第8話

 最近、リョウが忙しそうだ。

 ラボの安置室に死体を置いた後、休憩室で一休みしていた。

 ペットボトルに入っている水を飲むカナの前で、リョウは携帯を開いたまま考え事をしている。

 きっとまた情報部から仕事を頼まれたのだ。何故分かるかって、女の勘だ。

 女の写真の件以降、情報部からの頼まれ事が増えたらしく、よく携帯を眺めたり写真を眺めたりと、その視界にカナが映る頻度が減った。

 その頼まれ事というのは絶対にこちらの仕事とは関係のないことだ。

 それなのにリョウは自分の仕事であるかのように一所懸命知恵を振り絞っている。

 回収係に頼まなければならないほど、情報部は無能の集まりなのか。

 一般企業でヒエラルキーがあるように、この組織にも存在する。

 人殺しをする人間ほど上になり、人殺しからかけ離れた仕事をしている人間が下である。

 死体を回収する仕事は下の下であり、他部署から鼻で笑われるような部署だ。

 雑に扱われ、話しかけても無視をされることだってある。部署ごとに制服で分けられているわけでもないのに、一目見て無視ができる理由として、下の人間は大体スーツを着用しているからだ。中間層から上の人間は白衣を纏うか私服である。例外はあるが、大体このような感じだ。

 スーツを着用している部署はいくつかあるが、その中でも死体の回収なんて誰にでもできる仕事は軽視されやすい。

 回収班は研究部の所属となるが、研究部というとこのラボで働く人間が多い。医療班や薬品班は白衣を着ている上の人間であり、回収班は下の人間。スーツ姿でラボをうろついていると、下の人間か、と馬鹿にしたような視線を浴びせられる。

 情報部にもスーツを着用している人間がいるが、仕事内容的に死体回収よりは上である。

 そんな回収係に、情報部が頼み事なんて笑ってしまう。

 いや、笑ってばかりもいられない。リョウと会話をする頻度が減り、リョウの視界に入る頻度が減るのだ。

 無能な情報部のせいでリョウとの仲に溝ができるなんて。

 面白くない。

 口をへの字にして、携帯と見つめ合うリョウを睨みつける。

 こっちを見ろ、こっちを見ろ、見なければ明日にでも呪い殺されるであろう。

 心の中で魔女のように唱えてみるが、伝わる気配はない。

 休憩をしよう、と言い出したのはリョウだ。休みたかったからではなく、情報部からの依頼をこなす時間を確保したかったに違いない。絶対にそうだ。

 いつまで経っても携帯から視線を外さないリョウに向かって、ついにカナは物申す。


「先輩、そろそろ出ましょうよ」

「もう少し待っていただけますか」

「もう!ずっと携帯見てるじゃないですか!情報部のことなんて放っておけばいいのに!」


 ぷんぷんと怒り出したカナに漸く視線をやる。

 やっとリョウの両目に自分の姿を映すことができ、カナは少しばかり満たされた。


「人脈作りは大切ですよ」

「あいつ等は先輩をこき使いたいだけなんですよ!自分たちの仕事を押し付けることができてラッキー程度にしか思ってません!」


 他部署の仕事なんてやる意味が分からない。

 人脈作りとはいっても、情報部に人脈があったら何になるのだ。

 その人脈が必要になる時なんてないだろうに。


「カナさん、まだまだですね」

「はい!?」

「一か月しか経っていませんから、当然のことですが」

「その顔も素敵です」

「…はぁ、では行きましょうか」


 携帯をポケットに入れて立ち上がるリョウの後を笑顔で追い、ラボを出た。

 リョウが迷わず助手席に乗ったのでカナが運転をすることとなった。

 また情報部の手伝いのため携帯をいじるのではないかと予想していたが、そんな素振りはなくカナはリョウと世間話を楽しむことができた。

 休憩室の時に見せた不満気な表情が吹っ飛び、にこにこと子どものように話すカナを横目に、豊かな子だなとリョウの口元が緩む。

 その空気を、メールの通知音が邪魔をした。


「また情報部ですか?」


 今度は笑顔が吹っ飛び、不満を露わにする。


「いえ、仕事です。次の交差点を右折してください」

「はーい」


 情報部ではないと分かり、声色が明るくなる。


「その素直さは美点ですね」

「えっ、可愛いってことですか?」

「美点、と言いました」

「つまり、可愛いってことですよね?」

「いいえ」

「美しい点。つまり可愛い」

「いいえ」


 ころころと分かりやすく感情が変化するカナを褒めたつもりが、勘違いされた。失言だったか。

 美点、と褒められたのは良いものの何を褒められたのかカナは気づけないでいた。リョウは素直なところが美点と言ったが、カナには美点の単語しか記憶されなかった。

 顔が可愛いということだろうか。確かに不細工ではないし、付き合った男の数は両手で足りる程だ。しかしリョウは毎日自分の顔を鏡で見ているはずだ。そんな人間に可愛い、と褒められるような容姿はしていない。決して可愛くないわけではない。

 可愛いということか、と聞いて否定されたのでそういう意味で褒められたのではないようだ。では、どういう意味か。

 喋り方だろうか。リョウと比較すると頭の出来が悪い。稚拙な話し方が子どものようで可愛らしい。そう言いたかったのではないか。

 色々考えてみたが、これといって確信があるものはない。

 まあいい。褒め言葉には違いないのだ。どこか褒める要素があったのだろう、魅力的だったのだろう。そう思うことにする。

 悪い気はしないので最近若者の間で流行っている曲を鼻歌で歌う。

 豊かな子だな、とリョウは本日二度目の感想を抱いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る