第29話 悪意の触手

「雨ひどくなっちゃったわね。やぁねぇ(笑)」


先生がブラインドの隙間から外を見て言った。


「寒く無い?」


「はい。大丈夫です。」



ユンのお母さんの友人であり

私の主治医になった心療内科の先生は、昔から知っている懐かしいような雰囲気があって安心できた。

名前はヨンスク。

ぽっちゃりしていて可愛い。

ユンのお母さんとは真逆の印象だった。


予約が取れないと有名な先生だったが

私に起こった出来事の深刻さと


『ウンジの息子の恋人』


だから、という理由で直ぐに会ってくれた。



初回は1時間ほどお話をして終了。

週2回、水曜と日曜の診療時間が終わった後に診察をしてくれるという。


薬や催眠療法など色々試してみる事になった。


今回は両親とユンのお母さんと4人で来たが、次回からはユンのお母さんが連れて来てくれると言った。



翌日ユンは練習が終わると真っ直ぐうちに来た。


「今日、ユンくんのお母さんが大きなバッグを持って来てくれたわよ。何が入っているの?」


「1週間分の着替えなどが入っています。取りに帰る時間がもったいないので(笑)」


「もう!ありがとうねぇ、下着や服は洗濯してあげるからね!」


と母親が喜んでいる。

私も嬉しい。


彼の為にも早く元気になりたい。



だけど思いとは裏腹にご飯が食べられない。

味がしないし食欲が無い。



「ユンくんは気にしないで食べてよ。食べなきゃ練習出来ないんだから。」


「うん…。アミも何か少しでも食べな?」


無理やり食べるがなかなか思う様には食べられなかった。



ユンとベッドに入り軽いキスをして抱き合って眠る。

それだけで癒される。


なのに夜中に何度も目覚め、その全てにユンも起きて付き合ってくれた。


朝練や授業に午後練…。

影響するに違いない。

申し訳ない気持ちでいっぱいになった。



土曜日。

今日は一日練習。

ユンの両親がユンを練習に送り届けるために迎えに来る事になっていた。

8時15分。

お母さんが家まで来て私の分のお弁当も作ったと渡してくれた。


お弁当の中には唐揚げが入っていた。

気持ちが嬉しい。

気持ちに応えたくて頑張って全部食べた。



来週の土曜日から春の大会が始まるため、

翌日、日曜日も一日練習がある。

お母さんは今日もお弁当を作ってくれた。


夜は2回目の診察。

少し踏み込んだ話をした。



その日の夜は、夢にジェヒョンが出て来てしまって泣いて起きた。

ユンはいつまでも抱きしめて体を撫で続けてくれた。



――――――――――――――――

ユンの両親は、手を替え品を替え

毎日何かと理由を付けて来てくれた。


おかずを作って持って来てくれたり、

スイーツを買って来てくれたり

パズルや趣味になり得そうなものを用意して持って来てくれた。


みんなが私を気遣い気に掛け、労わってくれた。










本当は…




もっと…






気遣い気に掛け、労わってあげなければならない人が居たのに…




大人達は気付かなかった。




私でさえも…。






ジェヒョンの悪意は形を変えて、触手を伸ばしユンの心まで蝕んでいた。





その事に気が付いたのは、大学バスケ部春の大会の前日、金曜日の会話がきっかけだった。

 




「明日試合だし、今日は自分のお家に帰ってゆっくり寝た方が良いんじゃないかなぁ。私のせいで眠れてないでしょ?(苦笑)」




「明日…、試合には出ないからアミと居る。」




「は?は? 何て? 何て言った?」



ユンはソファーに座り、足元を見ている。



「ねぇ?いま何て言ったの?」


私は母親に聞いた。


「し、試合に、出ない、って、言ったの?かしら?」


母親も困惑している。



「出ないってど、ど、どう言う事??」




「選ばれなかったから、出ないんだよ…」




ユンは瞬きもせず涙をポロポロと落として一点を見つめていた。


ソファーに座るユンの左側に正座して抱きしめた。


どうして選ばれなかったのか理解が出来ない。

選ばれなかった理由が1番理解出来ないのはユン自身だろう。

掛ける言葉が見つからずただひたすら抱きしめて背中や腕を撫でるしか出来なかった。


翌朝、お弁当を持ってユンのお母さんが家まで来た。


私の父親は単身赴任先の仕事がどうにもならず

昨日の朝帰ってしまっている。

母親しかいない。

母親がユンのお母さんに、ユンや私の代わりに説明した。


夢であれば良いのにと願っていても


現実は現実。



現実は私たちにどこまでも残酷だった。

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