第32話

 深夜、リョウは一人家を出た。いつもはカナと一緒に乗っている車だが、今日は一人。

 カナは今頃寝ているだろう。

 この仕事は二人三脚だが、たまにこうして一人で仕事をすることがある。

 カナが足手纏いだとか、そういう理由ではなく、リョウができる男故に振られる仕事があるのだ。

 いつもなら隣で騒ぐはずのカナがいないと、とても静かだ。それが物寂しいな、と思わないこともない。リョウにとって、カナといるのは日常になっていた。

 命を狙われたが、嫌いではない。


 ラボの駐車場に車を停め、中へ入る。

 厳重なセキュリティを突破し、呼び出された場所へと向かう。

 エレベーターで上がり、目的の部屋まで行くとネクタイを締めなおしてノックした。

 中から声がするとリョウは扉を開けて足を踏み入れる。

 応接室のソファには男が腰かけていた。

 黒い髪には白が混ざっており、目尻の皺が眼鏡越しに見える。

 アイロンがけされていない白衣を着用しているが、医療関係者ではない。


「遅くなって申し訳ありません」


 連絡が入ってすぐにやってきたのだが、待たせたことを詫びた。

 直立していると、男は座るよう促したので男の前に座る。


「この前のね、死体のこと、分かる?」


 男は背もたれに身を預ける。

 体勢もであるが口調も偉そうなこの男こそ、回収班唯一の幹部である。


「この前の…」


 男の態度は不機嫌そのものであり、他部署の人間から小言でも言われたのだろう。

 仕事はきちんとこなしているのですぐに思い出すことができない。

 この前の死体。不機嫌な幹部。自分が呼び出された。


「四体、置き去りにしたことでしょうか」

「分かってんならなんでやったの」


 正解のようだ。

 マニュアルには「できる限り死体は有効活用すること」とあるはずだ。できる限り、である。必ずすべての死体を回収しろ、との記載はない。

 それを目の前の男に言ったところで、言い訳だと咎められるのが落ちだ。


「申し訳ありません。車に乗せるのは数が多く、仲間は他の仕事で手一杯で、回収が困難でした」

「でもねぇ、そこをどうにかしてくれないと、死体は必要なんだからさぁ」

「はい」

「人手不足なのはこっちも分かってるけどさぁ、死体がないと他の部署が困るんだよ。人の事も考えて行動しようよ」

「はい」


 やはり他部署に色々言われたようだ。

 その鬱憤を晴らすべく、リョウを呼んだのだろう。

 この程度、メールで済ませばいいものを呼び出したのは人間に直接ぶつけたかったからだ。

 こうなると話は長くなる。

 リョウは適当に相槌を打ちながら、「仕事はちゃんとしてくれないと」と溜息を吐く幹部の話を半分以上聞き流していた。

 以前、ワタリは幹部を悪い人ではないと称していた。ワタリは関わったことがあまりないからそう思うのであって、実際はただの小物である。

 幹部が着用している白衣がその証拠だ。

 この組織では、スーツを着用している人間が下に見られる傾向がある。組織において重要な職に就いていない人間がスーツを着用している。死体を回収する人間がいい例だ。誰にだってできる仕事である。例外もあるが、スーツ着用は弱者だという風潮があるのは事実。暗殺者、医者や、薬品を扱う人間は組織の中でも重要な位置にいる。分かりやすいのは白衣を着た人間だ。白衣を着用する職は限られており、見ただけで弱者でないことが分かる。

 だから目の前で偉そうにしている幹部は、白衣を着ているのだ。

 弱者だと思われるスーツを嫌い、自分は医者と同等の位置にいるのだと周囲に思わせたいがために白衣を纏っている。

 幹部相手に失礼だとは自覚しているものの、その白衣から小物感が漂っている。


「わたしがいなくなったら幹部になるって噂されてるんでしょ?だったらもうちょっと頑張ろうよ。幹部候補なんでしょ?そんなんじゃ幹部なんてなれないよ。幹部ってのはね、人の上に立つんだから、器がないと駄目なんだよ」


 その噂を鵜呑みにしていることに驚いた。

 もしかして、知らないのか。

 回収班の幹部なんて何の役にも立たない、と囁かれている。回収班の幹部を廃止しようという声があるのだ。

 リョウが次の幹部候補として名が挙がっている、というのは回収班の中でだけ噂されていることである。

 幹部に興味はない。自分が幹部になろうが、廃止されようが、どうでもいい。

 幹部がいなくても統率はとれる。

 回収班は研究部に所属しており、薬品班や解剖班も同じく研究部に所属している。死体を頻繁に使用するのは解剖班であり、もしも回収班の幹部がいなくなったとしても解剖班の人間が上手く統率をとってくれるだろう。

 他部署に指示されるのを不服に思う者は少ないはずだ。仕事内容は変わらないのだから。

 仕事が増えて毎日忙しくなるのは困るが、そうでないならどうでもいい。

 目の前の男はふんぞり返って腰をかけているが、その地位は今とても不安定なのだ。

 もし廃止されたら、いくら歳をとっていたとしてもリョウたちと同じただの回収係になる。

 そうなった時、この男はどんな振る舞いをするのか見物である。


「幹部になりたい気持ちは分かるけど、まだまだ経験不足だよ、ねぇ?わたしに言わせりゃ、ひよっこだ。幹部会議に出ても他の幹部の雰囲気にやられて縮こまる未来が見えるよ」


 リョウが幹部になりたがっている前提で話を進める。

 そんなことは一言だって言ったことはない。

 どこの職場にも、無能な上司はいるものだ。

 その後もグチグチと話は続き、解放されたのは応接室に入ってから二時間が経過した頃だった。

 すっきりした幹部の男は「君には期待してるんだよ」と言い残し、欠伸をしながら部屋を出て行った。

 何の期待だろうか。

 最後の一言で上手く話しをまとめたつもりなのだろうが、二時間も八つ当たりをされて「そうか、期待されているのか!」と受け止める心はない。

 あの男の相手は疲れる。目立ちたくない。

 無駄な二時間を過ごしてしまった。

 誰もいない部屋で息を吐く。

 すぐに部屋を出て行くとラボ内でまたあの男に会うかもしれないため、時間を置いて部屋を出た。

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