第37話

 リョウはカナが医療班に運ばれると、仕事を続行させた。

 ラボの駐車場に車を停めると、偶然ワタリに会った。どうやら煙草を吸っていたようで、手が空いているなら手伝ってくれと頼み、二人でリシの死体を運んだ。

 情報を入力した後、カナがいるであろう医療班の元へ寄るためワタリと別れた。

 医療班に向かうと、ぶすっとした愛想のない看護師の顔ばかりが並んでおり、一番近くにいた看護師に声をかけてカナの元へ案内してもらった。

 ちらちらとリョウの顔を気にしながら仕事に戻る看護師には目もくれず、寝ているカナの傍に置いてある椅子に腰かけた。

 すぅすぅ、と寝息を立てているカナは生きている。

 よかったと心の底から安堵した。

 ほっと胸を撫で下ろしている自分に気付き、自分はおかしくなったようだと苦く笑った。

 寝ているこの女は自分を殺そうと両手を伸ばしたために、こんな様になっている。

 自業自得だと笑う心はなかった。

 それがすこぶる妙だった。

 命を脅かす人間を心配する程、お人好しではない。そんな善意は欠片も持ち合わせていないと自覚している。そんなものを持っていたら、こんな仕事を続けていない。

 ならばこれは、一体何なのか。

 カナを家族のように思っているのだろうか。いや、妹がいたらこんな感じかと考えたことは一度だってない。

 可愛い後輩なのは否定しないが、カナではない別の女がパートナーだったとして、その女が殺そうとしてきたとして、自分は放置しておくだろうか。そんなことはしない。きっとすぐにパートナーの変更を申し出るだろう。

 ならば何故、カナをそのままにしているのだ。

 そんなもの、答えは一つだ。

 嫌じゃないから。だから傍に置いている。

 頭がおかしくなった。殺害を企んでいる女を嫌じゃないなんて、頭がいかれている。


「はぁ」


 カナの寝顔を眺めながら、つい溜息が出る。

 腕時計の針は、もう日が昇ったことを知らせていた。

 長い時間カナの傍にいたらしい。

 昼になるまではここにいよう。カナが目覚めるかもしれない。


「リョウ」


 背後から声をかけられ、振り向くとワタリが立っていた。


「一人ですか?」

「あぁ、あいつは休憩室で休んでるぜ」


 あいつ、とはワタリのパートナーだ。


「もう仕事終わっただろ。帰れよ」

「いえ、心配なのでもう少しここにいます」

「あのリョウが女の心配とはな」

「失礼ですね、僕を何だと思ってるんですか」

「蠅が群がるイケメン」

「僕だって心配くらいしますよ」


 リョウの横顔はワタリが見たことのないものだった。

 心配している顔だ。

 そんな顔を今まで女にしたことがあっただろうか。

 カナがリョウのパートナーになる前も、当然女と組んでいた。その女はリョウのことを大層気に入っていたが、リョウは見向きもしなかった。事務的なこと以外話すことはなかったが、女は負けじとリョウにくっ付いて話しかけていた。それはワタリだけでなく、ほとんどの同僚が知っていることだ。あの女にはそんな顔を見せなかったくせに、今のパートナーにはするのだな。

 ワタリはにやっと笑った。


「おいおい、まさか惚れちまったのか?」


 リョウの肩をぽんと叩くと、リョウは口を開けてワタリを見上げた。


「は?」

「俺はこいつのことよく知らねえが、お前みたいな奴は素直に感情ぶつける女が合ってるのかもな。俺はまったくタイプじゃないが」

「惚れてる…?」


 ワタリは驚くリョウに笑いながら話しかけるが、リョウには届いていない。

 惚れている。

 そんな思考になったことはない。

 今初めて、恋愛という単語がリョウの中へ入ってきた。

 するとどうだ。今までの自分の行動や気持ちが一本の線で繋がった。

 あれも、それも、これも、カナに好意を抱いていると考えたら全部辻褄が合い、言い訳ができない。

 嘘だろう。

 ワタリに言われて気づくとは思わなかったし、何より自分がカナに対して恋心を抱いているなんて夢にも思わなかった。

 あのカナだ。毒殺を企み、階段から突き落とそうとしてきた女だ。死体の首をチェーンソーで切断し、部屋に飾るような女だ。そんな女の、一体どこに惹かれたのかと自問自答をするが答えは出てこない。

 これを恋でないと否定したいところだが、肯定するとすべてが納得できる。

 どうして気づかなかったのだろう、と考えて、気づきたくなかったからだとすぐに自答した。

 命を狙う機会を窺っている狂人を好きだなんて、認めたくない。そこまで頭がおかしくなったつもりはない。

 恋、と自覚してしまえばもうそれ以外何も考えられなかった。

 その証拠に、とくとくと鼓動が自身でも分かるくらいに高鳴っている。

 やっと自覚したか、と心臓が笑っているようだった。

 頭に手を当てて項垂れる。


「その反応は図星だろ。さっさと恋人になっちまえよ」


 馬鹿を言うな。

 恋人になる前に「私のことが好きなら死んでください!」と言われて、殺されてしまう。

 それは困る。

 死んで傍にいるよりも、生きて傍にいたいものだ。そう思ったら顔が熱くなった。

 これは仕方がないことだ。だってそうだろう。誰だって自分の感情を、ましてや恋愛感情をコントロールできない。今から好きになるのをやめる、と頭で決めても感情が追い付いて来ない。熱が冷めるのを待つ以外、どうにもできないのだ。


「なんか悩んでるのか?あ、公私混同をしたくないっていうなら、相方を変えるのもありだと思うぜ」

「いえ、変えようとは思っていません」


 公私混同をしたくはない、するつもりもない。だけどカナと離れるつもりもない。

 パートナーを変える、とカナを脅したことはあるがカナが止めるだろうという自信があったし、本気ではなかった。


「いつ死ぬか分かんねえ仕事してんだからよ、早めに言ってやれ」


 リョウの肩を二度叩くと、ワタリは背を向けたが足は進まなかった。


「お、お疲れ様です」


 ワタリの挨拶を聞いて振り返ると、そこには両手を後ろで組んでいる幹部が立っていた。

 リョウが立ち上がって挨拶をすると、幹部は鼻で笑った。


「話がある」


 リョウを見ながらくいっと顎で「ついて来い」と命令した。

 「はい」と短く返事をすると、ワタリと寝ているカナを置いて幹部の後ろをついて行った。


「お、おい」


 ワタリは小声でリョウに呼びかけるも、扉から出て行ったリョウには聞こえていない。ワタリは髪をくしゃっと触ると、足音を消してリョウを追った。

 幹部がリョウの前を歩き、「応接室で話そうか」と言った。

 二人はエレベーターに乗るため待っている。エレベーターに三人で乗るような鋼の心臓は、ワタリになかった。

 このまま帰ろうかと思ったが、相方の女が血相を変えて飛んできた。よく場所が分かったな、と感心しそうになったが、はぁはぁと息が上がっているので探し回ったのだろう。


「わ、ワタリさん!」

「おう、すまんな。何かあったか?」

「た、た、大変です!」


 カナと同い年くらいだが、カナより大人びている雰囲気を纏っている。


「り、リシの死体をミールが安置室から取り出して、姿を消したそうです」

「そっ…れは、まずいな」


 驚愕したのと同時に、リョウが呼び出された理由を察した。

 リシの死体を運んだのはリョウだ。ワタリも手伝ったが、現場から運んだのはリョウである。

 面倒なことになった。


「ミール、どうして…」

「泣くな泣くな。今日はもう帰って休め、な?」

「はい…。ワタリさんは?」

「俺はちょっと用があるから、まだ残る。気をつけて帰れよ」

「はい。お先に失礼します」


 瞳からは今にも涙が溢れそうだった。

 どうにも心根が優しく、同情してしまうようだ。

 ミールと仲が良かったのもあるのだろう。まだまだ若い。

 カナが起きていたら、このことを知らせた方がいいだろう。起きていないかもしれないが、念のためだ。

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