第27話

 次の現場は廃墟だった。銃殺された二体の死体が転がっており、それを運んで再びラボへ向かう。

 絶対にトラックや大きな車体で死体をかき集めてからラボへ行く方が効率いいのに、とカナは面倒さを隠さない。

 重い死体を運ぶのに筋力は必要だ。鍛えていないカナは筋肉痛だ。

 腕や足がじんじんと痛みを訴えている。こんなに忙しくなければ、筋肉痛にはならなかった。


「なんでこんなに忙しいんですか?」


 耐えきれず、リョウに訊ねた。


「他国から侵入してきた組織とぶつかっているからでしょう」


 その話は聞き覚えがあった。

 忙しくなりそうだ、といつしかリョウが言っていた気がする。


「いつ終わるんですか?」

「さぁ、僕にも分かりませんが、恐らくそろそろ終わりだと思いますよ。状態が悪いものを除き、その組織に所属している人間の回収はほとんど終えていますから」

「そんなことまで知ってるんですね、さすがです!」

「あと少し、頑張りましょう」


 リョウが微笑をこぼすと、カナは手で口元を覆った。

 この破壊力、地球をも滅亡させてしまう。

 いつも一緒にいて若干の耐性がついている自分だったからよかったものの、もし他の女がこの微笑を視界に入れたら発狂し、走る車から飛び降りていたことだろう。

 罪深い男だ。

 一体何人の女の人生を狂わせてきたことやら。

 美形の微笑は強烈だ。


「…カナさん?」

「はっはっはっはっはっはっはあああ」


 過呼吸になったのかと心配し、カナの顔を確認すると、頬を紅潮させて涎を垂らし目は虚ろだった。

 カナの異変にぎょっとし、路肩に車を停めようと助手席からハンドルに手を伸ばそうとしたが、「無理、好き、最高、先輩好き、やっぱり欲しい、飾りたい、死んで」とぶつぶつ隣から聞こえ、身の危険を感じた。

 何がトリガーを引いてしまったのか、身に覚えがない。


「カナさん、一旦路肩に停めましょう」

「う、うへっ…あい」


 冷や冷やしながら車が停車するのを待ち、カナと席を交代した。

 未だにはぁはぁと息をする音が聞こえる。

 カナの息遣いだけが車内に響き、徐々に小さくなって聞こえなくなると、リョウは「大丈夫ですか?」と声をかけた。

 俯きがちのカナは前髪が目にかかっていて、表情がよく見えない。

 急に襲いかかってきそうな雰囲気もあり、リョウは警戒しながら様子を探る。


「先輩、ティッシュ欲しいです」

「ティッシュ?」


 グローブボックスに入っているから、自分で取れるはずだ。

 リョウは疑問に思いながらティッシュを一枚カナに渡すと、またしてもぎょっとした。

 口元を押さえている両手の隙間から、赤い液体が一筋流れ出た。

 ティッシュを受け取るためカナが片手を口元から外すと、鼻や口が血まみれなのが分かった。


「どうしました?体調が悪いですか?」


 働きすぎて疲労が溜まっているのだろうか。それならば先輩としてここは休むように言うべきだ。

 家まで送る、と言おうと口を開きかけたところでカナは「いやー、すみません」と気の抜けた声を出した。

 リョウから手渡されたティッシュで血を拭き、新しいティッシュを自分で数枚取って顔や手に残った血を拭くが、薄い赤色が所々にへばりついたままで、綺麗に拭きとることはできない。

 どうやら鼻の両穴から血が出ていたようで、丸めたティッシュをそれぞれの穴に突っ込んだ状態になった。


「本当にすみません」

「いえ、それよりも」

「大丈夫です。仕事しましょう」

「しかし、体調不良ならばこのまま続けるわけにはいきません」

「あー、実はですね」


 カナは照れくさそうに頭を掻いて笑う。

 鼻の両穴にティッシュがあるせいで、どうにも間抜けにしか見えない。


「実は、先輩が微笑んでるのを見て興奮してしまって…。美形の微笑みって攻撃力が半端ないんですよ、分かってます?」

「は?」


 間抜けにしか見えない、とカナを見て思ったが自分の顔もきっと今間抜けだろうと冷静に客観視する。


「私だからこの程度で済みましたけどね、私じゃなかったら今頃車から飛び降りて死んでますよ。あんな最高のものを拝めて思い残すことはない、って自殺してますよ。それくらいの破壊力があるんです。例えば先輩が微笑みながら、女に対して死ねって言ったら間違いなくその女喜んで死にますよ。この命を先輩に捧げるのなら一片の悔い無しってやつです。それくらい先輩の微笑みは凄まじいんです。女の生命を脅かす程なんですから、その辺りを理解してもらわないと。あ、でも、ハリーが死ねばいいとは思いますけど、ハリーには微笑まないでくださいね。あいつの最期が先輩の微笑みなんて絶対に許しませんから。ハリーを殺すなら物理的な方法で殺ってください。何度も言いますが、先輩のそれは凶器なんですから。あ、言い直します、ハリー以外にも微笑まないでください。私以外にやったら駄目ですよ。私だけにしてください。私ならこの程度で済むので、私だけにしてください、私だけですよ」


 どこで息継ぎをしたのかと疑問に思うくらい、矢継ぎ早に喋る。

 どうやら笑ったことがいけなかったらしい。リョウが笑ったところを見て興奮した、とはとんだ変態だ。

 ぞぞぞっと鳥肌が立ち、口角が引き攣っているのが自分でも分かる。

 殺すや死ぬなど物騒な単語が出てきたが、そんな経験は皆無だ。笑っただけで人を殺したこともないし、鼻血を出させたこともなかった。リョウの人生でカナが初めて鼻血を出した。

 自分の容姿が悪くないことは鏡を見れば理解できるし、寄って来る女の数で察する。だがカナのような反応をする人間に今まで出会ったことはない。

 出会って最初の頃も鼻血を出していたが、カナの体質が異質なのだ。

 死んだ人間の首から上が欲しい、と語る女が異質なのは当然か。


「よし、仕事しましょう」


 すっきりした顔で親指を立てるカナだが、鼻に詰めているティッシュや薄く残っている血でやはり間抜けに見える。

 鳥肌がおさまった代わりに、リョウは笑いが零れた。

 間抜けだ。


「うへへっ」


 笑われた、ではなく、笑ってもらえたと思い、カナは間抜け面で笑った。

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