第二章 

二章


 小雨が降っている。本日の外での用事を済ませ、また陰暗とした屋敷へと足を進める。

 下ろした髪はほんのりと濡れ、白い頬に雫が伝う。降らないだろう、と思い傘を持たずに出てきたのは失敗であった。どこかで雨宿りをしてから帰ろうかと思ったが、止むのを待っていたら埒が明かない。まだ終わらせなければいけない家事が残っている。それに今日は父親の道繁と能力の訓練を行う日だ。

 闇の力を使うのは未知数の為、闇固有の能力は使わない。しかし、能力を使えないわけでは無いのだ。以前、母親の能力を弾いたように、体内の天雨を身体のどこかに意図的に集中させ、多少の攻撃となる能力は使える。これはどの素質の能力者でも共通に使えるもので、弱い妖怪相手であればこの力で倒せてしまう。

 雨が急に強くなった。小走りで柳沢家の屋敷へと向かえば、急な雨によってぬかるんだ地面に足を滑らせた。

 このままでは転んでしまう。着物を汚してしまえば、また怒られてしまう。惨めな姿になるな、と。

 今ここで地面に打ち付けられる痛みより先に、この後受ける痛みを感じる。最悪な一日の始まりだ。

「お気を付けなさい」

 フッと身体が宙に浮いた。その後、声の主によって体を支えられ、地面に身体を打ち付けられることは無かった。

 男性の美しい黒色の前髪の奥から、薄黄緑色の瞳が覗く。確か、この瞳は風の能力。

 華夜はジッと男性を見る。上等な着物を着ている。よく見ると腕には藍色の組紐が巻かれており、西の都の能力者だと分かる。

 ──何故西の能力者が江戸に。

「ああ、君も能力者か。うむ、良い深い闇だね」

「先程はありがとうございました」

 能力者を全国各地へ住まわせる計画とはいえ、西の都に残る者は上級の能力者だ。上の者に助けを頂いたため、華夜は急いで頭を下げる。

「紫……。そうか、柳沢の娘だね」

「はい」

 江戸の霊岸島で紫系統の瞳を持つのは華夜だけである。その情報を持っているということは、この男は柳沢家へ用があったのだろう。では何故わざわざ柳沢家へ。華夜の頭の中で疑問ばかり浮かぶ中、もう一度声をかけられる。

「顔を上げて、瞳を見せて」

 思いもよらぬ注文に驚く。

 雨によって、前髪はしっとりと濡れている。元々能力者はその特徴的な髪を見せるために日本髪等といったようにまとめない。男性もそうだ。目にかかりかけていた濡れた前髪を掻き分け、男に目を見せる。

 華夜の瞳を覗く薄黄緑色は美しい。それに比べ、華夜の瞳には華やかさは無い。ジッと見なければ黒と間違われるような、深くて濃い、紫色だ。

「うん。やはり良いね。期待をしているよ」

 その言葉だけを言い残して男は去ってゆく。取り残された華夜は、着物が土で汚れなかったとはいえ雨によってぐっしょりとしてしまった。風邪を引いてしまえば苦しむのは自分だ。

 急いで屋敷へと戻れば、室内は重苦しい雰囲気に吞まれていた。

「ただいま戻りました……」

 華夜の帰った音に気付いた道繁が珍しく迎えに来た。びしょ濡れとなっている華夜の姿を見て一度視線で刺す。

「畳が濡れる。さっさと着替えて座敷へ来なさい」

 きっと、先程の男が何かをこの家へ持ち込んだのだろう。

 素早く部屋着へ着替え座敷へと行く。母親もその場におり、血の気の引いた顔をしていた。

「お待たせいたしました」

「顔を上げなさい」

 父親のその言葉で顔を上げる。中々本題に入らない道繁から視線を逸らさずにいれば、ゆっくりと口が開かれた。

「山本五郎左衛門が再び活動を始めたとの報告があった」

「──!」

 山本五郎左衛門。妖怪の頭領。

 奴が活動をしていたころ、とある能力者によって悪行は終わった。それ以来、平和な世の中が続いていると言ったぐらいだ。奴一人で、様々な事が変わる。

 役目が無くなってきた能力者にとって、奴の活動の再開は喜ぶべきものかもしれない。しかし、活躍の場が増えるという喜びより、奴の力への恐怖心の方が何倍も強い。

 奴の力を目の前で見た者たちは、今の時代にはいない。そうであるにも関わらず、全能力者が恐れる存在。

「柳沢家に、討伐の命がくだった」

「馬鹿なっ!」

 江戸にいる能力者は所詮、左遷組。妖怪の頭に敵うはずがない。本来であれば西の者達が相手をしなければいけないであろう。

「力で言えば、柳沢家より適任は西に沢山いるではないですか!」

「だからだ」

「え……?」

「相手の力をよく知らずして、貴重な西の方々を討伐に向かわせることは出来ない」

「だとしても、何処にいるかも……」

「それでもだ」

 眩暈がする。同時に、先程すれ違った男に怒りが込み上げる。他家に任せ、自分は悠々と暮らす。初めて、彼等への怒りが沸いた。

「華夜。お前に任せる」

「は……?」

 頭に血が上った状態で上手く道繁の言葉の意味を理解できない。一度天雨を指先へと集中させ、近くにあった花瓶へ力を放つ。甲高い音を立てて花瓶は粉々となる。

「家の為だ。私は、ここに残らなければならない」

 花瓶が粉々になったように、自分の中に沸いた怒りのかたまりも粉々になったようだ。華夜は冷静な頭で父親の言葉を思い出し、理解する。

「わ、私が死んでしまったら、この家は、この先──、」

「初は、まだ若い」

 母である初は若い。無理をする事にはなるが、もう一人子を生めるぐらいには、若い。

「ここで断れば、柳沢家の再興は今後、何があろうと無くなる。得体の知れないお前の能力は、ここで使うべきだ」

「──っ」

 雨音が屋敷中に響く。屋敷に届く灯は無い。道繁の瞳だけが、嫌と言うほど此の空間では目立つ。まだ乾ききっていない髪から雫が垂れる。嫌な音を立てて畳へと落ちる。雫が睫毛に止まる。鬱陶しくて、道繁の瞳を見たくなくて、華夜は瞬きをする。ぼた、ぼた、嫌な音が続く。一度瞬きをしたら止まらない。外の雨が止まないよう、目から零れ落ちる雨も止まない。

 それでも、何も変わらない。

 道繁は立ち上がり、初もその後に付いた。寝室のある方へと向かった事を確認する。

 ──ああ、本当に。死ぬ意味しか、与えられないのね。

 ふ、と意識が落ちる。

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