第50話 自分の夢

合宿から帰った翌日だというのに、ユンはいつも通りに朝から部活に行った。

私の方はと言うと、疲れが取れずサークルを休んでしまった。

運動部との体力の違いを、思い知る事となった。


合宿に持って行った2人分の荷物を片付けつつ、お母さんと一緒に洗濯をしたり掃除をしたりしている。

〝やりたい事〟を実行に移すべく、お母さんの様子を伺い声をかけた。



「お母さん。」


「なぁに?」


「ユンくんが貰ったプロチームの名刺、少しの間貸して貰えませんか?」


「名刺?ちょっと待って。」


お母さんは、重要書類などが入っている引き出しから封筒を取り出し、私に差し出しながら


「何に使うの?」


と、聞いた。


「あのぉ。どんなチームなのかなぁって(笑)ちょっと研究?してみたくて…。」


「そう。良い事だわ(笑)わかった事があったら教えてちょうだい?」


「あ、はい…。あの、で、お母さん?」


「ん?どうしたの?」


「あの。もし、もしもなんですけど。私のやりたい事が地方にしか無くて、ここを離れる事になっても許してくれますか?」


「私たちも、ずっと一緒にいて貰いたいだなんて思ってないわよ?卒業したら2人で暮らさないとね。」


「それが、ユンくんと離れる事になっても許してくれますか?」


「何!?それはどういう事なのっ?」


「た、例えばですけど…、ユンくんがプロになって私が就職して…私の働ける場所がユンくんの拠点とは遠い所で、その、別居って事になっても…。」


「それがあなたのやりたい事なんでしょ?」


「え?」


「例え離れたとしても、やりたいと思う事なんでしょ?」


「そうです。」


「なら、やりなさい。」



お母さんは、私の目を見て真っ直ぐに言ってくれた。

私は、この人にも愛されていると思えた。



「良いんですか?」


「私はあなたに、とんでもない…とてもとても、とんでもなくひどい事を、したのよ…。自分の息子の夢を優先するあまり、あなたの気持ちなど考えず…取り返しのつかない事を…。ずっと、アミさんのご両親にも申し訳なく思ってるわ…。」


お母さんの目に涙が浮かび、顔がほんのり赤くなった。



「あなたにだって夢はあるはずよね。ユンはきっと、夢を叶えるわ。だったらあなたも、叶えなきゃ。やりたい事をやらなきゃダメよ。」


「お母さん…(泣)」


お母さんの目から涙がこぼれた。

それを見て我慢できずに私も泣いた。

お母さんは、頬を伝う涙を拭いほんの少しだけ笑いながら言った。


「でも、あの子には無理よ?(笑)」


「え?ユンくんですか?」


「そう。ユンはあなたと離れるのは無理だと思うわ。」


「ユンくんも、離れたとしてもやりたい事をやれって言ってくれましたよ?(苦笑)」


「いいえ、無理よ。見てなさい?(笑)」



お母さんはそう言い放つと、食料品の買い物に出掛けて行った。

私も、無理だろうと薄っすら思ったりしている、ユンも自分でそう言っていたし。


だけど、きっと

同じ所で夢を叶えるのは無理だろうな…。





自室の自分の机に座り、封筒から4枚の名刺を取り出した。

私が欲しかった名刺は、一枚だけ。

私が直々に頂いた釜山ドルフィンズの名刺。

見学に来て良いよと言ってくれた…。

この名刺をくれた“サン・ウヨン”という人は話しやすかったし優しそうだった。

私の話しを聞いてくれるに違いない。

一縷の望みを賭けて、電話をしてみる事にした。





直ぐには捕まらないだろうと思っていたのだけれど、一回目の電話で運良く繋がった。




「あ、あの、お、お忙しいところ、申し訳ありません。わたくしキム・アミと申します。今年の3月9日の大学の大会でサン・ウヨンさんにお名刺を頂いた者なのですが…。」


「もしかして、ソン・ユン選手の?」


「あ、はい。そうです。覚えてくださっていますか?」


「覚えてるよ!ユン選手とは別れてないよね?(笑)」


「わ、別れてないです(苦笑)」


「じゃあ、君か!結婚した相手は!」


「え?」


「えぇ!?違うの!?バスケ部のホームページにユン選手が結婚したって出てたけど?」


「あぁ、そうでしたね。出てましたね(苦笑)あの、はい、そうです。私、ですね(苦笑)」


「ああ!そう!?(笑)良かったぁ。やっちまったかと思ったよ!(笑)いやぁ、おめでとう!」


「ありがとうございます。」


「で、どうしたの!?(笑)」


「あ、はい。あの、お願いがありまして。」


「うん。」


「私、ソウ体大バスケ部の練習や合宿に、カメラマンとして同行しているんですが、8月23日から25日まで釜山で合宿があるんです。その時にスケジュールが合えばチーム皆んなで見学させて頂けないかと思いまして。」


「そういう事か。なるほどね。8月中旬には大会も終わって、シーズンオフに入るし選手が良ければ見学出来るかもね。」


「本当ですか!?是非お願いします!」


「忙しい主要メンバーはテレビ出演があったり、家族の居る選手は旅行なんかに行っちゃったり、休みに入る選手も居るから会えるメンバーは選べないよ?」


「チームに所属している選手でしたらどなたでも!こちらの選手達は喜びますので!とは言っても、選手達には何も言って無いんですけど(苦笑)」


「何、サプライズとか?」


「はい。サプライズでお願いしたくて。」


「わかったわかった。俺そういうの好きだから良いよ(笑)選手に聞いてみるよ。」


「ホントですか!?宜しくお願い致します!!」


「あ!監督は?大学側にもサプライズ?」


「あ、いえ。監督には確認済みです。監督は見学が叶うと思ってなくて(苦笑)見学が出来たら最高だけどって言ってました。」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


合宿中…

釜山ドルフィンズの見学を思い付いた私は、選手がランニングに出かけた時を見計らい、監督に声を掛けた。

釜山ドルフィンズの見学が出来たら、スケジュールに組み込んでくれるかどうかを聞いてみたら


「そんなの無理だよ!?(笑)出来たら最高だけど、人気のあるプロチームだからね、きっと無理だと思うよ。」


と、言われた。


「もし、出来たらスケジュールに入れて貰えますか?」


「出来るならもちろんスケジュールに入れるよ。当たり前じゃないか!」


「じゃあ、ダメ元で交渉してみます!選手達は…期待させちゃうと可哀想だし、その、なんて言うか、内緒にしてて貰えませんか?」


「それは…そうだな。うん、内緒にしておこう。決まったら直ぐに知らせてね。」


「はい。わかりました。」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


というやり取りがあり“きっとダメだろうな”と思いながら

今、話を進めている。



「そうなんだ。ま、大学側は知ってた方が良いね。でも、わかってるの?ユン選手にはドルフィンズでプロになるのが良いかもよって推しといてよ?」


「そ、それはもう!もちろんでございます!」


これは、社交辞令というやつだ。

私はユンにプロチームに関して、助言したり意見したりする気は、さらさらない。



「それなら、聞いといてあげる。」


「あの、それからもう一つ。」


「ん?」


「これは、私の個人的なお願いなのですが。」


「何?」


「釜山ドルフィンズは、釜山テレビがオーナーのチームですよね?」


「そうだよ?」


「もし、釜山ドルフィンズの見学が決まったら撮影をさせて頂きたくて。で、その映像を就職活動に使わせてもらいたいんです。」


「ちょっと意味が分からない(笑)ちゃんと説明して?」


「はい。私、スポーツ専門のカメラマンを目指しているんです。調べてみたら、釜山テレビの新卒者の求人にスポーツ番組のカメラマンもありました。募集条件の中に撮影した映像が要る様なので使わせていただけたらなと思って。もちろん!見学が決まったらの話なのは分かっています。見学が決まったら、まず撮影許可を頂いて、その後使って良いかを確認させて貰いたくて…。」


「そんなに釜山テレビに入社したいの?」


「いや、あの、スポーツカメラマンが出来れば何処でも良いんですけど…。」


「君は素直な子だねぇ(笑)普通気使うとこだけどね(笑)」


「あぁ、あの、、すみません。」


「いや、良いよ(笑)面白いし。じゃあさ、こうしない?ユン選手がドルフィンズに入るって決めてくれたら、君を採用する様に会社に口きいてあげるってのは。」


「ユンくんがどこに入るかは、ユンくんが決める事なので、私には何とも…。それに、不正をしてまで釜山テレビに入りたいとは思って無くて…、なのでそんな約束は出来ません。すみません。」


「あ、そ。じゃあ、この話は無かった事にしよう。」


「はい…。わかりました。すみませんでした。ありが」

「ちょっと待って(笑)」


“ありがとうございました”と言い掛けた時、サン・ウヨンは言葉を遮った。


「はい?」


「冗談だよ、冗談!(笑)」


「何がですか?」


「無かった事にはしないよ。ちゃんと選手に聞いてあげるから(笑)」


「だって約束は出来ないですよ?」


「こちらとしても、これはチャンスだからね。ユン選手もだけど、ソウ体大には将来有望な選手が沢山居るから。うちのチームをアピールする絶好のチャンスさっ(笑)」


「じゃあ、撮影許可も一緒に確認して頂けますか?」


「わかったよ。君の腕前もお手並み拝見だね(笑)」


「うぇ?それはちょっと…。」


「何だよ、随分弱気じゃない(笑)そんなんではライバルに勝てないよ?」


「うっ。がん、頑張ります!」


「はは(笑)じゃ、決まり次第連絡するよ。」


「宜しくお願い致します!」


こうして私の交渉は、プレッシャーを掛けられ終わった。





電話を切ってからほんの少しの間、放心していた。

静まり返る部屋の中、じわじわと襲ってくる罪悪感に身体が震える。


白猫を抱いて光輝く様な可愛い大きな笑顔と、新婚旅行で行った美術館で、絵画を見上げる姿を左側から撮った美しい横顔。

机に飾っているユンの二枚の写真を交互に見ながら、間違った事をしているのでは無いかと後悔が押し寄せる。


ユンにプロ選手と交流して欲しかったのか。

それとも、私の就職活動の為なのか。

どちらも、当てはまるが違う。

これは…


ジヌへの罪滅ぼしだ。


知らぬ間に怒りを買っていた事が怖かった。

何も…悪い事はしていないのに、許して貰いたいが為に思い付いた策だった。


大好きなチームの選手に会えたら

ジヌは喜んで機嫌を直してくれるだろうか。

怒りを、ユンに向けずに居てくれるだろうか。

でも、ユンはこの事をどう思うんだろう。

ユンの気持ちを考える度に、罪に罪を重ねている様な罪悪感に襲われる。

最悪な事態に発展する場合も有るのだろうか。

嫌な予感と、恐怖がどんどんと膨らんで行く。

だが上手く行けば、全てが丸く収まるかもしれない。


二つのパターンを、想像してはかき消すを繰り返している。

何往復も考えを巡らせた後


“これは自分の就職活動の為だ”


と、自分に何度も言い聞かせて

考えるという事を


私は、放棄した。

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時を超えて〜Another story〜 とっく @tokku76

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