第11話

 最近、カナは自分の中に芽生えた違和感について考えている。

 普段の生活で違和感はないのだが、仕事の時にぐるぐると胸の中を何かが渦巻いている。何かが這っているような、感動系の映画を観た時のような、誰かが内側から叩いているような、変な感覚。

 これを何と表現すればよいか分からず、リョウに言えていない。相談してみようと思ったが、自分でも分からないことをどう相談すればよいか分からない。

 自分が知らない内に、精神を病んでしまったのだろうか。死体を運ぶ作業が、本当は苦痛なのか。そう考えてみるが、納得できない。そうじゃない気がする。では、何だ。それは分からない。


「うーん」


 死体を安置室に収め、管理室で操作しているリョウの元で唸っていると、「具合でも悪いのですか?」と心配された。


「具合が悪いわけじゃないんですけど、うーん」


 胸の辺りがおかしい。

 そう言おうとしたが、それだと恋の病のようだ。恋煩いとでも言いたいのか、とリョウから変な目で見られそうだ。

 うーん、と唸り続けるカナを放置し、リョウは画面から視線を外さず、顎に手を当て考え込む。

 まったく違う考え事をしている二人の間に沈黙が走った。

 沈黙を破ったのはリョウの携帯から鳴る通知音だ。

 内容を確認すると、画面を黒一色に戻し、カナの方を振り向く。


「行きましょうか」


 リョウの一言でカナは頷き、考え事は弾け飛んだ。

 このところ、カナの様子がおかしい。

 管理室を出て隣を歩くカナに眼球だけ動かして視線をやり、観察する。

 あのカナが、考え事をしている。それも、ここ数日ずっとだ。

 さりげなく聞いてみたが、はぐらかされて終わる。何に悩んでいるのか。仕事だろうか。それともプライベートだろうか。後者であるならば関係のない自分が踏み込むことではないが、前者であるならば先輩として聞いてあげるべきだろう。

 普通に生きていれば身内が死んだ時にしか死体に触れる機会はない。それを、若いうちから毎日のように知らない人間の死体を組織の悪用のため運ぶ。精神的に弱い人間なら吐いて病んでいることだろう。

 そんな仕事が、知らず知らずに精神を蝕んでいるのかもしれない。

 カナだからそんなはずないだろう。と、そんな失礼なことは思わない。顔で笑って心で泣く、よくあることだ。誰にでも弱さはあり、程度は人それぞれだ。すべてを自分の基準で決めつけることはよくない。

 仕事での連絡はリョウがすべて行っている。カナにも人脈作りや今後の身の振りのため、少しずつ行ってもらおうと思っていたが、できないでいる。


「先輩、今日仕事多くないですか?」


 助手席に座るカナが明るい声で話す。

 楽しそうにも見える横顔は、心からそう思っているのか偽りなのか、リョウには分からない。


「最近国外から侵入してきた団体と殺り合っているようなので、そのせいでしょう」

「あぁ、悪さをする海外組織ですね」

「近々本格的に叩くでしょうね。仕事も当然増えます」

「やだなー、のんびりやりたいです」


 仕事は楽であればあるほど好ましい。

 忙しくなりそうだと予感し、カナは顔を歪めた。

 そんな様子を見て、プライベートではなく仕事の悩みだろうかとリョウは推測した。

 少しずつ忙しくなっていることを感じ、嫌気がさしたのだろうか。

 どれだけ考えても、他人が抱える悩みなど分からない。


「コンビニに寄りましょう」


 勤務中に寄り道はよくあることだ。

 カナは異議なく頷いた。

 一番近いコンビニの駐車場でエンジンを切り、リョウは車の扉を開けた。


「カナさんも行きますか?」

「私は待ってまーす」

「分かりました」


 一緒にコンビニデートも悪くないが、こうして車の中で良い子にして待つのも一興だ。

 「缶コーヒーを買ってくるけど、カナさんは何か欲しいものありますか?」「何もいらないです」「そうですか、じゃあ車で待っててください」という妄想を脳内で繰り広げる。そして車に戻って来たリョウの手にはカナのために買ったお茶。「カナさんだけ何もないというのはどうかと思いまして」「えぇー、私のために買ってきてくれたんですか!嬉しい!」笑顔で受け取るカナを見てリョウは微笑む。一度もそんな現実はなかったし、先程はカナに一緒に来るかどうかだけ確認したリョウである。妄想は楽しめたらいいの、とにやけながらその先の妄想をしていると、ふと窓ガラス越しに見知った顔が必死に走っているのを目にした。


 あれは確か、ついこの間会ったサリーだ。

 リョウに言い寄っていた害虫であるが、何やら口を開けて必死に走っている。

 コンビニの向かい側にある公園の中へ駆けこむと、姿は見えなくなってしまった。

 もしかして、仕事で失敗でもしたのだろうか。

 一人で走っていたが、仕事は二人三脚であるため、もう一人いるはずだ。

 仕事の失敗となると死がついてまわるというのに、カナは好奇心が刺激された。偉そうな態度で詰め寄ってきたあのサリーが必死になって走っているのだ、面白くないはずがない。

 カナは車のドアを開け、車道を挟んだ向かい側にある公園へ足を進めた。

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