第21話
カナはリョウの前で正座をし、項垂れていた。
ちらっと顔を上げてリョウの様子を窺うと、相変わらずの綺麗な顔で、口元が緩んでしまう。何を笑っているんだ、とリョウの眉がぴくりと動くと、カナは慌てて再び俯いた。
今朝からリョウは無口だった。カナが何を言っても相槌しか返さず、話を聞いているのかと何度も疑った。考え事をしているのか、それとも眠いのか。まさか怒っているとは予想していなかったが、そういえば昨日はペットボトルに毒を入れたのだった。コンビニの駐車場で、リョウが悶え死ぬ様を観察しながら死体を手に入れる予定だったが、リョウは結局水を飲まなかった。折角買った水を飲まないなんてことはないだろう。今、こうしてリョウが怒っているのは、きっと水に毒を盛ったことに気付いたからだ。
誰かに水を毒見させたのか、死なない程度の水を摂取して自ら毒に気付いたか。前者だとカナを一ミリも信用していないことになるので、後者であってほしいと思う。
死体を安置室に入れた後、モニターで何かを確認しているリョウを普段の調子でカナが横から茶々を入れ、今に至る。
真剣に仕事をしている最中にカナが煩わしく話しかけるので、水の件も相まってこのタイミングを選んだ。
「僕が怒っている理由、分かりますか?」
「えーと…多分?」
「多分?」
美形の睨みは迫力がある。
カナは背中に冷や汗をかきながら、「分かります!」と元気よく答えた。
「では、何故今僕が怒っていると思いますか?」
「…何かよくないものを食べた、ですか?」
「食べた?」
「あっ、えっと、飲んじゃった...?」
「よくないものとは?」
「に、人間が生きるために必要でないもの、でしょうか…」
「それは一体どんなものですか?」
「それは、その、例えば、毒、とか」
「その毒の名前は?」
怖い。怖い。怖い。
普段から無表情が多いリョウだが、今は感情の一切がなく、無表情と済ませるにはあまりにも無機質だった。
こんなにも怒っているリョウを見たことがなく、カナは震えながら瞳に涙を溜めた。
リョウに泣き落としは通用しない。カナがいくら美人であったとしても、リョウは女の涙に遠慮するような人間ではない。
自分が納得いくまでとことん問い詰める。
「そん、そんな毒の名前なんて…」
「は?」
「ぴぃっ!」
怖い。変な声が出てしまうほど、怖い。
「な、なんでしょう…ね」
「なんですか?」
「私、高卒なもんで…難しいことはよく分かりましぇん」
社会に出てたくさん指摘された学歴を、ここで言い訳に使うとは自分でも驚きだ。
高校を卒業して就職した先では、失敗すれば陰で「これだから高卒は」と言われ、周りより出来が良いものをつくったら「高卒なのに凄い」と言われ、何をしても「高卒」が付き纏ったあの頃、そんなに大卒や院卒が偉いのかと腹が立った時もあった。「高卒」と言われ、良い思いをしなかったのに、この場で言い訳として「高卒」を好んで使ってしまっている。
この職に就いてから学歴なんて関係なく日々働いている。忘れかけていた学歴。それを今、言い訳として思いついたのだ。
人ってこうもすぐに変わるんだな。なんて呑気に考えている場合ではない。
目の前の鬼からどう逃げるべきか。むしろ逃げることができるのか。
「今、高卒が関係ありますか?」
「へ、へへ…」
「僕はまだ答えを聞いていません。毒の名称は?」
この反応、絶対リョウは知っている。あえてカナの口から言わせようとしている。
リョウは聡い。毒が入っていることに気付いたら、その毒が何か調べるはずだ。絶対に答えを知っている。
「な、なんで私が毒なんて…」
「シラを切るつもりですか?」
「そ、そんなんじゃ…でも、私は毒なんて…」
もごもごと口を動かしていると、勝手に目が泳いでしまう。
「はぁ、分かりました。もういいです」
リョウの溜息が吐かれると、カナはやっと解放されたと安堵した。
安心しきっているカナの表情を見て、リョウは言い放った。
「パートナーを解消しましょう」
あっさりと言ったリョウは、カナを置き去りにして扉から出て行こうとする。
カナは呆然とリョウの後ろ姿を眺めていた。
今、何て言った。解消と言った。解消ということは、もうリョウと二人で仕事することはないということだ。リョウの顔を見ることなんてなくなってしまう。リョウ以下の顔面の男と一緒に仕事をする。そしてリョウは新しい女と一緒に楽しく死体の回収をするのだ。
そんな、そんなの。
「やだ、嫌だぁー!!」
リョウの背中に叫んでも、リョウの足は止まらない。
カナは立ち上がって両の腕を掴むが振り払われてしまい、引き留めることができない。
前に前に進んで行くリョウの足を止めようと、リョウの足を両手で掴む。
動きにくくなったリョウは足元を見て、必死に縋りつくカナの姿に溜息を吐いた。
「僕の命を狙う人間と、共に行動する気はありません」
「捨てないでくださいぃぃぃ」
「命は一つしかないので、大切にしなくてはいけません」
「先輩じゃないと嫌ですぅうえぇぇ」
瞳から涙を流し、涎を垂らし、みっともない面で見上げるカナから必死さがひしひしと伝わってくる。
「せ、先輩ぃぃ」
声を上げて泣き始めるカナの両手を振り払おうと足を動かすが、泣いているというのに力は緩めない。
「許してくれるまで死んでも離しませんからぁっ」
うああああ、と子どものように泣きじゃくるカナ。
気付かないうちに、また溜息を吐いていた。
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