第34話 大学復帰:教授の過去
7月1日
2人の母はそれぞれ自分の子どもを大学まで車で連れて行き、職員室に声をかけてから送り出す手筈になっている。
朝食を済ませ、部屋でメイクをしているとノックする音が聞こえた。
「アミ?おはよう。起きてる?部屋見せてよ。」
私の母親だった。
枕を腰に当ててベッドのヘッドボードにもたれながらスマホを触っていたユンが
ドレッサーの鏡に映る私に向かって
「入れてあげな?」
と言ってくれた。
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「おはよ。」
「おはよう。わぁ、凄いね!あ、ユンくんおはよう(笑)」
「おはようございます(笑)」
「良かったねぇ!こんなよくしてもらってねぇ。ユンくんありがとねぇ。」
「僕は何にもしてません(笑)アミを育てたお母さんのおかげですよ(笑)」
「うん?どうゆう意味?」
「何でもありません(笑)」
「どうする?ここで待つ?」
「ううん。下で待ってるわ。」
部屋の中が替わった事は、私から母親には話していない。
ユンのお母さんから伝わっている。
私たちがもがき苦しみ戦っている時、2人の母は連絡を密に取り合い情報を共有していた。
それ以来仲良くしているらしい。
全くタイプの違う2人なのに。
それは、ユンと私にも言える事だけど。
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「じゃあ、行ってきます。」
「気をつけてね。」
「うん。」
ユンがハグをして送り出してくれた。
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藝大の校舎が見えてくると
ちょっと息苦しさを感じた。
自分に『気にするな』と呪文のように言い聞かせた。
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職員室でヒョヌ先生が感慨深そうな表情で出迎えてくれた。
「アミ、お母さん。頑張りましたね。」
「ありがとうございます。先生のお力添えも大きいですからぁ。本当にありがとうございました。」
「いえいえ。私は何も(苦笑)」
「辛かったりしたら直ぐに言うんだよ。」
「はい。ありがとうございます。」
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母親と職員室の前で別れて講義室に向かう。
心配そうにいつまでも見ている母親に後ろ髪を引かれた。
角を曲がり母親が見えなくなった。
廊下を進む…
だんだんと不安になってくる。
不安が徐々に恐怖に変わってくる…。
『はぁ、はぁ、はぁ…』
(落ち着け…ここには居ない。もう居ない。もう居ない。)
足が床にズブズブと沈んで行くような感覚がする。
『はぁ、はぁ、はぁ。』
足が重い。
気が重い。
徐々に視界が床に近くなって来た気がする…。
――ガクン
気が付くと廊下にしゃがみ込んでしまっていた。
体が床にめり込んでいる様な感覚がして、自力で立ち上がれない。
違うと分かっているのに、廊下に這いつくばっている様な感覚がする。
(誰か…助けて…)
「ねぇ。君!?大丈夫!?」
(懐かしい声。何年も近くで聞いていた声…)
「ウ、ウソクくん?」
「え?」
顔を覗き込まれた。
「アミちゃんなの!?大丈夫?」
「ちょっとわからない。」
「医務室に連れて行こうか?」
「ううん。いい。立ち上がらせて欲しい…。」
両腕を掴んでゆっくり引き上げてくれた。
「ありがとう…。」
ウソクを改めて見ると、直ぐ横に可憐で大人しそうな可愛い女の子が立っていた。
心配そうに見ている。
「今、付き合ってる彼女なんだ。」
「あ、そうなの?可愛いね。」
必死に笑おうとするが上手くいっていない気がする。
(誤解しないでね?)
「この人はサークルの副部長さんだよ。」
「あ!初めまして。1年のイ・ナウンです。よろしくお願いします。」
「キム・アミです。宜しくね。サークル入ってるの?」
「うん。入ってる(笑)」
「彼女も授業一緒?」
「うん。一緒。」
「邪魔して申し訳ないんだけど、一緒に行ってくれない?」
「うん、行こう!」
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・
講義室に入る前、入り口でまずユナと目が合った。
少し驚いた顔をした後すぐに目を逸らされてしまった。
ユナから目を離した瞬間
ハナが走って来ていて抱きつかれた。
「アミぃーー!!」
「ハナぁ!ごめんね?」
闘病中だからとしばらく連絡を絶っていたが
昨日、復帰することをサークル4年の4人のグループには伝えてあった。
「何を謝るの?(泣)元気になったなら良いのよ!」
「ハナぁ、ありがとう(泣)」
「アミちゃーん(泣)」
「ハミンー!ハミンまで泣きそうになってるの?(泣笑)」
「だって心配したよー。ユンくんとケンカしたまんまどうなったのか分かんなかったし。そしたら病気だって来なくなっちゃうし!」
「そっか(苦笑)そうだったね。」
「ちゃんと仲直り出来たんだよね?病気も大丈夫なんだよね!?」
「あぁ…、病気は…」
「ね、座って話そ。」
ハナが私の手を引いてイスに座らせた。
ハナ、ウソク、ハミンが心配して私の顔を見ている。
ウソクの彼女も横にちょこんと申し訳なさそうに座っていた。
「病気は何とか善くはなってる。だけど時々やっぱりしんどくなっちゃって…皆んなに、迷惑かけちゃうかもしれないけど…」
「何言ってんの?こんなに休んでて大変だった事位わかるよ。気にしないで。しんどかったら言ってね?」
「ありがとう。」
ハナ以外の3人もうんうんと頷いていた。
「んで、ユンくんとは?」
「あぁ、ユンくんとはねぇ…」
4人が更に心配そうな顔を向けている。
笑いそうになってしまった。
「結婚したんだ。」
(ん??時止まってる??)
「はぁぁぁ!??」
「何て!!?」
「ぴゃああ??」
3人の叫び声に講義室にいる全員がこちらを見た。
「事後報告になってごめんね(苦笑)」
「ホントなの!?」
「ヒョヌ先生に聞いてみてくれても良いよ(笑)」
「い、いつ?いつ、のまに?」
ウソクがしどろもどろになっている。
「5月27日に入籍だけ。」
「もう1ヶ月経つのね!?何かの記念日とか?」
「ううん。書類が揃ったのがその日だったってだけなの(笑)」
「家は?一緒に暮らしてるの?」
「ユンくんのお家で同居してる。」
「あぁ、なるほどね。」
その時チャイムがなった。
・
・
授業が終わってハナがヒョヌ先生の所に走って行った。
何やら話している。
走って戻って来た。
「アミ、本当に結婚してた!!(笑)」
「そんなの嘘つくわけ無いじゃん(笑)」
やっと皆んなの『おめでとう』が聞けた。
・
・
2時限以降はみんなバラバラに授業を受ける。
1人で授業を受けたが、怖くてしゃがみ込む事は無かった。
・
・
お昼休み、サークルメンバーで食堂に集まった。
ウソクはまた彼女を連れていて
(付き合い方…普通は変わらないよね(笑)ユンくんがおかしいんだったわ(笑))
と、ウソクのブレない性格に妙に安心した。
「アミ、何か雰囲気変わったよね。何だろう…結婚のせい?」
「わかる!何か柔らかくなった感じ?何て言えば良いのかな。」
ハナとハミンが私を見ながら探っている。
(太った事バレる!?(汗))
「か、髪、落ち着いたからじゃ、ないの?」
「あ、そうかもね!」
一応、この話はそういう事で落ち着いた。
――ブブッ、ブブッ
「あ、ごめん電話だ。」
「誰ですかぁ?」
ハナが茶化す。
「旦那さん♡」
「キャー!」
4人が騒いでいる。
席を立って少し離れた。
「もしもし?」
「大丈夫?何とも無い?」
「うん、大丈夫。朝、ちょっと怖くなっちゃって歩けなくなったんだけど、その後は今の所何とも無い。ユンくんは?大丈夫?」
「俺はもう、全然何とも無いよ。友達も訳わかんないみたいだよ(笑)辛かったら部活休もうか?」
「大丈夫。そんな事しないで。終わったらお母さんが迎えに来てくれるし。久しぶりに一緒に買い物して帰る。」
「そっか。じゃあ、何かあったら連絡してね。」
「うん、ありがとう。部活頑張って。」
「うん。じゃあね。」
・
・
「そうだ、アミ知ってる?あの男学校辞めたらしいの!」
「あ、あの男…?」
手が震える。
「ジェヒョンだよ!あの後何とも無いの?」
「だ、だ、大丈夫、だよ。着信拒否もしてるから。」
息が荒くなる。
「アミちゃん大丈夫?」
「へっ?」
「しんどそうだね。」
ウソクが心配そうに言った。
「ちょっと貧血も酷くてね。」
「あぁ、去年貧血で倒れた事あったもんね。」
「あぁ、うん…。」
「あ!あとさ。サークル部屋、引っ越したんだよ!」
「うぇえ??そ、そうなの!?なんで?」
「何かね、虫が大量に湧いたらしくってさ。気付かなかったんだけどねぇ。」
ハナの後をハミンが引き取り言った。
「駆除が大変で閉鎖されたんだよね。アミちゃん虫湧いてたの見たことある?」
「な、ないなぁ。」
「だよね!?」
「新しいサークル部屋にもスタジオがあってさぁ。前よりもっと良いわよ(笑)」
(閉鎖…?)
ヒョヌ先生は私の為にやれる事を全部、徹底的にしてくれていた。
ジェヒョンは、もう居ない。
あのサークル部屋にも行かなくて良い。
私の病気は悪化しない。
悪化する理由がない。
明日から学校に通える自信が湧いて来た。
・
・
今日は火曜日、みんなはバイトがある。
みんなと別れて職員室へヒョヌ先生に会いに行った。
「ココアでいいかな?」
ヒョヌ先生はまた、食器受けから誰のかが分からないマグカップを出して
ココアを入れてくれた。
濃くて甘い、先生の優しさの味。
「先生。」
「ん?」
「虫が湧いて部屋を閉鎖って何なんですか?(笑)」
「まぁ、ありえん話では無いからな(笑)」
「また映画ではよくあるってヤツですか?(笑)」
「『事実は小説より奇なり』って言うだろう?君が受けた傷や彼の病気、それを乗り越える為の結婚。虫が湧いた事の方が真実味があるよ。」
「ふふっ(笑)確かにそうかもしれませんね。」
「でもどうして結婚なんだ。」
「え?(苦笑)結婚したらダメなんですか?」
「映像の世界はまだまだ男社会なんだぞ?結婚なんかしたら就職は難しいぞ!?」
「それは、ヒョヌ先生のコネで何とかなるはずですよね?(笑)」
「まぁなぁ、世話してやらねばとは思っているが…。」
「いや、先生(苦笑)冗談ですよ?(苦笑)」
「わかっとるよ。だが、監督不行届だと言われたら何も言い返せん。結婚は私のせいでもある。」
「せい。って(笑)」
ヒョヌ先生は納得の行かない顔をしている。
その顔に対して笑って見せた。
大学の友達やサークルのみんながヒョヌ先生はアミを特別扱いをすると言う。
自分でもそう思う。
何か理由でもあるのだろうか。
「先生はどうして。私に色々としてくれるんですか?みんな特別扱いをしてるって言ってますよ。」
「特別扱いかぁ(苦笑)確かによく言われるな。」
「理由があるなら聞いても良いですか?」
顔を逸らしコーヒーを一口飲むと鼻で大きく息を吸い込んだ。
諦めたかの様にちょっと笑うと、私の目を見て話し始めた。
「私には娘が居たんだ。一人娘だった。16歳の時に病気で亡くなってしまってね。生きていたら40歳になるのかな。その娘に本当によく似ているんだ。君は…。」
一瞬聞いた事を後悔したが最後まで聞きたい。
黙って聞く事にした。
「顔が、じゃなくて…雰囲気がそっくりなんだ。初めて声をかけられた時、息が止まりそうだったよ。娘も映画が大好きで、映画監督の私を誇りに思ってくれていたよ。」
「大切に育てていたのに…。 娘が大好きな映画。もう、娘が観る事が出来ないなら意味が無いと思って監督をやめたんだ。未来の監督を作ろうとこの仕事を始めた。」
「君に出会い、育てて行くうちに君の喜ぶ映画を作ってみたいと意欲が湧いて来た。だから映像の仕事をまた始めたんだ。娘と重ねて見ているなんて君は嫌かもしれないが。」
「嫌じゃないです。先生の娘さんなら美人な人だったでしょうね…。」
「自慢の娘だったよ。」
先生の目から涙が一筋流れた。
「あの日君を1人にした事、ずっと後悔しているんだ。」
もう片方の目からも涙が流れた。
「先生?」
「うん?」
「私はいま凄く幸せです。経験した事は辛かったですけど、好きな人と結婚が出来て一緒にいられて幸せです。だから、先生、私は大丈夫です。自分を責めないで下さい。あの日悪いのはあの人だけです。」
「そうだね…。」
「先生は成敗してくれました(笑)だからここに来れています。ありがとうございました。」
「どうしてアミまで泣くんだ(笑)」
「嬉しいからです(笑)話してくれてありがとうございます。」
「さ、お母さんが迎えに来るんだろ?行きなさい。」
「はい。あ、そうだ。自分用のマグカップ、職員室に置いておこうかな(笑)」
「じゃ今度、私が用意しておくよ(笑)」
職員室の前で別れる間際、一瞬迷いながらも
先生は私の頭を撫でた。
私が“お父さん”を相手にする様に手を振ると
先生は嬉しそうに笑い職員室に入って行った。
その時、ユンの言う“人たらし”の意味が自分で何となくわかった様な気がして
果たして良い事なのか?
と、少し複雑な気持ちになった。
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