第20話

 リョウはカナたちと別れた後、薬品班を目指して進んだ。

 ラボ内にある薬品班はその名の通り、薬品を製造する班である。人を治す薬よりも、毒薬に熱を注いでいる。

 元々薬剤師であった人間などが多く集まる薬品班は、死んだ魚の目をしている者しかいない。起きている間はずっと薬をつくっている。上からの命令もあるのだろうが、本人たちは今まで製造できなかった毒薬の開発が楽しいようで、濁った瞳をしつつも嬉々として取り組んでいる。

 扉を開けて薬品班の元へ到着すると、気づいた女が死んだ目をしたまま近寄ってきた。


「リョウさん、どうしたんです?」


 業務上、薬品班と接点は多くない。死体の件で話すことがまれにあるくらいだ。そのため、リョウはすれ違う際に挨拶をすることで、地道に知り合いをつくった。

 その知り合いの一人が、白衣を着たこの女である。


「カミラさん、お久しぶりです。今日はお願いがあって来ました」

「お願い?」


 忙しい事は百も承知だ。

 不思議そうに首を傾げるカミラは、リョウの「お願い」を聞く体勢である。

 こういうとき、自分の顔は便利だと実感する。

 これが例えばカナであったら、ポータであったら、カミラは怪訝な顔をして嫌そうに対応するのだろう。お願いを聞く体勢すらせず、早く持ち場に戻らせてくれと全身で訴える。そういう場面に幾度か遭遇したことがある。

 すべての女がそうだとは思わない。顔の美醜を気にしない人間だって当然存在する。けれどカミラはリョウの顔が気に入りのようで、リョウがこうしてやってくると一目散に近づいてくるのだ。

 カミラの後ろで二人の女がちらちらとこちらを窺っているが、二人が手を休めることはない。


「これなんですが」


 リョウはポケットに入れていたペットボトルを取り出し、カミラに差し出す。


「水?」

「はい。この中に入っている成分を調べていただきたいのですが、可能ですか?」

「え、えぇ。水の成分?」

「もしかしたら、水の他に何かが混入しているかと思いまして」

「はぁ。分かりました。それくらいならすぐにできるので、少々お待ちください」

「ありがとうございます」


 カミラはペットボトルを手にして引っ込んだ。

 女二人はカミラが向かう先を見た後、リョウへ視線を戻した。

 リョウと視線が絡むと、慌てて手元に移して作業を進める。

 カナとカミラ同様に、若い女性は綺麗な顔を好む傾向がある。相手が端整な顔立ちだからといって、態度を変える人間は理解できない。

 リョウの物差しで美人とそうでない人間を判別することはある。しかし、顔が美しい人間による精神的作用はない。

 相手が美人だから優しくする、そうでないから雑に扱う。そういうことをする人間を多く見てきたが、そういう人間に限って「そうでない顔」の部類の傾向がある。


「終わりました」


 カミラが中身の減ったペットボトルを持って戻ってきた。

 一枚の紙をリョウに見せながら説明する。


「混入していたのは、所謂青酸カリですね」

「青酸カリ?」

「入手しようと思えば一般人でも手に入りますよ。まあ、規制があるので簡単に入手できませんが」


 淡々と述べるカミラは続ける。


「症状としては、めまい、嘔吐、頭痛などです。この水の中には致死量入っていました」

「致死量…」

「これ、リョウさんが飲む予定だったものですか?」

「えぇ、まあ」

「危ないですね。青酸カリなんて、組織で働く人間なら簡単に手に入りますから気をつけてください」

「そうですね。気をつけます」

「これは廃棄しておきます」

「はい、ありがとうございます」


 青酸カリや、毒薬の入手は難しくない。

 リョウがカミラに一言頼めば、カミラは人を殺すための薬を手渡してくれるだろう。それ程容易に貰える環境である。

 問題は、カナがどこで入手したかだ。

 カナが薬品班と仲良くしていた素振りはない。他部署との連絡をとるようになったのもここ最近である。同じ回収班の人間とも仲良くしていたとは思えない。

 一体どの経路から入手したのか。


「リョウさん?」

「あぁ、失礼」


 苛立ちが顔に出ていたようで、カミラが心配そうにのぞき込む。


「それと、これどうぞ」


 カミラはリョウに小さな鞄を渡した。

 黒い革製の鞄はペットボトル一本くらい入りそうだ。


「ポケットに入れるくらいなら、鞄に入れた方がいいですよ。毒物が混入されているものなら、尚更です」

「貰ってもいいんですか?」

「どうぞ」

「ありがとうございます」


 鞄は持ち歩かないが、今回のようなことがあれば鞄はあった方が便利だ。

 有難く頂戴する。


「それでは、お仕事頑張ってください」

「リョウさんも。また何かあれば来てください」


 リョウは退室すると、白一色のラボ内を歩く。

 殺す気なのでは、と疑っていたがついに行動に移したか。

 どうやって青酸カリを手に入れたのか知らないが、水に一服盛るとはいい度胸だ。

 ペットボトルを渡された時、すんなりとキャップが開いた。あれは一度、誰かが開けたからだ。誰が開けたなんて考えなくとも分かる。カナ以外にいない。

 じっと見つめていたのは、水を飲んで死ぬ様を観察したかったからだ。

 リョウは貰った鞄を持つ手に力がこもる。


「イかれ小娘が…」


 今回は水を飲む前に違和感があったから気づいたが、次もそうとは限らない。

 会ったら説教してやる。

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