第8話
「記憶力、磨いた方がいいよ」
「メールを一瞬で覚えるためですよね。でも、もし覚えられなくても、また送ってもらえれば…」
「ここは企業じゃないの。何のためにすぐ消えると思ってるの?同じことを二度も三度も教えてくれないよ」
「で、でも、すぐに記憶できない人もいますよね?そういう人はどうやってるんですか?」
誰だ、こんな女を引き入れた奴は。
そんな甘い事がこの世界で通用すると本気で思っているのか。
光の当たらない世界で表の常識が通用するわけがないだろうに。
「すぐに記憶できない奴は仕事を与えられないよ。それが続くと仕事ができない奴だと認定されて、殺されて終わり」
「こ、ころ…」
「当然でしょ。使えない人間を放置しておくほど優しくないんだから」
青ざめる女性を横目に、ため息を吐く。
この世界は運転手ですら人手不足だ。人手が欲しいのは分かるが、使えない人間を引き入れるのは違うのではないか。
この女、すぐに死にそうだ。
「死にたくなかったら、死ぬ気で頑張りな。できない、っていうのは殺してくださいと言っているようなものだからね」
常に死と隣り合わせ。
死にたくないから血の涙を流して頑張る。
「仕事ができない奴、逃げる奴、従わない奴は殺されるから、気をつけて」
涙目になり怯えている。誰も教えてあげなかったのだろうか。
ホワイト企業のように、「一緒に頑張ろうね」「残業ないから」「給料良いよ」とか、そんなことばかり言われたのだろうか。
「それで、あの、仕事ってどんな感じですか?」
恐る恐る聞いてくる女性に、本当に何も聞かなかったのだと呆れてしまう。
「暗殺者の送迎。ただ車を走らせるだけじゃなく、尾行がないか、視線がないか、同じ人間を何度も目にしていないか、そういうことも注意するの」
「でも、分からないですそんなの」
「最初はそりゃあ分からないけど、慣れるしかない。少しでも変だなと思ったら、上に連絡を入れて。自分で判断しないこと」
「でも、もし気のせいだったら、上の手を煩わせてしまったことで殺されてしまいませんか?」
先程殺される話をしたからか、そこが気になるようだった。
「そこまでブラックじゃないよ、うち。大きな失敗さえしなければ、殺されることはない。気のせいじゃなかった場合を考えて行動するの」
「な、なるほど」
メモをとらないのは偉い。
紙に書いて残すなんて馬鹿な真似をしないところは褒めるべき部分だ。
「あの、どうしてこの仕事を選んだのですか?一般人だったんですよね?」
「給料が良かったから」
「…それだけですか?」
「お金は大事でしょう。それに、自分では天職だと思うから」
「暗殺者の送迎がですか?罪悪感とかないですか?」
「ないね。知らない人間がどこで死のうが私に関係ないし。殺すのは私じゃないし」
冷たいだろうか。でも、このくらいでなければ、この世界で生きていけない。
「暗殺者のことどう思いますか?人殺しだ、って嫌っていますか?」
「別に。私が傷つけられたわけじゃないし。ストレートな物言いをするから分かりやすくて、前の職場の上司たちよりは断然に良いかな」
じっと見つめられて居心地が悪い。
「もしかして綺麗事を求めていたの?」
「他の運転手の方は、その綺麗事を言っていましたので…」
「ふうん。じゃあそいつ向いてないね。いつか死ぬんじゃないの?」
車内で喋りながら運転をしていると、そろそろ目的地だ。
夜道を走り、腕時計を見ると約束の時間を五分過ぎていた。ゆっくりしすぎた。
待たされたことに対して怒る輩だろうか。
今回乗車する予定の暗殺者は見覚えがない人間だった。他エリアを中心にしているのか、記憶にはない。
目的地の傍まで行くと、男が一人立っていた。
あれだ。
そう思ってブレーキをかけようとアクセルから足を離したが、違和感に気付き、浮かせていた足をアクセルに戻す。
「あ、あの。目的地を通り過ぎましたよ」
「そうだね」
ラジオの音を消し、電話をかける。
『なんだ』
「サツキです。待ち合わせ場所に向かったのですが、別人が立っていました。どういうことでしょうか」
『別人?顔をよく確認したのか』
「はい。確かに写真と似ていますが、耳の形が違います。変装マスクはNGですよね。あれは恐らく、変装マスクを被った別人かと」
『なるほど、こちらで調べよう。今日はもう中止だ、帰れ』
「はい」
電話を切り、本日何度目かのため息を吐く。
給料、払われないな。
教育を少ししただけで、無賃金だ。
「あの、ショック受けていますか?」
「いや、別に」
「….もしかして、お金のことですか?」
「よく分かったね。そう、今日はきっと無給」
くそったれ。
苛つきを隠さず舌打ちをすると、女性は苦笑した。
女性の家の前で車を停め、帰宅した。
最近はついてない。
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