第23話

 カナが毒を盛ったことについて、リョウはその後ねちねち言うことはなかった。カナはそれを許されたと解釈し、リョウは殺されそうになっても相手を許す器の大きな人間と認識を変えた。

 こんな優しい人間がこの世に存在するのか。

 カナが今まで出会った人間の中で、リョウが一番輝いている。リョウ以外は家畜か虫だ。

 もし自分が毒を盛られたら発狂して騒ぎを起こす。毒を盛った奴は絶対に許さないし、どんな手を使ってでも見つけ出して人豚にしてやる。学生時代、国語の先生が人豚の話をしていた記憶は今でも残っていた。人豚なんて今の今まで思い出しもしなかったのに。あの頃は「人豚なんて、酷いことを考える人がいたんだなぁ。私にはそんなこと思いつかないし、絶対にできない」と思っていたが、今の自分にならできる。なんたって死んだ人間の首をチェーンソーで斬ったのだ。生きている人間をどうこうしたことはないが、やればできる気がする。昔、祖母に「あんたはやればできる子だからね」と言われたことがある。そうだ、やればできる子なのだ。やろうと思えばなんだってできる。


「私はやればできる子!」

「…急に何ですか」


 カナが運転中に叫ぶと、リョウは驚いたように隣を見た。

 夜道を走る車は少なく、外は静かだ。

 カナはにこにこ笑っていたが、たまに誇らしそうな表情もして、リョウは鬱陶しく思っていたところだった。

 また妙なことでも考えていたのではないだろうか。

 怪しげな視線を送るが、カナは気づかない。


「私って、やればできる子なんですよ」

「…そうですか」


 深くは聞かず、車内は無言になるがカナはちらちらとリョウを見て、咳払いを一つした。


「聞きたかったんですけど、あの話はどうなったんですか?」

「あの話?」

「先輩が情報部に異動っていうあの話ですよ!」

「あぁ」


 カナが毒を盛ったのは、異動される前に殺して手元に置いておきたい、という一心だったから、回答を聞く権利はあるはずだ。

 異動の話がなかったら、こんなにも早く行動することはなかった。

 リョウはできる男だ。それは行動を共にしているカナが一番分かっている。

 けれど、リョウが百パーセント異動するとは思っていない。

 リョウがこの職に就いた理由は「楽をしたい」だったはずだ。できる男のリョウはこの職でなくても、どこでもやっていける。それなのに態々この職を選んだのは、楽をしたかったから。そう語っていた。

 情報部へ異動となれば、楽ではいられない。カナは情報部の人間がどこで何をしているのか詳しくは知らないが、ハッキングしたり、どこかの組織に潜入したり、面倒なことをやっているイメージがある。楽だから、という理由で回収係を選択したリョウが喜んで情報部へ行くとは思えない。

 しかし、この仕事はリョウにとってあまりにも暇すぎるのではないか、とも思う。楽な仕事がいいとは思ったが、ここまで楽だとは思わなかった。そう言って情報部へ異動してしまうこともあり得る。

 賢すぎると物足りない仕事内容だ。少しくらい忙しい方がリョウにとって働きやすいのではないだろうか。


「断りました」

「…えっ!!マジですか!!」

「マジです」

「なんでですか!?この仕事楽すぎるから情報部に行きたいとか、そんな思いは皆無ってことですか!?」


 赤信号でブレーキをかけ、助手席に座るリョウへ体を寄せる。

 リョウは反射で距離をとる。


「以前にも言いましたが、僕は楽をしたいんです。情報部は忙しいでしょう。今以上に関わる人間が増える。それが嫌なんです」

「じゃあ、何ですぐに断らなかったんですか?」

「僕は情報部のすべてを知っているわけではありませんから、情報部の中でも楽な職種があるのなら、引き受けてもいいと思いました。やはりと言うべきか、当然、そんな職はありませんでしたけど」


 忙しくなければ情報部でもいいと思った、ということか。

 リョウには今の仕事に執着はないようで、楽ならばどの職でもいいらしい。


「スカウトされたなら、先輩の力を求めてたってことですよね。楽な仕事をさせてくれるとは思えませんけど、そうは思わなかったんですか?」


 あっさりと今の仕事から乗り換えることを考えていたリョウに対し、カナはちくちくと言葉で刺してしまう。


「異動することになれば、その辺は配慮してくれると思いました」

「ふうん、へえ、そうなんですね」

「あなたに毒殺されそうになって、楽さを選ぶか命を選ぶか考え直しましたけどね」

「でも私を選んだんですよね!」

「この仕事を選びました」

「ふふっ、なんだか照れますね」

「そんな要素はありませんでしたけど」


 くねくねと身体を動かすカナに呆れ、窓の外を眺めた。

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