第7話

 死体が転がっているであろう場所を通りがかると、パトカーが道路脇に停車していた。

 歩道に堂々と放置されている男の死体を警察官が取り囲んでいた。

 スピードを落として観察すると、男の顔が警官の隙間から見える。

 半目になり、虚ろな顔に血の気はない。

 あの死体は、カナとリョウが運びラボに持ち帰る予定だったもの。

 警察に先を越され、奪われた。


「仕方ありませんね」


 回収を諦め、その場を離れた。

 夜道に車を走らせながら、先程の男の顔をカナは思い出していた。

 あの一瞬見えた顔が、頭から消えない。離れない。

 好みではない。無精髭を生やした中年の男は恋愛対象外だ。

 カナにはリョウがいる。リョウに比べれば他の男はじゃがいも同然。あの男が気になっているわけではない。しかし、どうにもカナの脳内からは消えてくれない。

 どうしてだろう。


「カナさん、聞いていますか?」

「はっ、はい!」


 聞いていなかった。

 他の男を考えていてリョウの声が耳に入っていなかった。不覚である。


「次の場所はM22です」

「はい」


 返事をしたものの、そんな場所は知らない。

 組織は場所をアルファベットと数字を組み合わせて呼んでいる。リョウの頭にはすべての場所の名前が記憶されているのだろうが、カナは自分のアパートの場所くらいしか分からない。

 覚えるように言われているが、暗記は不得手故に半ば諦めている。

 それに、リョウがいるから覚える必要はない。


「そこを右です」

「はい!」


 ほら、今もこうして道案内をしてくれている。

 頭の出来が良い人間と一緒に仕事をすると、頼りにしてしまうものだ。


「せ、先輩。次の十字路は真っ直ぐですか?」

「いえ、左です」


 リョウが携帯を取り出してメールを打ち始めた。

 もしや女か。

 そんな心の声が漏れていたのか、リョウは「先程の件について報告しなければなりませんので」と答えた。

 死体を回収できなかったことについて、情報共有すべく操作しているようだ。

 そして再びカナの頭にあの男が浮上する。

 一体何だというのだ。

 どこかで見かけたのか。知り合いにでも似ているのか。

 どれも違うような気がする。

 もやもやと胸の辺りで何かが渦巻く。

 いつまでもあんな無精髭の顔を思い出したくない。

 頭を振って追い出す。


「カナさん?」

「はっ!」

「どうかしましたか?」

「いえ!何でもありません」

「そうですか。余所見運転は感心しませんね」

「す、すみません」


 携帯を閉じたリョウが咎めるような視線をカナに送る。

 そんな視線も好きです、と言えば反省していないと思われてしまうので黙っておく。

 リョウの命は自分の運転技術にかかっている。気を引き締めてリョウが案内する場所まで安全第一を心がけて連れていった。

 別の現場に到着するとパトカーはなく、男の死体を特殊な袋に詰めるため二人で持ち上げる。

頭部をカナが持ち、リョウが足を持つ。

警察官の間から見えた無精髭の男よりも若く、襟足が伸びている男の顔をじっと覗き込む。瞬きもせず静かに観察していると、何かに躓いて体がよろける。転げないよう足を踏ん張る。


「大丈夫ですか?」

「はい。なんとか」

 リョウの優しい言葉に顔を緩ませ、再び男の顔に視線を戻す。

 まただ。

 胸の辺りがもやもやする。

 このもやもやは、最近になって現れた。

 そういえば、死んだ人間の顔を見る度にこのもやもやが出てくる。

 例えようのないものが胸の辺りを渦巻いている。

 結局これが何か分からない。

 袋に詰めた死体を車に乗せ、カナは運転席に乗り込んだ。

 もやもやは消えない。

 この正体を知りたいような、知らなくてもいいような、自分でもよく分からない。

 取り敢えず助手席に座るリョウの横顔を眺め、気分をリセットする。

 考えても仕方ない。仕事に支障があるわけでもないし、隣にはリョウがいる。もやもやのことを考える時間があるならリョウに費やしたい。


「コンビニでも寄りましょうか」


 リョウの提案で付近のコンビニへ入り、カナはミックスジュースを、リョウは缶コーヒーを購入した。

 ごくごくと喉を動かしながらコーヒーを飲むリョウを見つめる。

 何をしていても綺麗だ。肌もきめ細かく、毛穴なんてどこにもない。唇は潤いがあり桃色のリップクリームでも塗ったのかと疑ってしまう。眉毛はすっと流れており、整っている。髭は生えないのか剃り残しがないだけなのか、どこにも見当たらない。もうここまでくると女性の域だ。陰でエステにでも通っているのか、それとも美容クリニックなのか。紹介してほしいものだ。きっと紹介割引があるだろう。


「何か?」

「はぁ、どうしてそんなに顔が良いんですか」

「は?」

「両親が超ド級の美形なんですか?」

「はぁ」

「遺伝?それとも何かしてます?まさか、整形?どんな先輩でも好きなので、その美の秘訣を教えてください!」


 またか、と呆れながらカナを無視してコーヒーを飲む。


「なんで答えてくれないんですか!まさか本当に整形ですか?どこを整形しました?二重整形?骨削りました?」

「カナさん、そういった質問は控えた方がよろしいかと」

「で、どうなんですか?」


 気になるカナはリョウの小言など耳に入らず、ずいっと顔を寄せる。

 答えても構わないが、そういう繊細なことを他人に聞くものではない。それを教えたいのだが、カナは聞く気がないようだった。


「その美しさは整形ですか?遺伝ですか?」

「…その二択ならば後者かと」

「美容クリニックは?」

「行っていません」

「朝は何を食べてます?」

「コーヒーを飲んでいます」

「それだけですか?」

「はい」


 答えた後になって、答える義理はなかったなと思う。

 その後も仕事とはまったく関係のないことばかり聞かれ、一人前に仕事ができるようになったら答えると言ってあしらい、勤務時間が終わるまで二人は夜のドライブをした。

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