行した。
誰かとやり合っているのなら、その誰かがいるはずだ。一人とは限らない。周囲に仲間が潜んでいるかと、意識を集中させて気配を探る。
ただの運転手に殺人鬼の気配など簡単には探れない。
人の気配はないようだが、過信してはいけない。
いつでも発進できるよう、準備を整える。
公衆トイレから、人の気配がした。
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