第5話

 仕事当日、いつもと同じ型のスーツを身に纏い、全身鏡でチェックする。

 こけしのように切りそろえている黒髪は、重い印象を与える。前髪が目にかかり、鬱陶しいが顔を隠すにはこれくらいでいい。何もおかしいところがないことを確認して、玄関の鍵を閉めた。

 仕事に化粧をしていくことは少ない。上から指示された内容に、メイクは含まれていなかった。運転手は変装不要ということだろう。


 車のキーをポケットで触りながらアパートの階段をおりて、車に乗り込む。

 キーを入れた反対側のポケットからケータイを取り出し、メールを打ち込む。


 ――車に乗り込む前に、視線がありました。監視されているようです。


 何かあればサポートしてくれる仲間にメールをすると、五秒もせずに「り」という文字だけ送られてきた。このまま待機ということだろうか。誰の視線かもわからず、少し恐怖したサツキに電話の着信音が届いた。

 ケータイを耳に当てると、子どものような可愛い声で「サツだ」と聞こえた。

 まさか一昨日の警察が張り込んでいたのか、と舌打ちをした。


『駐車場を出てすぐ左に車が止まっている。サツの車だ。そこからでは死角になっているから見えないだろう』

「はい。しかし、警察相手だと撒くのに時間がかかります。待ち合わせは十時なのですが」


 腕時計を見ると、今から出て丁度待ち合わせ場所に着く時間だ。警察を撒くには時間がかかり、遅刻してしまう。


『少し待て』


 小学生のような可愛らしい声でそう言うと、カチャカチャとキーボードを叩くような音が聞こえた。

 サツキは黙って待つ。


『そのまま出発して構わない。とりあえずTA100の道路に行け。どうやら事故って渋滞中のようだ。そこで撒く。こちらが誘導する』

「ありがとうございます」


 一体この電話の相手が何歳か分からないが、口調からして声を変えた男かもしれないし、本当に小学生の女の子かもしれない。

 しかし、優秀であることはエリア内のお仲間は誰もが知っているだろう。

 サツキより給料が良いのは確実だ。


 サツキはエンジンをかけ、警察の人間と目を合わせることなく駐車場を出た。


『渋滞の前にサツとの間に車を何台か入れておけ』

「はい」


 警察も、ぴったり後ろをキープするつもりはないだろう。悟らせたくないはずだ。

 目的の道路に入る前に、四台程車を入れた。


『あとは分かるな?』

「はい、抜け道に入って撒きます」

『今日の仕事相手は三人のようだな。こいつらにはこちらから遅れる旨を伝えておこう』

「助かります」


 ブツッという音とともに会話は終了し、ケータイを閉じて頭の中でこの先の展開を描く。

 この先にある抜け道に入れば後ろの四台が邪魔をしてくれ、すぐには追ってこられないだろう。しかし、警察が応援の連絡を入れていたらどうだろう。その応援車に後をつけられるのではないか。そう考えたが、チャイルが何も言わずに電話を切ったということは信用してもいいのだろうか。

 不安になったサツキはチャイルにメールを入れ、確認する。返信を見て安堵し、撒けば終わりと確信してハンドルを握りなおした。


 トップや幹部が誰なのか、詳しいことは分からないが、その幹部の一人がチャイルではないかと推測している。声は女児だが、言葉に威厳を感じる。しかし、幹部がこんな下っ端に指示を出すだろうかと考えると、幹部らしい役を演じているだけなのかもしれない。


 渋滞が少し動き、左に抜け道がきたところでウインカーを出し、するりと渋滞を抜けた。

 後ろから追ってくる気配はないが、念のため少しスピードを出して目的地に向かった。


 幽霊でも出そうな倉庫の前に車を止めると、助手席と後方の扉合わせて三つのドアが開かれた。


「おっせー」

「すみません、遅れました」


 助手席にはロン毛の男、後部座席にはサングラスをかけてフードを被った男、その隣にはポニーテールの女。性別が合っているかは不明だ。


「サツに尾行されたんだってね」

「はい、予定より十五分も遅れてしまいました」


 女は責めるでもない、興味もない、そんな口調で話しかけてきた。

 サツキは予定の時間が狂ったことを申し訳なく思い、車を発進した。


「まあ俺らもさっき来たし、問題ねえだろ。なァ?」

「それよりも、よくサツがいると気づいたな…」


 よく喋るサングラスに、どちらかというと寡黙なロン毛。

 何度か見た顔だが、相変わらず個性が強い。


 サツキのいた場所からは見えなかったが、警察がいた場所からはサツキが見えたのだろう。死角は嫌いだ、と顔を歪めた。


「視線には慣れていますので。それに、このくらい気づけないと運転手なんてできません」

「良い運転手だなァ」


 感情はこもっていないが、褒められたことに悪い気はしなかった。


「つか例の集団の何人殺すんだったか?」

「二十くらいじゃなかった?」

「そう聞いている」


 三人の会話を聞くつもりはないのだが、耳に入ってくるので仕方ない。

運転手には、殺しの仕事内容までは分からない。誰を送迎してどこに行くのか。その情報くらいしか教えてもらえない。


「おい、勝負しようぜ。どっちが多く殺せるか」

「勝負、好きじゃない」

「うちも嫌い」

「いいじゃねえか、ただ殺すより楽しみがあるだろうが」

「殺すことは、楽しい」

「こいつイってやがる」


 お前もだよ、とは言えない。

 お喋りのおかげで今日の仕事がなんとなく見えてきた。

 例の集団の溜まり場を狙撃するようだ。なるほど、ゴルフバックは狙撃の銃でも入っているのか。


 夜の道を走り、街灯が少ない通りで車を止めた。


「着きました」

「よっしゃ、行くぜ」

「十五分のロスがあるので、最初に予定された時間よりも十五分遅く迎えに参ります」

「そんなに遅くならねえよ」


 それもそうだろう。腕の良い殺し屋が三人もいるのだから。それでも、遅刻した罪悪感があるサツキは、「早めに終わりましたら、連絡を入れてください」と言い、時間を潰すため、ドライブに出かけた。


 先程の三人はサツキが運転手をしている間に得た情報だと、凄腕と評判だった。また、たまに協力を要請したときにチャイルから三人の評価をなんとなく聞いた覚えがあった。直接的に褒めてはいないが、腕を信用していた。

 そんな凄腕に冗談でも誉め言葉がもらえた。素直に嬉しかった。



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