第33話
疲れたリョウは帰るため、上も下も白一色のラボ内を歩いていると、見知った顔が二つ並んでいた。
「カナさんと、ワタリさん?」
自分が呼び出されていたため、二人は一緒に仕事をすることになったのだろう。
休憩室の前で向き合っていた二人の視線は、リョウに注がれた。
カナと目が合った瞬間、花が咲いたように笑い、駆け寄って来た。
後輩にそんな反応をされ、悪い気はしない。
「ほらな、俺の言った通りだろ」
リョウは首を傾げたが、カナは頷いた。
「じゃ、俺は帰るわ」
軽く手を振ってワタリは背を向けた。
カナは挨拶もせず、ただリョウの隣でワタリの後ろ姿を一瞬だけ見送った後、リョウを見上げた。
「先輩、怒られましたか?」
「ワタリさんから聞きましたか」
「あれは連絡ミスした奴が悪いですよ。先輩は何も悪くないです。もちろん私も」
「えぇ、そうですね」
リョウの足が動いたので、カナも歩き出す。
自分に非があればこの場でそれを言うのがリョウだが、カナに肯定したということはリョウも自分が悪いとは思っていない。
それならばよかった。いや、怒られたのだろうからよくはないが。
いつもと変わらない涼しげな表情からは、どの程度叱責を受けたのか読み取ることができない。
「先輩を呼び出したのは、幹部ですか?」
「そうです」
「じゃあ、幹部に怒られたってことですよね」
「そうですね」
「じゃあその幹部は無能なんですね。あの話を聞いて先輩を責めるようじゃ、能力値が知れてますよ」
会ったことのない新人にまでこう言われる男なのだ。
リョウは思わず苦笑してしまう。
「どこにでもいるもんですね、何で昇進したかよく分からない無能な上司って」
「言葉が過ぎますよ」
「そういう奴に限って説教が好きなんです。あ、これ、経験談ですよ。悪くない部下をぐちぐちと責め立てて、自分のポジションを確認したいんでしょうね。全然関係ないことまで持ち出して、とにかく長い時間拘束してくるんです。その無駄な時間で他の仕事ができるのに、効率って言葉を知らないんですよ。そして自分が気持ちよくなったら終了。ちなみにそういう奴は、あなたのためを思って言っている、みたいな自分を正当化する言葉で締めくくるんです」
前職でのことを思い出しているのか、うんうんと一人頷きながらカナは語った。
あまりにも的確すぎて、応接室での会話を盗聴していたのではと疑ってしまう。
それだけあの男がどこにでもいる無能な上司ということだ。
カナは飛びぬけて頭がいいわけではない。そのカナにすらこうして見抜かれている。
返す言葉もなくリョウは運転席に座ろうとしたが、カナが気を遣いリョウを押しのけて座ったので助手席に座った。
無意識に幹部の車を探すが、暗くて車の色が分かりにくい。帰ったのだと思うことにしよう。
車が発進すると、リョウは肩の力を抜いた。
いくら身の丈に合っていない椅子に座っている男だからといって、機嫌を大きく損ねると自分の首が飛びかねない。
肩書は幹部だ。無能とはいえ、幹部の権限を持つ男。果たしてその権限を行使できる程、周囲から信頼を得ているかどうかはさておき、幹部に楯突く部下のレッテルを貼られたくはない。
心の内をそのまま顔に出す愚行はしないが、急に激昂したらどう対応しようかと頭の片隅で計算していた。無意識のうちに少し張り詰めていたみたいだ。
「そういえば、ワタリさんと会うのは二度目でしたね。どうでしたか?」
カナはリョウ以上に怒っている。話題を変えようとワタリの名前を出したところ、みるみるうちにカナの顔が般若になった。
カナとワタリの性格を考えると、ワタリが喧嘩を吹っ掛けることはあるまい。自分の時のようにカナが積極的に距離を詰めることもないだろう。仕事のことで言い合いにでもなったか。カナが般若になった原因を考えていると、「あの男…」とカナは話し始めた。
「あの男、私を狙ってます」
「…はい?」
リョウが考えていたものとは掠りもせず、斜め上の回答だった。
ぽかん、と軽く口を開けていたが、すぐに聞き返す。
「狙っている、とは?」
ワタリは殺人鬼ではない。カナのように狂気もない。
「私に女としての魅力を感じたようで、狙ってるんです」
あぁ、そっちか。
「暗い車内で二人きりの空間に、小音で音楽をかけるんです。そういう雰囲気をつくってたんです!しかも、死体を運び終わったら、休憩室で話そうと誘ってきたんです!個室に二人きりって、そういうことじゃないですか。きっと脳内は私のことでいっぱいなんです。思い出せば、なんだか厭らしい目で私を見ていたような気もします。変態ですよ!二人きりなのを良いことに、私に言い寄って来るんです!」
それはほとんどブーメランになって自分に返ってくることに気付いているか、と問いたいが本人は至って真面目に言っているようなので訊かないでおく。
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