第36話
暗殺班が活発に動いていないのか、リョウは労働時間が減ったことを実感しながら、今日初めての死体の顔を暗闇の中確認した。リョウは死体を運ぶ前、必ず死体の顔を確認するようにしている。この日も同様に、覗き込むと見知った顔がそこにあった。同じ回収班の男で、リシという。スーツ姿のリシは首から多量の血が流れていた。死体はリシのみで疑問に思い、リシのパートナーに電話をかけるがコール音がするだけで女は電話に出ない。何らかのトラブルが発生し、電話に出られる状況ではないのかもしれない。
「カナさん、運びましょう」
「はい。何かあったんですか?」
死体を確認するなり電話をかけたリョウを不思議に思ったカナが訊ねた。
「彼のパートナーに連絡をしたのですが、出ないので。先に運びましょう」
「パートナー?この男、仲間ですか?」
「リシといいます」
「へえ、女は逃げたんですかね」
「トラブルに巻き込まれたのかもしれません」
「えっ、どうするんですか?」
「ですから、死体を運びましょう」
「その女は助けないんですか?」
「我々の仕事は死体を運ぶことですよ。運び終わったらもう一度連絡をとってみましょう」
仲間の危機は後回し。
仕事優先に異議はなく、カナは頷いた。
同僚がどうなろうと知ったことではない。
カナが優先するのはリョウの指示だった。
カナが腕時計を確認すると午前三時。この後に仕事の連絡は入らないだろう。恐らくこの死体を運べば帰れる。
ちょっとくらいのんびりしてもいいだろう。
カナは車の横で深呼吸し、夜空を見上げた。
小さな白い点が三つある。星と呼ぶにはあまりにも輝きがない。
後方を振り返ると、道が途切れていた。
近づいてみると、長い階段が下へ伸びていた。広い階段には真ん中に手すりがあるものだが、ここには見当たらない。
下の方は暗くてよく見えない。道路のようにも見えるし小さな公園のようにも見える。
ここから落ちたら重症だろう。
そう考えて、思いついた。
カナが振り返ると、リョウがこちらを見ていた。
「先輩、来てください」
手招きすると、リョウは躊躇なくカナに近づいた。
「カナさん、そろそろ行きますよ」
革靴が音を立てて、カナの隣で止まる。
カナは下を指さした。
「あれ、何ですかね?」
「あれ、とは?」
カナが階段を一段降りる。
「ほら、あれですよ」
カナが指す先に視線をやるが、階段があるだけだ。
リョウは眉を寄せ、階段を数段降りた。
「何です?」
「あれですよ、あれ。見えませんか?」
リョウは目を凝らすが、やはり何もない。
ポケットから携帯を取り出し、明かりを出すがやはり何もない。
カナはその様子を後ろでほくそ笑み、両手を前に突き出した。
そのまま両手を勢いよくリョウの背中に押し当てようとする途中、リョウは「何もありませんけど」と言って振り向いた。
迫る両手が視界に入り、咄嗟にリョウは身体を動かした。
カナの両手は空振り、リョウには届かなかった。まさか避けられるとは思っていなかったカナは、そのまま前のめりになる。
リョウはカナと目が合い、慌てて手を伸ばしたがカナが落ちるスピードの方が速く、カナの体は転がり落ちていった。
どさどさと転がっていくカナを追いかける。
「カナさん!」
階段の下へ転がり落ちると、漸くカナの動きは止まった。
立ち上がりもせず横たわったままのカナに駆け寄り、声をかけるが返事はない。
目は開いているようで、瞬きをしている。死んではいなかった。
リョウは携帯を取り出して医療班に電話をしたあと、携帯の光をカナに向けた。
状態はあまり良くはない。頭から出血し、顔は擦れている。腕や足も痛みがあるようで、顔は苦痛に耐えるべく歪んでいる。
口元にも血があり、唇が切れているのかと思ったが手で口を開けてみると、口内が切れておりそこから出血していた。
「いっ…」
痛い、と言葉にすらできないようで、か細い声を出す。
あの時、自分が咄嗟に避けてしまったからカナは今こんな有様なのだ。罪悪感で胸がいっぱいになる。
「カナさん、すぐに治療を受けることができますから、もう少し我慢してください」
こういう場合、身体は動かさない方がいいのだろう。
知識もろくにない人間が無闇に怪我人を触るものではない。
リョウにできることはカナに声をかけることくらいだ。
頭を打つだけで人間は死ぬ。もし、この怪我のせいでカナが死んでしまったら、二度と会うことはできない、話すこともできない。
このままカナが息絶えたら。
ぞっとした。
どうしてあの時、避けてしまったのだろう。
後悔が押し寄せる。
目の前でカナが痛みを耐えているのに、リョウは何もできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます