第4話
「結婚したのよ、こっちの人とね。見合い結婚だったんだけど、仕事も辞めていいっていうし、さっさと辞めて旦那について来たの。ピイは?」
「私は管理人をやってるよ。知り合いの伝手でね」
「そうなんだ。まあでもピイが辞めた時は驚かなかったな。上司最悪だったもんねー」
「精神的にきつかったな」
辞めた理由はそれだけではなかったが、それを他人に話す程愚かではない。
サツキは珈琲を飲み終わると、「そろそろ行かないといけないから」と言い、帰ることをほのめかした。
「あぁ、そうなんだ。もうちょっと喋りたかったな」
「ごめんね、最近色々あって忙しくって」
「また会おうよ!」
「うん、時間が合えば!」
そんな気はさらさらないが、話だけは合わせなければ、余計な違和感が残ってしまう。
笑顔を貼り付けてその場を後にし、溜まっていた息を吐き出した。
知り合いがいるというのは、サツキを不安にさせる。
もし何らかの拍子で自分の職業がどこかにバレたなら、サツキは破滅する。上に始末されるか、それとも刑務所行きか。恐らく前者だろう。サツキが情報を漏らす危険があるため、刑務所へ入れられる前に消される。そんなところだろうと、予想している。
そのため、有能な運転手という認識をされたい。運転手は替えがきく。自分を殺すには惜しいと思わせたい。今のサツキはそれを目標にして仕事をしている。
自分が消えれば自分のいたところにサブの誰かが入るだろう。そしてそのサブがメインになったとしても、誰も何も思わない。サツキはどこに行ったの、なんて言われることもなく、まるでサツキがいなかったかのように時が過ぎる。それは寂しい。
仕事相手から信頼されるような、指名制が存在したなら指名がたくさんくるような、そんな運転手になりたい。
他の運転手のことを知らないので、どんな運転をしているのか気になるところだが、プライベートでの接近は厳禁。しかもメインの運転手と仕事なんてしたことがない。
自分の腕に自信がないわけではない。クレームを言われたことはないし、捕まったこともない。ただ、他の人間の仕事ぶりを見てみたかった。同業が気になるのは当然のことである。
車は私用で使えないため、重い荷物を両手で持って歩いて帰る。
デパートに近いところに住めたら、買い物も楽にできるのだがそんなことを上に言える度胸はない。上が用意した、閑散とした場所に立っている古いアパートで我慢するしかないのだ。
重い重いと思いながら人通りの少ない道を歩いていると、「すみません」と声をかけられた。人気のない場所にはサツキ以外おらず、声のした後方を振り返る。
「今お時間よろしいですか?」
「はい」
「昨夜の事件について聞き込みをしているんですけど」
スーツを着た男性二人が警察手帳を見せながらサツキに声をかけてきた。
昨夜と聞いて思い出すのはリースの送迎。しかし現場はこの辺りではない。昨夜あった事件でこの辺りとなると、思い当たるのは一つだけ。
「もしかして、例の集団の...?」
「えぇ、国内へ侵入してきたとニュースになっていますよね。その集団が、昨夜この近辺で殺人を犯したことも、ご存じですか」
「はい。先程買い物の途中で店員さんに伺いました」
今朝のニュースで大きく取り上げていたが、昼に起きたサツキはそのことを知らず、買い物の途中に店員と世間話をしたときに知った。仕事が忙しくなりそうだと確信した。
「ところで、どちらにお住まいですか?」
四十代くらいの男が鋭い目で尋ねた。
ただの聞き込みにしては随分と怖い目で見つめている。隣にいる三十代くらいの若者の顔は世間話でもしてきそうな表情の柔らかさだ。
「ここから歩いて三十分くらいのところですけど」
「なるほど。随分とたくさん買われたんですね、失礼ですが職業は?」
本当に失礼な男だ。
まだ三十にもなっていないサツキが、たくさん買える程の金があるのか。妙に思ったのだろう。しかしブランドのことは男には分かるまい。これが総額いくらくらいするのか、分からないだろう。どのブランドがどれだけ高いのか、そういったことには疎いはずだ。
「管理人をしてますけど」
「昨夜はどこにいらっしゃいましたか?」
その質問に眉を寄せた。
まさか自分を疑っているのか。しかし、ここを通りがかっただけで、疑うものなのか。
怪しんでいると若い男が間に入り、頭を下げた。
「すみません、仕事でして。ただ、近辺で殺人があったので住民の方たちはこの辺りを警戒して、通る人なんていないんですよ。なので、貴女が目立ってしまって」
「あぁ、そうなんですね。でも、同じ場所で殺人なんてしないだろうし、大丈夫かなと思って。あと、昨夜は家にいましたよ」
「なるほど、ありがとうございました」
すんなり解放してもらい、サツキは会釈をして家に帰った。
家に帰るとメールが届いたようで、荷物を置いてケータイを開いた。
どうやら次の仕事が決まったらしく、詳細が送られていた。
次の仕事は明後日、午後十時に三人を乗せる。三人の名前はどれも覚えがあるもので、顔写真は不要だ。
仕事はいつも急に入るため、先の予定は組めない。遊ぶ友達もいないのだから、予定を組むこともないから関係はない。
明日は一日中家にいよう。食料も買いためているし、一日中ゴロゴロしよう。
そう決めて、買った化粧品を袋から出し、メイクショーを始めたところでガソリンを注いでいないことを思い出し、憂鬱な気分で車の鍵を持って家を出た。
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